私が本当に書きたかったのはこれだった・・・
2009年9月に書き始めた「アフリカ見聞録」、このネーミングに”見聞録”を用いたのはセカンド・ミッションで狙撃した“東欧”の記録を「東欧見聞録」として書きたかったからに他ならない。
見聞録の言葉を使いたかったのは単純だ。かの有名なマルコ・ポーロの書いた「東方見聞録」に対抗する名作を書きたかったからであり、それにはアフリカよりも日本から東ヨーロッパまで陸路で行き、そこを中心とした「東欧見聞録」を持って当たるという野心を持っていたからだった。
そしてどう考えても「アフリカ見聞録」時代よりも旅行がイージーになり、大きなトラブルも無く普通に楽しく旅行していたこの地域を「アフリカ見聞録」以上に面白おかしく書けるはずもないというタイトル倒れ必至の開始前敗北宣言をしつつ、当時の記憶を思い出しながら記事をアップしていくのでどうかこの辺りは大目に見てお付き合いいただければ幸いである・・・