ギニア
2005.12.24(土)
「隷属の下での豊かさよりも、自由のもとでの貧困を選ぶ」
この国の初代大統領アフメド・セク・トゥーレが1958年のフランスからの完全独立を決める時、仏大統領シャルル・ドゴールに言った言葉として有名な台詞だ。
他の植民地国家がフランス共同体内の自治共和国として成立したことに反して完全独立を勝ち取ったこの国は、フランスがギニアの完全独立を認めるのと引き換えに一切の援助を打ち切り、それまで植民地行政官として働いていた白人たちも一切合切、それも書類どころか事務机までをフランス本国に持ち帰ってしまった為にギニアの行政・経済は独立の瞬間に麻痺状態となったという事だ。
西アフリカのフランス植民地であった他の国家が欧州基軸通貨であるユーロとレートリンクしたCFA(西アフリカ・セーファー・フラン)を用いているがギニアでは独自のGFr(ギニア・フラン)を使用していることからもこの国の独立後の歩みが他の国と違っている事が分かるだろう。
コナクリの中心部であるカロウム地区から北にぴょんと突き出した岬。真ん中建物はレストラン・ペティ・バトゥ
コナクリに滞在して2週間、他の国と独自の道を歩んできたこの国を眺めてきた。
スタート・アップが最悪だったこの国はいまだに貧困から抜け出せてはいない。大半の者は日々を生き抜く事に必死だ。
物価は他の国に比べて安いしインフラにした所でそれほど褒められたものではない。
そして西アフリカ諸国では少数派である官憲による賄賂請求がある、これは警官や軍人に対する給与が十分に払われていない、もしくは遅配されていることを示している。
将来は?
独立後にクーデターが起こり、軍事独裁政権が長く続いたこの国はこの貧困や政府の腐敗も酷くて先行きは不透明、少なくとも明るいものには見えない。
岬から眺めて
「貧しさの中の自由」、現代社会は何かとせちがらい世の中だ。国際経済が複雑にリンクするこの世の中は自国だけではどうする事も出来ない。資源が無ければ尚更だ。「お金よりも大切なものがある」、最低限食べる事に不自由しない先進諸国ではしたり顔でこう語るものもいるかもしれないが、このギニアではまず裕福でなければ自由も無い。という事が旅行者である私の目からでも見てとれるほど明白だ。
この国の選んだ道の正しさは未だに証明はされていないと言っていいだろう。
小舟が浮かんでいる様は中々絵になる風景
岬の突端に向かって遊歩道がある。
翻って私はどうなのだろうか?
今続けているファースト・ミッション、日本人にしてみればそれほど大した額ではないかもしれないが一般的なギニアの人々に比べれば天文的な額になるだろう。
普通に働いていれば稼ぎがそれほど多くなくてもどこかで贅沢を抑えていけば十分に世界旅行に行けるお金を貯められる。というのは日本の凄い所だ。
そして今私は”世界旅行をする自由を金で買っている”。
これがもしギニアで生まれてきていたら・・・
自分の人生の中にこれだけの自由を享受する瞬間を作れなかったことだろう。
私自身も「お金よりも大切なものがある」と思わないでもないが・・・
それでも「自由には最低限の裕福さが必要である」のかも知れない。
日本と言う豊かな国にたまさか生まれてきたこの私は幸運であったと言えよう。
”ただ生きる事”に日常生活の全てを捧げる事にならずに済み”どう生きるか”を考える自由があったからだ・・・
廃船、水がヘドロのようになっている。
隷属のなかの豊かさと自由の中の貧困・・・
詰まる話バランスの問題なのだろう。
どんな世界に生まれてきても所属する国家で会ったり共同体であったりの制約はある。完全フリーというのはまず無い話だ。
意識せずに所属社会の隷属化に我々は置かれている。
とはいいつつも一人の女王様の奴隷になってハイヒールでも舐め続けない限りは完全隷属というのもまず無いだろう。
自由はさまざまな制限が世の中にあるからこそ、”その制約の中での自由”と言う事で意味を持つ。
その制約が何もなければ・・・
それは自由ではなく”ただの無法”ではないのだろうか?
コナクリの中心部を眺めて
コナクリでの滞在はもう2週間目の終わりに近付いている。それまでは高速移動を繰り広げていた私だがここでは停滞している。体が止まる事によって頭が動き始め、そしてアフリカ大陸一周も終わりが見えてきたことも重なって、色々な事を考える余裕が出来てきていた。
今まで書いてきた事はあくまでも個人的な考えであり感情だ。なんのまとまりもないし全ての人が納得できるような回答など持ち合わせてはいない。
だが、こういったことを考えるのも良い事だろう。そしてこういった事を考えるようになったのも旅行に出たからに違いない。
それだけでも自分の中で旅行に出た価値はあったのだろう。
アフリカは貧困のチャンピオンズ・ロードだ。こういった世界の現実を見ていなければ日常ある自由の有難さに気付く事は出来なかったのかもしれない。
今まで訪れてきたアフリカ諸国、日本では当たり前のように感じている物の大半がここでは特別な事だった。
レストラン・ペティ・バトゥ(小舟の意)の中で
突端までいってから戻ってから寄ったレストラン・ペティ・バトゥ。
ここで海を眺めながらぼんやりとそんな色々な事に思いを巡らせていた。
ブログ「謎の日常」の記念すべき第1作目に使用した写真はここで撮ったもの。
ギニアにしては小洒落たレストランのペティ・バトゥ。
特注したアイスコーヒーとアイス・フロートを食べながら、私はこの「隷属と自由、豊かさと貧困」について私なりのある一つの結論を得るに至っていた・・・
そう、このプロフェッショナル・・・
「隷属の下での貧困よりも、自由のもとでの豊かさを選びたい・・・」
と・・・
洗剤の小袋、文章とは何の関係も無い・・・