シンギュラリティー(エルサレム:イスラエル)

イスラエル 





singularity(特異点):ある基準 (regulation) の下、その基準が適用できない点。(数学、物理学用語:出典 Wikipediaより)



2006.05.19(金)

 エルサレムに来て僅か4日間で私が見たものは余りにも多かった。

 この街の特異さ、それは最初から感じていた。そして一日毎にその感覚は確信へと変わる。

 宗教、人種、国際政治、あらゆる要素が絡むこの街は明らかに今まで見た他の都市と一線を画していた。(余談になるが私が今まで見てきた都市でこういった意味で特別な都市と感じたのはこのエルサレムで国となると旧ユーゴスラビア、中でもボスニア・ヘルツェゴビナだった)

 一介のエレガントなツーリストである私ですら容易に見てとれるほどその特異さは明らかなものであった。

 私はこの自分の感覚をさらに確かめるべくまだ見ていないユダヤ人新市街の見所を周る事にした。

新市街行きのバス。ミニバスタイプのアラブバスと違ってユダヤ人側は日本でもみる普通の市バスがルートを走っている。




 最初の訪れたのはヤド・ヴァシェム、ナチス・ドイツに虐殺されたユダヤ人を慰霊するために建てられた博物館だ。

ヤド・ヴァシェムとそこからの眺め







 
 特に中の写真は撮らなかった、ホロコーストによる殺害は確かに悲劇の歴史なのだろう。
 子ども博物館では蝋燭が灯る中、スピーカーから絶えず犠牲になった子供たちの名前が流れ、正面にある円柱には「忘れるな」とヘブライ語で刻まれているこの博物館。

 単一的にここだけ見れば「こんな歴史を繰り返してはいけない」

 というのが一般的な物の見方だろう。
 
 
ヤド・ヴァシェムとヘルツルの丘。下の写真はイスラエル建国の父テオドール・ヘルツルの墓地



 だが、私はベツレヘム、ラマーラを見た後だ。
 世界各国から移住してイスラエルを建国したユダヤ人がここに長い間住んでいたパレスチナの人を壁に押し込めて自由を奪っている。

 その光景を見た後では「悲劇を繰り返さない」というよりもむしろ「悲劇は繰り返し、そして憎しみはまた連鎖する」と思わずにはいられない。

 そう、彼らの博物館の作成の意図はどうしても「我々は過去これだけの虐待を受けたのだからここにいる正当性があり、その正当性の為にはパレスチナ人を壁に押し込めて我慢させるのはやむを得ない」といった類のプロパガンダにしか見えなくなってしまうのだ。(同様の理由で後ほど訪れたポーランドのアウシュビッツでは過去の悲劇だと思う以上にユダヤ人の生き残り戦略の一環としての裏の意図を考えてしまった。)

 確かに2000年前に追われた地に宗教心だけを拠り所に民族を保ち続け復国したという事は凄い事だろう。

 ただしそれ以上に民族の執念、宗教の持つ怖さを感じてしまうのは私があまり宗教心の無い国から来たからだろうか?

 
小学生の遠足、後ろの引率の先生がライフルを当たり前のように持っているのが印象的





 たとえば一軒の家があるとする。もう100年以上、数世代にわたって受け継がれてきたものだ。

 そこにある時突然屈強なボディーガードを伴った侵入者が現れて「そこは2000年以上前に俺が追い出された家だ」と言われ、 「今日からお前の部屋はここだ」と腕力に任せて家の一つの部屋に閉じ込められて鍵を外から架けられ、「出るときは俺に言え!」と言われ、そんな不自由我慢できないと裏口の窓から出ようとしたらボディーガードにボコられて部屋にたたき戻される。そう考えたらどうだろうか?パレスチナ人の気持ちとやらはこんな感じなのかもしれない。

 一方ユダヤ人にしてみれば「俺たちの生まれた土地」を追い出され、その記憶が宗教を媒体に保存され、帰れる時があったので昔自分の先祖を追い出した子孫を追い出したに過ぎないのだろう。

 2000年も前なら時効ではないのか?

 記憶が保存され続ける限り保存している側に時効は無いのだろう。いじめた記憶は忘れてもいじめられた記憶は一生トラウマで残るのが普通だ。
 ただそれが2000年と考えると宗教のカルトめいた怖さを感じざるを得ないだろう。 

ヘルツルの丘


新市街にある政府系の建物




 では怨念だけで帰ってきて建国出来るのか?

 当然それだけではない、必要なのは狡猾さと力だろう。

 国際社会はパワー・ポリティクス(武力政治、権力政治が日本語の訳)で動いている。

 単純に軍事力だけの話ではない、経済力、外交力等様々な要素があり、さらにくわえるなら時流に乗れるか乗れないかもあるだろう。

 2次大戦直後の欧米でルール付けられた世界の国際力学に上手く乗って宿願を果たしたのがこの国だ。

 日本に居ると綺麗事ばかりに目が言って「世界は一家、人類は皆兄弟」等と勘違いしがちだが、パワー・ポリティクスの現実が、ここでは日常として当たり前のように存在していた・・・




クネセット(国会議事堂)前のメノラー(蝋台)、イスラエル史に残る29の挿話が彫刻されている。



クネセット


近くにあるバイブルランド博物館、紀元前6千年から紀元6百年の出来事が時代に沿って展示されている


これはたまたま気に入って取った販売車


クネセットを奥に眺めた花時計





 例えばアメリカと言う国がある、「2000年前は我々の土地で今でも聖地であるから戻ってきてOK」理論に基づけば。

 「アメリカはインディアンに返却」

 というのが理論的な帰結だろう。

 だが白人が開拓という名で征服したこの国で力を持つのはもちろん彼らだ。

 イスラエルはユダヤに返却であってもアメリカはインディアンに返却という理屈は彼らの中では矛盾しない。

 国際社会で良くあるダブル・スタンダード。

 力のあるものに許される理屈だろう。
 



十字架の修道院


新市街の街並




 こうして書くと私がパレスチナ寄りに思えるかもしれない。

 だが、そもそも私には関係の無い事だ、旅行者として見たままの感情なだけだ。

 経緯はどうあれ双方に言い分があるなら我儘を押し通すには「パワー・ポリティクス」という名の「ジャイアニズム(ドラえもんのジャイアンの事)」で物事を処理しているという事をまざまざと見せつけられただけの事だ。




独立広場


新市街の街並






 この国を、この街を歩くたびに感じる違和感、それはこの街が他に類を見ないほど特殊な街だったからだ。


 アラブ人地区では余り見ない圧倒的に近代的なユダヤ人新市街の建物を見るとこの国の現在のパワー・バランスを感じざるを得ない。


 エルサレムはまさに世界の特異点とも言うべき街だった・・・







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