ロシア
2006.09.27(水)
旅行界では”世界三大”というのは良く聞くセリフで私の専売特許というものではない、私の独占はエレガントだけだ。
ただこの”三大”等というのは多分に選者の主観も入っているので絶対とは言えないが美術館に関しては一般に「パリのルーヴル(フランス)、マドリッドのプラド(スペイン)、そしてこのサンクトのエルミタージュ」というのが定説だ。
既に世界三大遺体の内2つを制覇したこの私は今度は美術の世界へと手を伸ばす事にした。
サンクト市街
季節は秋、通常秋と言えば”食欲の”と能天気に言っているくだらない輩が多いが、生憎”優雅”の名をミドルネームに持つこのプロフェッショナルにはそんな動物じみた低俗な感性は持ち合わせていない。
秋と言えば迷わず”芸術の秋”だ。
サンクト市街観光の次のターゲットはエルミタージュとなったのは必然の理だろう。
エルミタージュ内、上中央は王座の間
エルミタージュに入るのには通常のチケットを買うのとガイドツアーを取る方法がある。
昨日ポール達と話していたら不思議とガイドツアーの方が安く、色々と聞けるしガイドツアーが終わった後は自由行動で好きな場所を好きなように見れるので変に個人チケットを買うよりも遥かにお得という事だ。
この辺りのシステムは謎(ガイド代も込みなのに何故か入場料は安くなる)として幾ら芸術に造詣が深いこのプロフェッショナルと謂えども万能という訳ではない、そこで専門家のガイドの説明を聞けばより深い理解が得られるので願ったりかなったりのシステムだ。
エルミタージュ内、下中央、右は大使の階段
ガイドの案内で巨大な美術館の中を効率的に進む、ちなみに今日はポールとディーとチャーリー、そして新しく知り合ったアレンというイングランド人男性が一緒だった。
部屋も装飾も豪華。2段目は孔雀の間
私が一緒に訪れた連中も幼いころから芸術に親しんでいただけあって、様々な部屋に入る度に「アォ!」、「グレイト!」、「オォ!」、「エクセレント!」等その場その場に応じて的確な表現を瞬時に導きだしている、他のガイドツアーの客からみたら我々の集団はさながら「芸術家一行」に見えた事だろう。さらに知性という点で付け加えればオリバーはハーバード大卒だし私は東京にあるとある大学、略して日本最高峰の”東大”の出身者であり、オリバーの彼女のチャーリーは美人でポールは身長190cmを超えアレンはボクシングをやっていた程だ。この辺りからも他の客と我々のレヴェルの差は見てとれるだろう。
エルミタージュ内
しばらくするとちょっとしたハプニングがある。たまたまデンマーク皇太子と妃殿下が見物に来ていたのだ。
パヴォリオンの間、上右は孔雀の時計
私がじっくりと目をつけて眺めていた孔雀の時計に皇太子も喰い付いき、また彼らのお陰かその時計が鳴るのまで聞けたのは幸運だった。それにしても私が気になる物が皇太子も気になるというのは同じ高貴な血を引く者同士、共鳴し合う部分が多いのだろう。
エルミタージュ内
豪華な内装に贅沢な調度品、芸術性の高さは一目瞭然だ。
ここで私と芸術の関わりについても述べておいた方がいいだろう。
黄金の客間
別に自慢するわけではないが母親と姉はピアノが弾け、私も物心がつく前からオルガンを習いに行き、物心がつくころには既に習い終えていた(ちなみに現在のレヴェルは楽譜を見ても見なくても読めないので鍵盤を弾けない程度です)というほどのセンスを誇り、絵に関しては「写実画をまったく習っていないパブロ・ピカソ」と同等の画力を誇っている。
その芸術的なセンスは幼少のみぎりからずっと級友達に「同じ血を引くと思えない」、「姉のレヴェルを(低い方へ)遥かに凌駕する」、「お前は姉貴の出がらし」と言われるほどの能力の高さを誇っているのだ。
姉は美術系の短大へと進み現在はグラフィック・デザイナーとして働いているが、家族の中で一番センスに溢れる私がプロフェッショナル・ツーリストの道へ進路をとり、こちらの道に進まなかった事は芸術界に於いては数世紀の遅れを生じさせるほどの大きな損失であり、家族間の問題で言えば親不幸の誹りを免れ得ない事は確かな事実だろう。人生にあまり”if”は言うべきではないのだろうが、もしあの時進路をこちらにとっていれば・・・
今とは違った人生を送っていた事は確かな事実だろう。(確かに”違った”、というか”間違った”人生を送ったであろう点については断言できます)。
それがこのデューク・東城という漢だ。
能力をひけらかすような話しか出来なくて申し訳ないが要するに”芸術=このプロフェッショナル”という図式はこれで御理解いただけた事かと思う。
エルミタージュ内とそこから見た広場
芸術と私の関連性についてはこの程度で終わらせてまたエルミタージュに話を戻すとツアーガイドが終わった後は自由時間となっていた。
『絵画』
それが残されたターゲットだ。
エルミタージュに飾られる有名画家達の絵
絵を描くことと見る事はまた違う。勿論このプロフェッショナル・レヴェルになればその双方を高次元で備えている事は言うまでも無いだろう。画家の名は分からずともその生まれ持った天性の感覚でどれが優れた絵であるかは一発で見抜く事が出来るのだ。
続き
だが、見抜くだけでは”プロフェッショナル・ツーリスト”としてはやや片手落ちだろう。それもあってガイドブックから有名な画家の絵を飾ってある場所を中心に責め立てる。大事なのは”記憶ではなく記録”だ。私がただの芸術家ならこの天然の感性に任せて終わりにする所だがプロフェッショナルのプロフェッショナルたる所以はその辺りに真骨頂があるのだ。
レオナルド・ダ・ヴィンチ、カラヴァッジオ、ティツィアーノ、スネイデスル、ルーベンス、ヴェスケラス、エル・グレコ、ゴヤ、レンブランド、セザンヌ、ルノワール、ゴッホ、ゴーギャン、ピカソ、カディンスキー、そしてこのプロフェッショナル・・・
一箇所にこれだけ豪華なメンバーの作品を揃えたこの美術館。
当然の事ながら上の写真の撮影の際はどれが誰の作品と分かっていたが実は余りにも多すぎて帰って纏めるとどの作品が誰のか等ということは綺麗さっぱりと忘れ去ってしまった事はこの私のお茶目な所だろう。
そして閉館時間間際、衝撃の事実が目に入る・・・
最後の写真。右端に注目
そう、世界三大美術館の一つ、エルミタージュのトイレには便座が無かったのだった・・・
『・・・』
『・・・・・・・』
夜は昨日お気に入りになった”血の上の教会”の夜景を眺めに行く
血の上の教会
サンクト・ペテルブルグ市街
芸術の秋に相応しいサンクトの夜景は何時でもこのプロフェッショナル並みに煌めいて、世界三大美術館を見た私の余韻を十分に引き立てる物だった・・・
運河から眺めた血の上の教会
夜景を十分に堪能してからホステルに戻り、今日訪れた世界三大美術館の一つエルミタージュについて脳内再生を行う。
だが、あれだけ沢山色々な物を見た筈なのに、不可思議にも最終的には”たった一つのイメージ”しか頭に思い描けなくなる。
『・・・』
『何故だ?』
コンピューターと呼ばれる私の頭脳がフル空回転して原因を追及し、正答を導きだす。
そう、それは
『エルミタージュのトイレには便座が無かった』
という衝撃の事実があまりにも強烈過ぎて他に見た物を消し去り、それだけ再生されるようになってしまっていたからだった。
と・・・