106ヶ国目の首都(ダッカ:バングラデシュ)

バングラデシュ

コルカタ(インド)→ダッカ(バングラデシュ)

基:礎データ(2019外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:14万7千平方キロメートル(日本の約4割,バングラデシュ政府)
2.人口:1億6,365万人(2018年1月,バングラデシュ統計局)
3.首都:ダッカ
4.民族:ベンガル人が大部分を占める。ミャンマーとの国境沿いのチッタゴン丘陵地帯には,チャクマ族等を中心とした仏教徒系少数民族が居住。
5.言語:ベンガル語(国語),成人(15歳以上)識字率:72.9%(2017年,バングラデシュ統計局)
6.宗教:イスラム教徒88.4%,その他(ヒンズー教徒,仏教徒,キリスト教徒)11.6%(2017年,バングラデシュ統計局)
7.通貨:タカ 1TK≒2円で計算。(※2007年時のレート、また1TK=100P ポイシャという補助通貨があるがほぼ使われてない)

※ブログの日付は旅行当時に合わせてますが、しばらく経ってから記事を書いているので実際のアップ日は2020.09.01です


2007.05.01(火)

 朝5時にヤジさんと一緒にタイムスター(宿の名前)をチェックアウト。
 数日後に戻る予定なのでお互い小さなリュックだけ持ち、大きな荷物は預けていた。

 バスは6時に出発、朝食付きだ。
 こんな時いつも残念なのは偏食で、食べれる物は限定的だ。

このバスはインド国境までだった。


 08:30時、国境のベナポールへ到着。
 越境前にコーラを飲み、 幾許かのインドルピーをタカに両替する。

 大したことの無い入国の手続きが終わり、時計を30分進めて106ヶ国目のバングラデシュに入国。

 尚、今回記事にするまでこの国をバングラディッシュと覚え間違えしていた事は公然の内緒だ。(過去に書いていた記事も思いっきり間違えていたのでシレっと訂正した)。
 突っ込まないで下さい・・・

 広大なインドをしばらくの間北上してたので、久しぶりの新しい国だ。

 アジア横断のメインルートから外れる事もあって、この国はメジャーなインドとは違って地球の歩き方の守備範囲外。
 旅行人という少々マニア向けのガイドブックが何故か儲けに繋がりそうもないこの「バングラデシュ」を単体で出版していたのでそれを頼りにする。

 国境を越えて乗換えたバス(※会社は同じ)のシートが生まれて初めてのマッサージチェア!
 これは106ヶ国目のささやかな祝福なのだろうか? 
 数字にメモリアル感は皆無だが出足は悪くない。

上はただ見かけたバス。中段以下が乗り換えたバス、マッサージチェアにびっくり。


 バングラデシュは元々はインドから宗教的な理由で物別れした国だ。
 なのでこの辺りの民族はベンガル族がメインになるので人種的にはそれほど変わった感じはしない。
 ただインフラはあまり良くないインドよりさらに一段階下がった印象だ。
 アジア最貧国の一つと呼ばれるのも頷けてしまう。

 それでも一昨年居たアフリカ中央部や西アフリカの大半に比べればマシだった。

 14:30時に一度休憩を取り、15:00時、フェリーに乗り川を渡る。

休憩所とフェリー


 中央、西アフリカ旅行時、川を橋で無く船で渡る事がしばしあったがここ最近は無縁だった。
 そんな事を思い出し、何か懐かしくなっていた。

フェリーで川を越えて

船橋も見せて貰えた




 ここは河川の国だ。
 対岸へ渡るのにフェリーで約2時間、これだけかかるのなら架橋は非現実的なのかもしれない。
 それ以上にこの国のインフラは脆弱だった。

 19:30時、ダッカに到着、既に暗くなっている。
 ヤジさんとオートリキシャをシェア。
 真っ先に気付いたのは運転席と後部座席の間に金網が張られている事だ。
 ここの治安はどうやらあまり良くないらしい。
 2人で70タカが高いか安いか分からないままモティジール地区にあるホテル・アルラザック・インターナショナルへ向かう。
 以外と遠く、30分ほどかかって到着。
 
 首尾よくツインの部屋が取れたのでシェアにする。
 旅行人に美味しいと書かれていた1Fのレストランのマトンカレーは悪くない味だった。

レストランで


2007.05.02(水)

 10:30時、起きて1Fのレストランで朝食。
 シングルが2部屋空いていたのでツインから移る事にする。

アルラザック・インターナショナルから眺めた景色とその前の通り。


 11:30時、ヤジさんと一緒に宿を出てリキシャでスタジアムへ向かう。2人で10タカ(20円)は例えボッタくられていたとしても格安だ。
 そこから次の目的地へのチケットを買いにBIWTC(バングラデシュ内陸水上交通公社)を訪れる。

ホテルからBIWTCまで。オートリキシャは金網付き


 ここは祝日の為にクローズ。早速一日の出鼻を挫かれる。
 
BIWTC


 用事が果たせないなら、観光するしかない。
 
 歩いてコムラプール駅(ダッカ中央駅)へ向かう。

コムラプール駅


 ここから鉄道に乗る予定は無いのでただの見学だ。

停車中の列車に入って撮影。


 時間があればここから乗って色々行きたい所だが、そこまでの時間は持ち合わせていない。
 眺められただけで満足するべきだろう。

鉄道駅で


 駅を出てオートリキシャを捉まえ、パーリアメント(国会議事堂)へ向かう。
 2人で100タカ、メーターを眺めると85と表示されている。
 2人ならやや割増になるのか?
 単にボラれたのか?
 一人あたりにすると14円程度の事だったのであまり気にしないことにした。

