ロシア
2006.09.25(月)
色々とあったペトロザヴォーツクを離れサンクト・ペテルブルグへと向かう。
ペトロザヴォーツク駅。下左は展示してあった機関車
3等寝台の真中は想像以上に狭く、寛いで寝れるかどうかが不安だったが疲れもあったのだろう、知らず知らずのうちにに眠っていた。
車両の中、上左はシーツ袋。ちなみに下のベッドが開いてそこに荷物を詰めていく。
2006.09.26(火)
朝の起床は自動的に周りに合わせる事になる、限界まで寝ていたいが真ん中の寝台はその自由を許してはくれない。
朝焼け
目的地のサンクト・ペテルブルグへ到着したのはまだ薄暗い朝の07:00時頃、メトロを乗りついでお目当てのユースへ向かう事にした。
サンクト・ペテルブルグ駅
私が目指したのはエルミタージュ美術館直ぐ近くのホステルだ。20ユーロ(約3500円) とドミ部屋にしては高いが立地条件が抜群に良く、綺麗で朝食もついているとモンゴルの日本人宿で聞いていた。
サンクトのメトロ
ついついマクドナルドを発見したので食べてしまい、目的のホステルに到着したのは朝の09:30とサンクトに入ってから大分時間が過ぎた頃だった。
サンクトの街並、中央2枚はカザン大聖堂、そして下右はマクドナルド
「コンニチハ!」
ドミのキッチンで冷蔵庫にジュースを入れていると190cmを超える大柄な白人が声をかけて来た。
『?』
聞けばイングランド人で日本の英会話教室で2年ほど働いて今国に戻る途中らしい、日本で日本人の彼女も居たという事だ。
彼の日本語は片言の域を出なかったので英語で会話を続ける。そして日本で長年過ごしながら彼女一つ出来ていないこのプロフェッショナルとの違いにやや愕然としつつ、やけにフレンドリーなこの大柄なポールと名乗る男と無駄に雑談をして過していた。
またここで彼の友人の日本でしばらく英語教師をしていたチャーリーというイングランド人女性とディーというアイルランド人女性、そしてさらにこの宿に居た日本についこの前に観光に行ったというオリバーとルーシーのイングランド人カップルとも知り合いになる。
彼らとしばらく時間を潰し、今日の夕食と明日エルミタージュに一緒に行く事を決め、折角だからとポールとオリバー、ルーシーのカップルと私の4人で連れだって観光を始める事にした。
ホテル直近のエルミタージュ美術館、ちなみに1分も歩けば見える!
最初に目指したのはイサク聖堂だ。
世界でも最も大きな教会の内の一つであるこの場所は高さが101.5m、ビルで言うなら30階建てに相当し、そこからはサンクト・ペテルブルグの街並が一望出来るのだ。
イサク聖堂とそこからの眺め
ドームからの展望は素晴らしい物だった・・・と、思いたい。
実を言うと高さが比較的揃えられていて目立つアクセントがそれ程多くないサンクトの景色はやや平板に映ってしまっていたのだが、そこは気にしたら負けなのだろう。見れたから良い。そういうことにしておこう。
サンクトの街並
ここでサンクト・ペテルブルグについて少し説明をしておいた方が良いだろう。
「聖ペテロの街」を意味するこの都市は旧ロシア帝国時代の1700年代に西洋風の都市に憧れたピョートル大帝によって運河を開拓して建てられたドイツ風の名前がつけられた人工都市であり、また旧ソビエト時代にはレニングラードとも呼ばれた街である。
西洋風となると旅行界ではこのプロフェッショナルだ。ロシアにある西洋風の都市、それも旧ロシア帝国の首都ともなると訪れる理由は十分にあるだろう。
そして今回のタイトル「セント・ピーターズバーグ」というのはこのサンクト・ペテルブルグの英語読みだ。現地語を極力そのまま仮名表記にする日本ではサンクト・ペテルブルグが一般的だが今回一緒に居た連中は全てイングランド人だったので知らず知らずセント・ピーターズバーグと言うようになってしまっていたので敢てタイトルもそれに揃えて見たのだ。決して『サンクト・ペテルブルグってセント・ピーターズバーグって呼ぶんだぜ』と知識をひけらかして自慢したい訳ではない事も併せて付け加えておこう。
若干話がそれたが私はネヴァ川を渡って対岸に向かう事にした。
ネヴァ川からの景色、右下はロストラの燈台柱
途中軽い軽食を取る、ちょっと良さげなレストランはパンにコーヒーで200ルーブルと日本で食べるより少し高く感じる値段だった。
ネヴァ川に昼食
対岸のペトログラード地区に渡って目指したのはペトロハブロフスク要塞だ。
対岸から市の中心を眺めて、一番下は砲兵博物館
ペトロハヴロフスク要塞
要塞にあるペトロハヴロフスク聖堂の中
要塞から対岸の市の中心を眺めて
要塞から出てぐるっと今度は周り込む形で戻る事にした。
要塞の外側。
トロイツキー橋を渡って中心側へ戻る。
ペトログラード側の市街とトロイツキー橋からの景色
そしてレニングラード防衛とバリゲード博物館付近の広場を抜けて”血の上の教会”と物騒な名前を持つ教会へと向かう。
レニングラード防衛とバリゲード博物館付近の広場、エターナル・フレーム(永遠の炎)が灯されている
運河の眺め
血の上の教会
モスクワにある聖ワシリー聖堂に匹敵する外観を持ちながら“血の上”と何とも物騒な名をつけられたのには訳がある、1883年から25年の歳月をかけて建てられたこの教会は1881年に時の皇帝アレクサンドル2世が暗殺されたまさにその場所の上にあるからなのだ。
そしてこの教会は外観の派手さに引けをとらず、内装も豪華絢爛で世界でも有数なモザイク画を持っているのだ。
中
もう一度外観を・・・かなり気に入ったので写真を結構撮っていた。
夜は一度彼らと別れ、待ち合わせ場所を決めて夕食を取る事にする。
最初のお目当てのレストランの付近で待っていると年配のロシア人女性が話しかけてくる、聞けば「日本でバレエを長年教えていた」そうで、私が日本人だとわかると「困ったら」と連絡先まで教えてくれる親切っぷりだった。
それにしても今日は日本に縁のある外国人に頻繁に接触する一日だ。
夜のサンクト。
食事を終えてバーに行き少しアルコールを入れて夜のサンクトをぶらぶらと歩く。いつか日付変更線は超えていた。
夜のサンクト、またわざわざ橋を渡って対岸から景色を眺めた
ネヴァ川にかかる跳ね橋は船の運航の為に夜になるとある時間帯は開放される
電波塔にエルミタージュ
ようやく宿に戻ったのは夜の03:00時過ぎ。
朝からひたすら動き続けた一日だったが充実した一日でもあった・・・
下の2段がエルミタージュ美術館