自称独立国の首都(ハルゲイサ:ソマリランド)

ソマリランド エチオピア





エチオピア


2005.02.19(土)

今日の出発は遅い、またここに戻ってくるのでソマリランドへ行くのには必要最小限の荷物でいいと判断して泊まっていたウトマ・ホテルにメインサックを預けることにした。

森田氏と合流してジジカ行のバスの発着場へ向かう。珍しい夜行バスだがこれはエチオピア人ではなくソマリ人が運行しているのからだ。出発は1700時だった。

2005.02.20(日)
ジジカには0930時に到着、バスを乗り換えて国境へ向かう。ソマリランドのイミグレは私の事を覚えていて「良く来たね」と挨拶してくれ、相変わらず感じがいい。


ソマリランド


国境を越えるとハルゲイサ行のシェアタクシー(ステーションワゴン改造型)はいやにあっさりと見つかる。
幸先は順調だ。

それにしてもソマリ人は背が高い。痩身でありながら190cmを超える男がゴロゴロとしている。
私にしてみれば昔写真で見たNASAにさらわれた宇宙人になったような気にさせられる。

ハルゲイサには1400時に到着。その名もずばりホテル・ハルゲイサにシングル6ドルでシャワー・トイレ付の宿を取る。時間が中途半端だったのでこの日はホテル近郊をぶらぶらと歩いて観光する。

市の中心では金網のついた籠(鶏小屋を思い出してもらうといいだろうか?)の中に無造作にソマリランド・シリングを大量に詰め込んだ路上両替がずらりと並んでいる。
1US$が約6000ソマリランド・シリング、とはいっても紙幣の最高額は500シリング札なので10ドル両替するだけで120枚もソマリランド・シリングを受け取ることになる。

ちょっとした成金気分だがその分お金の減りも早い。

独立広場にある戦闘機のモニュメント


夜は森田氏と彼の50ヶ国記念も兼ねて会食をする。注文したラクダ肉、私には付け合せの野菜が少し多すぎたようだった。


2005.02.21(月)


ハルゲイサは盆地にある街で標高は約1300m、日差しはそれなりに厳しいがそれ程暑さを感じない。

森田氏は昨日一日で満足したらしくジブチへ向け朝早く出発していたが、私はここで今日一日この街をじっくりと眺めたいと考えていた。

地図もない見知らぬ場所だと私はホテルに頼んでタクシーを時間でハイヤーすることにした。市内観光を前提に一時間10ドルを9ドルにと交渉する。ホテルが一泊6ドルの国でこの値段は破格に高く感じる。

だが、この選んだドライバーは最悪だった。英語が喋れないのはそれ程の問題では無かったが、時間でお金が貰える事に安心したのか車を素晴らしくゆっくりと走らせたのだ!時速10km出ていたかどうかという所だろう。

私の最初の行き先は観光局だった。タクシーはすぐ近くの観光局に10分ぐらいで到着、しばらく待つようにいい、私は中に入る。そこにいたユースフという男は英語を流暢に話し、私に色々と説明してくれる。

私はハルゲイサの地図が欲しかったのだがこれは発給はしていないらしい。ただ、他の方法があるかもしれないので回答に時間が欲しいと言ってくる。また、彼は親切で、午後になったら英語を話せる友人を紹介してその彼にガイドをして貰えるようにするからホテルで待っているようにと提案してくる。

この国は自称独立国だ。世界から認めて欲しがっているその熱意の表れなのかもしれない。私は喜んでその申し出を受けることにした。

またハイヤーしていたタクシーに戻ってホテルの方に戻るように伝える、彼は運転は相変わらず素晴らしく遅い、こちらが急がせても途中いきなり携帯をかけて話し始めたり、そして知り合いらしき人をいきなり乗せたりまでしてきていた。

一時間9ドル、車を動かさなければ動かさないほど彼の儲けが増えるのは確かだが彼は露骨にやりすぎていた。

私は流石に頭にきて、それまでの一時間分を投げつけるように支払ってタクシーを降りる。

彼は一瞬あっけにとられ、私という乗客を逃すまいと後ろから大きく声を掛けてきたがもうその声を耳に入れるつもりはなかった。背を向けたまますスタスタとその場を去って行く。

ホテルで調整して貰って雇ったタクシーなのに、コイツは最悪だった。

私は市内観光しつつホテルに戻ってユースフを待つ。

午後になると彼は約束通りに現れる。先程私が聞いてた地図に関してはパソコンに入っているものをプリントアウトすれば渡せるけど枚数が多くなり、費用が15ドルもかかるということだ。そうまでして手に入れたいものでは無い。ハルゲイサの地図は諦めることにした。

しばらく話していると彼は車に乗るようにと勧めてくる。先程タクシーで嫌な目にあったばかりだったので少し警戒したが、彼はあくまでも良心的だった。

車の中で彼はそれまでと少し変わって「チャット(麻薬効果のあるはっぱ)はどうか?」と勧めてきたり、「ソマリ女性はいいぞ、よければ紹介してあげようか?」等と観光局に勤めている人間とは思えないような勧誘をしてきたのにはちょっとびっくりさせられたが、車は何事もなく目的地に到着。

彼が紹介してくれるといっていた男はここで小学生、中学生に英語を教える教師だった。

ユースフは用事があるらしく私は彼にお礼を言って別れる。紹介してくれたこの男にガイド料が必要なのではと思ったので聞いてみたら「まったくの無償で良い」ということだった。