駅からパーリアメントまで。上段右:ダッカシェラトン。最下段が議事堂


 国会議事堂はアメリカ人建築家ルイスカーンの設計で東パキスタン時代の1966年に着工、1983年に完成したダッカで最も有名な観光名所の一つだ。 
 中の見学は出来たか出来ないのか?問い合わせて無いので不明だ。
 ただ外観の立派さはこれまで見て来たこの国のインフラの脆弱さと比べて明らかにそぐわない物だという事ははっきりとしていた。

 暑いので一旦コーラとアイスで喉と胃袋を潤してからまたオートリキシャで先へ進む。

 次に訪れたのはブッディジビデール・ショヒド・ミナールという、独立戦争中に西パキスタン軍に殺された知識人犠牲者の碑だ。
 近くにスラムもあるのでダッカの現状や歴史を考えるには良い場所と書かれていたが、ようするに単なる墓なのでわざわざ訪れるまでも無かった。
 早々に切り上げ、オートリキシャでボシュンドラ・シティへ向かう。
 
ブッディジビデール・ショヒド・ミナールとボシュンドラ・シティ


 14:00時到着。
 ここは国会議事堂以上にダッカにそぐわない場所だった。
 
 2004年に完成した南アジア最大のショッピングモールは近代的であらゆる物が揃っている。
 ただ、祝日なのに大勢で賑わっている様子が見えないのは、ここで買物出来るのが極く一部の層に留まっている事を物語っていた。

ボシュンドラ・シティ


 パチショップが多数並ぶフードコートは閑散として薄暗い。
 色々と興味は惹かれたが、お腹は減っていない。
 記念にと胡散臭い31でアイスを食べる。
 ここは日記には「偽物」と書いていたが、調べると実は本物だったので「パチショップを味わう」という本来の目的から外れてしまったのは私の不徳と致す所だろうか?

最下段の31だけ本物。実は最初偽物だと思っていた。フードコートは閑散としていた。


 展望カフェがあったので、そこでコーラを頼んで景色を眺める。
 中々高い所から眺められる場所が無かったので、ここは良いスポットだ。

ボシュンドラ・シティの中とそこからの景色


 16:00時、ボシュンドラを出て次の場所に向かう。

2階建てバスは思わず乗りたくなった。


 17:00時、一度見ていたシェラトンに到着。
 ここで地図とコインのセットを購入。
 紙幣の最小単位が1タカ(2円)なので、コインの流通は見られない。
 60タカ(120円)はべらぼうなボッタクリにも見えるが、流通してない全ての硬貨がセットされているので集める手間暇を考えると格安だ。
 それ以上にコレクションしている首都地図も入手できたので満足な買い物だ。

 街並観光がてら、歩いてホテルへ戻る。

シェラトン。下段右は国立博物館


下段右はスフワルディー広場

モスク

カーゾンホール


中段左:スターモスク

モティジール地区へ


 1時間ほど歩きホテルに到着。
 夕食は1Fのレストランでチキンカレー、これも悪くない。
 フェリーの予約が取れなかったので今一つ落ち着かないが、月は綺麗だった

ホテルの部屋から。ヤモリ?が居た。



2007.05.03(木)

 09:30時。1Fのレストランで今度はチキンライス
 食べ終えてからヤジさんとまたBIWTC(バングラデシュ内陸水上交通公社)へ向かう。
 流石に開いている。
 航路の終点まで、クルナまでのチケットは買えずに途中のボリシャルまで、それも欲しかった1等キャビンが取れなかったので2等席を300タカ(約600円)で購入する。ボリシャルからクルナまでは船内で買えると言っていたがそうなのだろうか?不安はぬぐえない。
 出発の今日の午後。聞いていた通りとは言え少し慌ただしい。
 取り敢えず物価の安いこの国でタバコをある程度買い足し、出航までの時間を使って出来る限りの観光をすることにした。 

朝食のチキンライス


 12:00時、オートリキシャを捉まえて30程離れたラールバーク・フォートへ向かう。
 50タカを支払って入った17世紀の不完全なムガル砦の複合施設は修復しすぎて趣が無くなっていた・・・

ラールバーク・フォート

 そこから昨日一度外から眺めたスター・マスジット・モスクへ、今度はリキシャを乗り継いで向かう。

ダッカ市街


 スター・マスジットは残念ながら礼拝で、中には入れなかったが綺麗だった。
 さらにそこからショドル・ガットへ向かう。

リキシャの装飾。中段がスター・マスジット・モスク


 ショドル・ガットはブリガンガ川に面し、定期船が発着するほか生活物資を扱う小舟や遊覧ボートが多数集まる河港だ。
 我々のフェリーもここから出発するので時間が余った事もあり事前に見に来たのだ。

ショドル・ガット。黄色の船が予定のフェリー


 ここからオールド・ダッカを歩いてホテルへ一度戻る。

ショドル・ガットから

上はアッシャン・モンジル


 荷物を回収してダッカ最後の食事をレストランで摂る。
 昨日と同じチキンカレーだ

下段がレストラン


 お腹を満たしてヤジさんとリキシャでショドル・ガットへ向かう。
 ダッカは慌ただしく過ぎ去っていった。

 当時の「謎の日常」の記事は
 「俺のコピーは許さない(ダッカ:バングラデシュ)
 「スター東城(ダッカ:バングラデシュ)
 です。






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