中華人民共和国
上海→西安
基礎データ(2019外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:約960万平方キロメートル(日本の約26倍)
2.人口:約13億人
3.首都:北京
4.民族:漢民族(総人口の約92%)及び55の少数民族
5.言語:漢語(中国語)
6.宗教:仏教・イスラム教・キリスト教など
7.通貨:中国元 1元=約17円 ※いずれも2006-2007年当時
※ブログの日付は旅行当時に合わせてますが、帰国後10年以上経てから記事を書いているので実際のアップ日は2021.1.23です。
2007.07.01(日)
上海出発から20時間、14:00時に西安到着。
歴史上ではかつて様々な王朝の首都となった長安の名で知られる場所だ。
駅は城壁の縁、そこから歩いて中にある近くのユースへ向かう。
30元支払いドミに行くと日本人の旅行者がいたのですこし話し込む。
駅、最下段はユースホステルの7賢国際青年旅社
16:00時、ホステルを出て市内観光しながらCITS(中国国際旅行社)を目指す。
ただ残念ながら到着した17時にはクローズ、明日へ持ち越しだ。
マックを探して夕食を摂ってから少し市内をブラブラとする。
左上:鐘楼。中段以下は新市街
19:00時、ホステルに戻り、のんびりと過ごす。
長い移動が終わった日はこの程度で十分だ・・・
2007.07.02(月)
08:30時、朝はホステルで優雅にアメリカン・ブレックファースト
中国入国以降、マックと吉野家以外の初めての外食だ。
食事をしてからガイドブックに載っている蘭州の敦煌旅行社へ電話してラサ行の情報を色々と確認する。
1分3角(角は補助通貨で1元=10角)で5元分、そして一旦電話をおいてからまた元、合計20分以上は話し込んだ勘定だ。
ただまだ調べないと分からない事もあるので午後電話する約束をする。
11:30時、宿を鐘楼ユースホステルへ移る。
今いる七賢人はとても綺麗だったが、備え付けのネットは日本語不可、またトイレの個室の扉の下の隙間が西部劇のバー入口扉みたいに高すぎて落ち着かず、雨でやる事も無いので宿を移るには丁度良い日だ。
またしばらく時間をおいてから敦煌旅行社へ電話を3度かける。
合計で5元程度支払っているからまた15分ぐらいは話した勘定だ。
分かった事はラサに行くには許可証が必要で西安では不可能だということだ。
ただ蘭州からなら手配出来、最短だと7/7に行けるという事だ。
そこで写真付きのファックスを送ったが、細かい話は直接会って聞かないとダメだろう。
いずれにしても対応してくれた王氏はとても親切だったので好印象だ。
夕食はローカルのKFCファーストフード
ホステルに戻って蘭州行の鉄道チケットの代行手配をお願いする、結果は明日わかるらしい。
ホステルの朝食、18元。
2007.07.03(火)
朝10:00時、ホステルでまたアメリカンブレックファースト。
七賢人でもこちらでもイングリッシュではなくアメリカンなのはちょっと残念だが贅沢は言えないだろう。
そもそもここはチャイナだ。
食後、レセプションで鉄道チケットの予約を確認すると「多分大丈夫」と返ってくる。
答えが「メイヨーでないなら大分大丈夫」だろう。
人に預けた事をこれ以上悩んでも仕方ない、それよりも観光だ。
11:00時、鐘楼から市バスで西安駅へ向かい。郊外バスに乗り換える。
12:30時、目的地の秦始皇帝陵に到着。
左上:朝食、右上:大学。中段:当時のブログで載せた世界八大奇跡館。下段:秦始皇帝陵入口
国際学生証は通用せず、きっちりと40元。
これも始皇帝の威光というものだろうか?
始皇帝陵
個人の墓と考えると凄い規模の大きさだが周りにこれといったものは無いので単なる丘に過ぎない。
その上から辺りを睥睨しながら浮かんだのは
「中学生の頃、皇帝の名前を聞いた時最初に思いついたのは始皇帝でシコッ〇イという若さ溢れるダジャレだった」
等という下らない思い出だった。
始皇帝陵を出てバスに乗り向かったのは兵馬俑博物館。
少なくても歩いて簡単に行ける所にしてくれなどと思いつつ、入場料を払うと今度は国際学生証が通用する。
皇帝の威光はここまでは及ばないのか?それともただの運なのか?
