ウズベキスタン
シムケント→タシュケント
基礎データ(2021外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:44万7,400平方キロメートル(日本の約1.2倍)
2.人口:3,350万人(2020年:国連人口基金)
3.首都:タシュケント(Tashkent)人口約240万人
4.民族:ウズベク系(84.3%)、タジク系(4.8%)、カザフ系(2.4%)、カラカルパク系(2.2%)、ロシア系(2.1%)(2020年:ウズベキスタン国家統計委員会)
5.言語:国家語はウズベク語(テュルク諸語に属する。但し、タシケント、サマルカンド、ブハラ等主として都市の諸方言はペルシア語の影響を強く受けている)。またロシア語も広く使用されている。
6.宗教:主としてイスラム教スンニ派
7.通貨:ウズベキスタン・スム 10UZS=約1円 ※2007年当時、補助通貨はティンで1UZS=100ティンだが、そもそもスムが安いので流通せず。
※ブログの日付は旅行当時に合わせてますが、帰国後10年以上経てから記事を書いているので実際のアップ日は2021.06.19です。
※ここに居た期間も長く、当時のくだらない出来事は現地で既に「謎の日常」に掲載済みなので、当時アップしなかった写真と、その日に何をした(何もしてない日も多い)程度を簡単に記す程度で、後はその当時の記事のリンクを貼るだけとします。
また当時の記憶が大分朧げになっているので写真対象物の名称ミスはご容赦頂ければ幸いです。
2007.08.19(日)
12:30時、時計を1時間巻き戻し新規110ヶ国目になるウズベキスタンへ突入。
マルシュルートカ(乗合のバン)に乗り中央アジア最大の、人口200万を超える首都タシュケントを目指す。
国境からタシュケントへ
サマルカンド、ヒバ、ブハラ、コーカンド等と言った都市は「動乱の中央アジア探検:金子民雄著」を呼んだ時から訪れてみたいと思っていた憧れの場所で、その全てがウズベキスタン内にある。
この国が今回のミッションのハイライトと言っても過言では無いだろう。
そしてこれらの憧れの都市に全く該当しないタシュケントが、最優先ターゲットになるのは首都狙撃手ならではの宿命というヤツだろうか?
15:00時頃、バスターミナルに到着、147番の市バスで移動し、闇民泊で知られているアパの家(カラマット・アパ)へ16:00時に到着。
ビシュケクでの知り合い(「kimの走り方」さん他)との再会も果たす。
そして落ち着く間もなく、ホテル・ハドラーに行き宿泊の手続きをする。
と、言ってもこれは仮宿泊で、闇民泊のカラマット・アパではレジストリ(外国人登録)が出ないので、ここに1泊してパスポート上の体裁を整えるのだ。
当然実際の滞在は1日以上になるのに1日分のレギストラーツィアで大丈夫なのかどうかという不安は残るが、それまでの旅行者情報で定番となっている手段なのでここはそれに乗るしか手段は無いだろう。
このハドラーでもビシュケクの知り合い(「ゆずランド氏(以下ゆ氏)」や「手のひらの中のアジア」)との再会を果たす。
どちらに泊まるにしても1泊分の宿泊費は捨てになるが、取り敢えずは荷物を置いたアパで寝ることにした。
タシュケント市内
2007.08.20(月)
ここへの到着は日曜日。
実はこれには拘りがあり、不確定要素のあるビザ取得が必要とされる場所では、大使館の開く月曜から動けるようにする為だ。
結果は「ビシュケクの悲劇再び・・・(タシュケント:ウズベキスタン)」を参照としてもらうとしてこの日はトルクメニスタン大使館へと訪問した。
タシュケント市街、上段はサーカスの建物
左上はチョルスーバザール、右下はメトロ駅
2007.08.21(火)
この日はイラン大使館を訪問しビザを申請。
日本センターやネットカフェで時間を潰して一日が終わる。
下段左はタシュケント・タワー、右は日本センターの入っているビル
2007.08.22(水)
ビザ申請後、当面は「待ち」の時間だ。
