野望の残影(ブカレスト:ルーマニア)

実際のアップは2018.01.06となります。

 

ルーマニア

ブカレスト


基礎データ(2017外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:約23.8万平方キロメートル(本州とほぼ同じ。)
2.人口:約1,976万人(2016年)
3.首都:ブカレスト(人口約210万人)
4.民族:ルーマニア人(83.5%),ハンガリー人(6.1%)など
5.言語:ルーマニア語(公用語),ハンガリー語
6.宗教:ルーマニア正教,カトリック
7.通貨:ルーマニア・レウ(RON)。1レウ≒50円(訪問時のレート、実勢レートと違い、読む人がイメージしやすいように大まかな数字にしてます。)

2006.11.06(月)

 ブカレストには13時に到着。駅からさほど離れていないホテル・チェルマの60レウ(約3000円)のシャワートイレ共同の部屋に宿泊を決め直ぐに街に出る。

 ルーマニアと聞いてドラキュラ以外に思い浮かぶ物があるとしたらそれは「コマネチ」だ。

 白い妖精、ナディア・コマネチ。1976年のモントリオール・オリンピックで3個の金メダルを獲得し、体操競技選手としてオリンピックの舞台で初めて10点満点を獲得。また1980年のモスクワオリンピックでも2個の金メダルを獲得している。ただ、その名を有名にしたのは他でもない、世代でないのでリアルタイムでは見ていないが、私のような若い人間でも知っている程有名なビートたけし氏の一発ギャグ「コマネチ」の題材となったからだろう。

ブカレスト市街


 ただ、彼女の名前を今回出したのはそれだけが理由ではない。

 彼女は故大統領チャウシェスクの愚息である故ニク・チャウシェスクが愛人関係にしていたのだ。
 当時狂った独裁者の息子である彼に逆らえる者など誰もおらず、世界的なアスリートである彼女ですら、その軛からは逃れられなかったのだ。結局彼女は1989年11月、亡命を選択。
 その直後の1989年12月、一般市民の虐殺から大統領処刑という流血革命の中でチャウシェスク政権は幕を閉じるのだが、ビートたけし氏のギャグで出たコマネチは、共産から民主と言う大きな歴史の流れに翻弄された悲劇の主人公の一人でもあると考えると、ブカレストは興味深い街であると言えよう。 

 そして共産時代の中心人物である独裁者チャウシェスク。
 愚かな支配者の常として、自らの権力を誇示する巨大な物を建てるという定番が、ここブカレストに存在していた。

 「国民の館」

 街自体がかなり大げさな建物で溢れているのだが、中でもペンタゴンに次ぐ、単一の建物としては世界第二位となるこの建物は、日本円にして当時1500億円投じた未完の宮殿。地上8階、地下5階で地下最下層はお約束のシェルターになっていて、部屋数は3107にものぼる。名こそ「国民の」とついているが、この建築の為に国中から資源を集めて贅を尽くし、その所為で国民は飢餓を強いられるという矛盾さから、チャウシェスクの私利私欲の権化がここに極まれていると言っても過言ではないだろう。ブカレストでは何はさておいても見逃すことのできないポイントだ。

国民の館。テラスから見る正面の通りはパリのシャンゼリゼよりも1m広く、戦車が地下を走れる。


 通常歴史的な建物からは荘厳さや華麗さ等、特性にあった雰囲気を出でそれが楽しめるのだが、ここは単に巨大で、そしてあくまでも無機質であった・・・

 メインターゲットを仕留めたら後はいつもの観光だ。

 ブカレストは当然国民の館だけの街ではない。

市街


とは言いつつも国民の館の夜景は必須だった


他の市街の夜景



2006.11.07(火)

 出発は今日の夜、今回も夜行列車の利用になる。ホテルで朝食を摂って荷物を預けてメトロで旧王宮跡へと向かう

ホテルの朝食とメトロ
  

 何気なく王宮跡を歩いていたらジプシーの子供がお金をせびってきたので断ったら、塀の上に腰かけていたその弟と思しき小さな子供が突然私の顔に唾を吐きかけてきた。反射的にお腹を軽く小突いたら、ウッっという顔をして塀からずり落ちてきたので両手を脇にあてて地面に下ろすと泣き叫ばれてしまう。するとさっき私に物乞いをしてきた兄貴が駆け寄ってきたので、ここは36計逃げるに如かずを決め込み、と言いつつ走るほどでもないので足早にその場所から遠ざかる事にした。

 「ハァ・・・」

 ただ、観光しているだけなのにこんな目にあうなんてツイてない。

 ブカレストはジプシーが多い事や、マンホールチルドレンが居る事でも有名な街だから、用心し続けるしかないのだが、面倒だった。

旧王宮跡近辺


 旧王宮跡を終え、次は勝利広場の方へ向かうことにした。

市街




 凱旋門、どう凱旋したのかは知らないが、そこよりさらに先にある農村博物館を時間潰しの為に訪れる事にした。

農村博物館


 中は色々見れて時間潰しには丁度良かったが、入場料が5レウ(250円)なのに写真撮影が20レウ(1000円)というおかしな料金設定で、しかもそれを払ってしまっていたので記事に載せているだけでなく、多分他に100枚以上はヤケで撮ってたと思う。

 この写真代の所為で少し継ぎ足しで両替して、またメトロで駅に戻る。

メトロ


 19時発の列車が、出発時間を過ぎても来なかったので、溜息を尽きつつ、駅内のマックで余ったレウでセットを頼んで食べていたらその隙に到着され、良く分からない駅内を駅のスタッフの案内で無事に乗れたのは良いが、その駅員にお金をせびられるという何とも締まらない結末を、こちらはマックでレウを使い切っていたので一文も払えないという上書きで応酬し、結果的には何事もなくブカレストを出発。

駅内マックと車内の寝台


 
 ブカレスト

 チャウシェスクの野望の、その潰えた街・・・

 革命後20年近くたった今も、どこか薄暗さの残る、そんな街並を後にして次に向かうのはブルガリアだった・・・






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