イラン
サラフス→マシュハド(タクシー乗継)
基礎データ(2018外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:1,648,195平方キロメートル(日本の約4.4倍)
2.人口:8,000万人(2016年,世界人口白書2016)
3.首都:テヘラン(約800万人)
4.民族:ペルシャ人(他にアゼリ系トルコ人,クルド人,アラブ人等)
5.言語:ペルシャ語,トルコ語,クルド語等
6.宗教:イスラム教(主にシーア派),他にキリスト教,ユダヤ教,ゾロアスター教等
7.通貨:イランリヤル(IRR) 1IRR=100ディナール。10000IRR≒140円で計算。
※ブログの日付は旅行当時に合わせてますが、帰国後10年以上経てから記事を書いているので実際のアップ日は2021.11.03です。
2007.09.18(火)
時計を1時間半巻き戻し・・・
と言いたい所だが実際はデジタルだ。
何の情緒もなく、ただボタンを押してイラン時間に併せる。
早速50USドルを両替、2回目のイランがこれで始まった。
9000リヤル(130円弱)/1人払って国境街の、トルクメニスタンと同じ名前の街サラフスへ移動。
そこから長距離のシェアタクシーでマシュハドを目指す。
レイ、エースと3人なのでタクシーを捕まえるのは簡単で3人で7万リヤル(約1000円)だった。
15:00時、サラフスを出発。
多分黄色から白への乗換だと思うけど忘れた。
窓の外を眺める。
2度目のイラン・・・
またここに来るつもりはなかった・・・
ただトルクメニスタンのトランジットビザを取るにのまずイランビザが必要で、そのトルクメニスタンの出国もカスピ海越えでアゼルバイジャン狙いをすると失敗したらトランジットオーバーでコストが一気に増大するので選択し辛い。
そしてレイもエースも元々がイラン経由の予定だ。
こうした色々な条件が重なった事もあるが、それ以上にイランは好きな国だったのでこれ幸いにと2度目の入国となったのだ。
道中で
18:00時、マシュハドに到着、タクシーで市内に出て、歩き方に出ていたアパートの一室を3人で借りる。
一人4万リヤル、2泊予定。シャワーもトイレもキッチンもついているので良い条件だ。
夕食は何かのセットにコーラ。
取り敢えずはホッとした。
夕食。
2007.09.19(水)
朝3人でアパートを出てハラム(ハラメ・モッタハル広場)へ向かう
以前も見てる(「シーア派の聖地(マシュハド:イラン)」)がここに来たからにはハラムには行くべきだった。
年頭に来た時からたった半年ちょっとなのに、あからさまに写メを撮る人間が増えている(ハラムの中でのカメラ撮影はNGだが携帯では何故かOK)
エースが携帯を持っていたので彼の写真を後で頂いた。
宿近くのショッピングセンターみたいなスーク(市場)を抜け
午後は寝て夕方はネット。
夕食は中東で最終的に行きつく「チキンとライス」
まだ2日目なのに食生活は早くも末期だった・・・
2007.09.20(木)
朝からレイと私が体調が悪く、エースにお願いして1泊余分に泊まり何とかバスのチケットだけ抑える。
エースは観光に向かったがレイと私は宿に戻り、横たわりつつ交互にトイレに出入りする。
食事は同じところで3人摂っていたのにエースだけ当たってないのは彼が頑丈なのか?
それともレイと私はトルクメニスタンを抜けるまで気を張り過ぎだったのだろうか?
ほぼほぼグロッキーで滅多に手を出さないバナナで何とか糊口をしのぐ。
夜にはハムやパン、チョコを食べるまで回復したが、それにしても折角の一日が台無しだった。
2007.09.21(金)
朝になりレイも私も普通に動ける程度に回復してホッとする。
今晩こそは移動だ。
10時に宿を一旦出てハラムを見納めし、ネットをしてから14時にチェックアウト
やる事も無いので見納めたハラムにもう一度見納めに行くと何故かパンが貰えた。
またしてもやる事が無くなり、ネットをしてから16時にタクシーでバス乗場へ移動。
17時に出発。
最下段がバス停と長距離バス
ほぼダウンの日々だったが、2度目のイランの最初の地、これも2度目の聖地マシュハドを跡にした・・・
※当時の記事は「謎の日常」「聖地マシュハド(マシュハド:イラン)」を参照。