係員を見てると後者の匂いしか漂わせていなかった。
始皇帝陵から兵馬俑へ
中は圧巻と言えば圧巻だが、体育館に集まった学生にも見える。
これは良いのか悪いのか?
いずれにしてもここは歴史に浸らせてはくれないらしい・・・
兵馬俑、数は圧巻。
14:30時、兵馬俑から市バスで街へ戻る。
始皇帝陵は悪くは無かったけど、過度に整備されているのはどうも私の感覚には合わなかった
市バスで市内へ
戻ってから敦煌旅行社に電話して確認すると、どうやらチベットへの入域の規定が変更になったらしい。
直ぐには考えがまとまらないのでネットをやってから夕食へ。
デンマーク人のクラウスと話し込みながらホステルで食べたのはチャーハン。
入国してから初めての中国らしい飯だ。
上段:鐘楼、下段:鼓楼
2007.07.04(水)
10:00時にブレックファースト、昨日同様アメリカンだ。
50元払って延泊にする。
外は大雨、取り敢えず元が必要なので中国銀行へ向かうとその前でストリートチェンジャーに捉まる。
レートは銀行よりやや良いと言った程度だろう。
それならば信頼を取ろうと思ったが、両替商は「君のことは騙さない」とばかりに銀行備え付けのニセ札判定機で紙幣を調べてこちらを納得させてくる。
それ(勝手にニセ札判定機を使う事)で良いのか悪いのか?
釈然としないがここは私の負けだった。
この雨ではこれと言って何かやる気もしない。
それ以上にチベットの件も気になっていたのでネット屋に沈没して時間を潰しながら調べてみる。
どうやらアメリカ人が最近フリーチベット運動(チベット独立運動)の宣伝したので入境が厳しくなったらしい。
この所為で敦煌旅行社が押さえてくれていたラサ行のチケットもキャンセルとなる。
ただのツーリストにとってはチベットがフリーであるかどうかは2の次で「自分が行けるか行けないか」が最重要事項だ。
アメリカ人は、フリーチベット等と余計な大弁を振らわず、フリーインディアン(ネイティブアメリカン)をやるのが筋だろうと悪態こそついてはみたが、決定権が私に無い以上、新しい仕組みの中でどうするかを考えざるを得ないだろう。
いずれにしても面倒だ。
良かったのはお気にいりのマックのチョコサンデーが食べれた事ぐらいだろうか?
夕食はホステルでフライドライス。
と、言葉は変えたが要するにチャーハンだ。
またネット屋で沈没して串肉を食べてホステルに戻る。
受付で聞くと明日の夜の蘭州行の鉄道チケットが取れている。
朗報だった。
2007.07.05(木)
10:00時、アメリカンなブレックファーストもそろそろ飽きたので朝マック。
マフィン無しは期待外れだったがホットケーキで妥協する。
そして昨日も買った中南海(タバコ)をさらにワンカートン買い足す。
一旦ネットカフェに行って所在無く時間を潰す。
市内
ネットカフェを出て清真大寺へ向かう。
清真大寺
木造のイスラム寺院は珍しい。
というか、多分初体験だ。
清真大寺
寺の周りの商店街はどこかイスラムの香りを感じさせる。
悪くはない。
イスラム風な商店街。サダムフセイントランプも売っていた。
天気は相変わらず良くないが、今日しか時間は残っていない。
好天になるまで待っていた大雁塔へ、止む無く登ることにした。
大雁塔
景色は良いかそれだけだった。
塔の上から
夕食は変わり映え無くホステルでチャーハン、そのまま荷物をピックアップしてネットカフェへ。
3時間ちょっとネットしたら小腹が空いたので、マックでフィレオフィッシュのセットを食べる。
21:30時、バスで西安駅へ向かう。
夜なのに大混雑する駅を23時少し前に出発。
西安駅
中国の大都市は北京、上海でもそうだったが西安もどこか同じような感じだった。
中国が社会主義市場経済に舵を切ってからまだ10数年。
見た目から整えているのなら、建築物が変わっても雰囲気は似たり寄ったりになるのだろうか?
それぞれが歴史のある都市なのに、どこか金太郎飴感が抜けないのだ。
そう考えると気分が急いだことが原因だが、日本出国時に考えていた南京や洛陽をスキップしたのは結果的に正解なのだろう・・・