キルギス
カシュガル(中国)→オシュ(キルギス)
基礎データ(2021外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:19万8,500平方キロメートル(日本の約半分)
2.人口:620万人(2019年:国連人口基金)
3.首都:ビシュケク(Bishkek)約80万人(2007年)
4.民族:キルギス系(73.6%)、ウズベク系(14.8%)、ロシア系(5.3%)、ドゥンガン系(1.1%)、ウイグル系(0.9%)、タジク系(0.9%)、その他タタール系、ウクライナ系など(2020年:キルギス統計委データ)
5.言語:キルギス語が国語。(ロシア語は公用語)
6.宗教:主としてイスラム教スンニ派
7.通貨:ソム 1ソム=約3円 ※2007年旅行時 補助単位トゥイン(100トゥイン=1ソム)もあるらしいが見た記憶はない。
※ブログの日付は旅行当時に合わせてますが、帰国後10年以上経てから記事を書いているので実際のアップ日は2021.3.20です。
2007.07.26(木)
18:00時、新規108ヶ国目のキルギスに入国。
セカンド・ミッション・プラス・ワン。最大の目的である中央アジアへ突入した。
国境
辺境(中国の)の奥地が中央(中央アジアの)という、下らないパラドックスもどきが無意味にテンションを上げる。
ツーリストなんて所詮は世界を股に掛けるやじ馬だ。
だとしたらこの盛り上がりで正解だろう。
そんな気分の高揚とは裏腹に何一つ盛り上がりの無いまま夜に突入。
出来る事は狭い寝台に無理矢理体を横たえ、ただ到着を待つだけだった。
2007.07.27(金)
05:30時、中国国境から最初の、そしてキルギス第2の都市オシュへ到着。
一緒に居たドイツ人のホフマンとデンマーク人のアロイシュと一緒にタクシーをシェアして街に出る。
人口530万人程度(2007年当時)のキルギスだ。
ここも第2の都市といった所で、人口22万と日本の地方の中都市程度に過ぎず、観光名所も簡単に見て回れそうだった。
『一泊するまでもないな・・・』
荷物を30スム(60円)で預けて朝食を摂って出る事にした。
オシュ、バスターミナルから市内へ。朝食はホフマンと
最初にした事はレギストラーツィア(外国人登録)だ。
旧ソビエト連邦圏の国々は都市毎にこれが憑き物だ。
どうせ今晩にはここを出るのに面倒この上ない。
余計な手間を終え、観光にうつる。
オシュ市内
旧ソビエト時代の飛行機
旧ソ連チックな記念公園、レーニン像もある。
旧ソビエト圏で見かけたら必ず買っていたバトンチョコと再会、幸せ。
肉の串焼きは中東風
大シルクロード博物館、中段左の記念碑はオシュ3000年記念碑
街一番の見所はスレイマン山に登る。
そこから見下ろすオシュは、良い景色ながら特にアクセントも無い平凡な物だった。
街のシンボル、275mのスレイマン山から臨んだオシュ
文化史博物館
何故エジプト風?意味は不明
バザール
元々この街に何か期待して観光していた訳では無い。
淡々と見所をトレースしている内に時は過ぎる。
18:00時、観光を一通り終え、次の目的地行のシェアタクシーに乗る。
キルギス行のタクシーランク
時差が少し戻ったくらいでは日没の時間はさほど変わらず。
ようやく暗くなってきたと感じたのも、20時を大分過ぎてからだった。
ガソリンスタンドに旧式のトイレ
街灯の無い道をシェアタクシーはひた走る。
次の目的地は首都ビシュケクだ。
当時の記事はリアルタイムブログ「謎の日常」の「第2段階突入(オシュ:キルギス)」を参照。