この男の名はオマル氏といい、彼のお陰でその日の散策は楽しい物となった。

ちょっと街の外れから眺めたハルゲイサ市街、ここでも相変わらず中心部の撮影はしていなかったの後で悔やまれる。



彼もそうだったが出会うソマリ人は大抵の場合親切だった。

国境のトゥグ・ワジャレからハルゲイサまでの間は英語の喋れるソマリ人が何かと面倒をみてくれたし、市内の本屋で地図を探していた時に応対した店員は気さくで、「今この国に地図はないけどいつか俺がこの国の歴史と地理を綴った本でも出してあげるからまた買いに来てよ」と言ってくれたり(この文房具屋でソマリランド国旗入りの学習ノートが売っていて、それを買わなかった事を後で後悔した)、その他にも色々と人の親切を感じることが出来た。

またおなじソマリ人でありながらジブチの様に午後になると葉っぱを噛んでいる人間も殆ど目に入らない所も好印象だった。

人ということではエチオピアやジブチと比べるとその差は雲泥なものに感じてしまうほどだ。

ただ、一度びっくりしたのは私がオマルと一緒にエチオピアに行くタクシースタンドにいって時刻を聞き始めた時に何故だか分からないが、どんどん周りのみんなのテンションがあがっていって掴み合いの喧嘩が始まった事ぐらいだろうか。

彼らは激高していても決して私に手を挙げようとしなかったから何に対して怒ってそんな事になったのかは今を持って謎である。




2005.02.22(火)


こうなってくるとソマリランドの港町であるベルベラも気になったいたが、日本大使館との約束もあり、ハルゲイサを見るという必要最小限の事も終わったので私はエチオピアに戻ることにした。

シェアタクシーに乗って国境へ向かう。

国境途中の景色、道路は舗装されていない。


国境に到着してイミグレへ。壁にかかってあるソマリランドの地図が気になって写真に撮らせて欲しいとお願いすると快く了承してくれる

イミグレの壁にかかっていたソマリランドの地図。


国境を越えてエチオピアに、ソマリランドへのショート・トリップはここで終りを告げた。

総じてここの国の印象は良い物だった。自称独立国ということもあり、皆でこれからこの国を作っていくという雰囲気があり、また自分の国を認めてほしいという思いから人が外国人に対して親切だった(ちなみに独立宣言は1991年に行っている)というのもあるだろう。

ソマリアと聞くと「危険」としか思わないが、このソマリランド、ここは全く別の国だった。


エチオピア

この日私はバスを乗継ながらディレ・ダワまで戻る。

国境を越えてから間もない頃の景色。



2005.02.23(水)


ディレ・ダワからアディスへは普通にバスで戻る。朝早い出発だったが到着したのは夕方だ。

私はウトマ・ホテルに戻って部屋を確保してからパーク・ホテルへと向かう。
以前エジプトからスーダンまで一緒だったほぼ同年齢の日本人が泊まっていたので彼と夕食を取ることにした。
彼は大学卒業以来アルバイトと海外放浪を繰り返していた男(インドにはなんと6年もいたらしい)その仇名も凄く「ゴッド」の異名が奉られていた。



2005.02.24(木)


この日は日本大使館へ、それまで電話等で連絡はきちんとしていたのだが、一応無事に帰ってきたのでその報告をと思ったからだ。
彼が心配してくれていたのは見てとれた。森田氏もまだ帰ってきていなかった(日程を計算すると彼は早くても私よりも1日余分にかかる計算になっていた)事もあるが取り敢えずは一人戻ってきたのでホッとしている様子であった。

だが、彼にしては制止したにも拘らず行ってしまった事は気に入らなかったのだろう。若干のお小言も頂戴する。彼の心情も理解できるが、私は今回のソマリランド行で日本大使館の情報収集の限界も見えていた。彼ら政府の人間は直接その場に行く事は決してなく(実際に行って攫われでもしたらそれこそ大問題だからそれはそれでいいのだが)、現地の最新情報もあくまでも伝聞により、またその情報も彼等のいる国からの見方によって偏向がかかっているというのがその結論だ。

勿論私はただの旅行者だ。ソマリランドをちらっと見たからと言ってその国が分かるとは思わない。

それに自分が安全に帰ってきたからと言って「ソマリランドは安全だ」というつもりもない。旅行に危険はつきものだし、危険と言われる国にはそれなりの理由がある事も確かだ。そして被害に遭う遭わないは運によっても左右される。100人行って99人帰ってこれる国なら安全と言えるだろうが今回は一回行って一回帰ってきた。それだけの事だ。

だが、百聞は一見にしかずという諺にもあるようにその場所に行って見るという行為は多くの物をもたらしてくれる事も否定する事は出来ないだろう。

だからこそ、私は例えチラッとだけであっても訪れられる限りの国に行きそこの首都を見てみようと決めているのだ。

行った事の無い彼には実際に見てきた私のこの感覚は決して理解できるものにはならないだろう。


私は日本大使館を後にしてホテルに一度戻ってからまたパークホテルのゴッドの所に遊びに行く。

この日の夜、森田氏がアディスに到着。彼もなんの問題もなかったようでホッとする。

これで私のソマリランドに関連する一連の流れが全ての終りを告げることになり、ようやくソマリランドが終わったという気分になる事が出来た。






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