市街を見て回りつつ、ガイドブックで気になっていたブロードウェイ(「謎の日常」、「憧れのブロードウエイ(タシュケント:ウズベキスタン)」を参照)を観光して後は昨日同様ネットカフェで沈没。
市街
独立広場、左上:人民友愛宮殿、左下:ソビエトからの独立記念碑
独立広場、3羽の鳥のオブジェはウズベキスタン国章にもある空想上の鳥、フマらしい。
気になった市内の寿司バー、勿論写真だけ。
憧れのブロードウェイ
最下段左はアミール・ティムール広場のティムール像
下段はホテル・ウズベキスタン
上段左はアミール・ティムール博物館
この日はビシュケクで会い、この後のシルクロードの大半を同行するエースと再会を果たす。
2007.08.23(木)
この日、エースはビザ取りに(「謎の日常」、「ビザ待の怪異!・・・(タシュケント:ウズベキスタン)」)
私は所在無く適当に暇を潰す
チョコはクランチ系
昼食はセット、マーケット
夜は独立広場で噴水を眺める。
砂漠の多い国で噴水が多いのは豊かさの象徴だと聞いてはいるが、水の潤沢な国から来た者の感覚では何時も奇異に感じてしまう。
独立広場
2007.08.24(金)
この日はタシュケント・タワーを訪れる
市街、チョルスーバザール近辺
タワーの前に遊園地があり、中のリフトが気になったので乗って遊園地を一周する。
タシュケントランド遊園地
2000スム(200円)はウズベクにしてはやや割高な値段に感じるが、これでこの景色が眺められるのなら旅行者には格安だろう。
タワーは身分証明書の提示が求められる。
パスポートコピーはダメと言われたが、学生証はOKだった。
料金は1000スム(100円)、さっきのリフトの半額だ。
タシュケント・タワー
14:30時、日本センターへ向かってからイラン大使館へ寄りビザを受領。
そしてまた日本センターでネットをして一日が終わる。
日本センター
この日宿で知り合ったH&Aの日本人カップルの男性Hは、旅行開始の時期はほぼ一緒ながら既に100ヶ国を越えている私とは真反対でまだ7ヶ国という事にお互いビックリだった。(この時はちらっと話した程度で、後日何かと縁深い関係となり、オペレーション・イリーガルへ誘ってくれる恩人になるとは夢にも思わなかった。さらにこの男性とは、今は同じ市内住みで、今でも交流が続いている)
2007.08.25(土)
女装したホモに襲われる夢を見て「誰か助けて~!!」と、絶叫してとび起きる。
目覚めは最悪だった。
ふと周りをみると同室のみんなが反応してしまっているのが感じ取れる。
何も無かったフリには出来そうもないので
「アイムソーリー」
と小声で呟き2度寝する。
安眠を妨げて大変に申し訳ない。
この日もやるとこは無い。
旧市街を訪ねる事にする。
(やる事は無いけどちょっと不安な気持ちは「謎の日常」、「潜入生活の日々(タシュケント:ウズベキスタン)」を参照)」
市街
旧市街、リニューアルされた建物ばかりで土産物屋も入っている。
バラクハーン・マドラサ。歴史感は感じないがとにかく綺麗。
ハズラティ・イマーム・モスク
如何にもな旧市街
ソビエティックな集合住宅。
シャイフ・ハヴァンディ・ターフル廟
夜はテレビ塔、夕食付きで4300スムと奮発。
そしてその後またブロードウェイを訪れる。
その結果はちょっと残念だった(「謎の日常」、「サタデー・ナイト・フィーバー!!(タシュケント:ウズベキスタン)」を参照)
タシュケント・タワー
ブロードウェイ
2007.08.26(日)
この日は日曜日。
バザールと他少しを観光する。
チャールスゥ・バザール
鉄道駅
鉄道博物館(1000スム)
中段以下ウスペンスキー大聖堂
ミラバット・バザール
工芸博物館
ブロードウェイへ
2007.08.27(月)
ビザ取りで追い抜かされたエースに遅れないため、アゼルバイジャンビザをトルクメニスタンビザの前に受領
80ドルは中部アフリカクラスだ。
(「謎の日常」、「ビザ取得戦線、任務完了!!(タシュケント:ウズベキスタン)」を参照)
市街
中段以下は人民友愛宮殿
一週間以上かかったがこれでやる事は全て終わり、明日はようやく出発だ。