肉厚な街(ブダペスト:ハンガリー)

ハンガリー

ベオグラード(セルビア)→ブダペスト(ハンガリー)

基礎データ(2018外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:約9.3万平方キロメートル(日本の約4分の1)
2.人口:約980万人(2017年1月、中央統計局)
3.首都:ブダペスト(約174万人)
4.民族:ハンガリー人(86%)、ロマ人(3.2%)、ドイツ人(1.9%)等(2011年国勢調査)
5.言語:ハンガリー語
6.宗教:カトリック約39%、カルヴァン派約12%
7.通貨:フォリントHUF。100HUF≒60円(訪問時のレート、実勢レートと違い、読む人がイメージしやすいように大まかな数字にしてます。)


2006.11.22(水)

 セルビアを抜け、次に目指したのはブダペスト、ハンガリーの首都だった。

 朝5時に東駅へ到着、ベオグラードの鉄道駅もそれなりの規模だったが、ここはそれはそれを遥かに越えていた。

ブダペスト東駅


 まだ日の上がらないブダペストの街中に出るのは得策ではない。
 しばらく駅で時間を潰し、7時になってからようやく動くことにする。

上:鉄道駅。郵便ポストに灰皿


 私はここに来ることを楽しみにしていた。
 それはこの街には有名な日本人宿・ヘレナハウスがあり、以前の旅行での知り合いと会う約束もしていたからだ。
 旅先で一度であった友人とまた別の場所で出会うのは、誰でも嬉しい出来事だ。
 それはマシーンと呼ばれるこのプロフェッショナルとて例外ではない。

 宿に着くと見知った顔が3人。
 『お久しぶり』とは少し違う『こんな所でまた会っちゃったね』
 という、何とも不思議な感覚に身を包まれる。

 彼らが既に宿の中で人間関係を築いていたので私の溶け込むのもスムーズだった。

 昼頃まではスチューデントカードの申し込みなどでバタバタ(当時の記事は→「学生デビュー(ブダペスト:ハンガリー)」)してランチを摂ってから市内観光へとみんなで向かう

ブダペスト市街。右下は実はマクドナルド。


 歩き始めて直ぐに気付いたのが、街の作りがこれまで見た東欧諸国とは全く違った物だという事だ。
 ここは建築物の一つ一つが、どっしりとした重厚な造りとなっていた。

写真左側はブダペスト西駅。エッフェル塔と同じ、ギュスターヴ・エッフェルによって設計


 そして重厚に建てられているからといって、決して大雑把ではない。
 装飾などもしっかりと細かく緻密に創りこまれている。
 ただそれは華美というよりも、荘厳といった態を成していた。

 歩いていると分厚いその歴史に包まれているような感覚に陥る、それがここブダペストだった・・・

世界一豪華とも言われるマクドナルドの店内。ここも設計はギュスターヴ・エッフェル。



 ここでこの街の話を少ししよう。

 この街がブダペストと名付けられているのはブダ+ペストという2語の合体だ。

 これは
 ①中世に豚からペストが発生し、街は一度壊滅状態に陥いる。
 ②その後住民の不断の努力により奇跡的に立ち直り復興。
 ③その時の王がマジャール語で豚を意味する『ブダ』と疫病である『ペスト』を足し合わせ、この時の苦難を忘れないようにと命名した。
 と、いう事に起因する。

英雄広場


 そして余談ながら日本語の豚もマジャール語のブダが、遥か古くジンギスカンの時代にシルクロードを経て日本に到達したことから始まる。

 人を口汚く罵る時に

 「この豚野郎!」

 というのも、元を辿ればマジャール人が、ペスト流行後に酷い振る舞いをする人物に対し、
 「このブダ野郎!」とペストにでもかかってしまえと呪詛を含んで蔑ずむのに使ったことが、その発祥だ。


アイススケートリンク



 等と言う、ググれば速攻で分かる嘘を思いついたから、取り敢えず書いてみましたごめんなさい・・・

英雄広場夜


 ブダペストは「ドナウの真珠」「ドナウの女王」「ドナウのバラ」「東欧のパリ」等多彩な異名を持つ。
 その夜は、この綽名に違わず、壮大で荘厳だった・・・

上段左は東駅。中段左:王宮、下段:くさり橋


 見応え、と言う意味ではかつて見たチェコのプラハに匹敵する。

くさり橋とドナウ川


 ただ、プラハは華麗という言葉が似合っていたが、ブダペストはどこまでも重厚だった・・・

下段右は国会議事堂



くさり橋



 みんなのお蔭もあり、夜景もがっつりと観光。

 これがこの街の幕開けだった・・・


2006.11.23(木)

 翌23日、我々はメトロに乗ってエルジェーベト展望台を目指す事にした。

メトロ


 ブダペストは巨大な街だ。まだ市内に見所はたくさん残っている。

 ただ、多くの旅行者が集まり一緒に観光に向かうとき、その場所選びはパズルに似ている。

 入国時期も滞在期間も違う旅行者達は、既に見ている場所と見ていない場所はまちまちだ。
 もし一緒に周るなら、みんな見てない場所から潰していくのがツーリストとしてのあるべき姿だろう。

 幸いにして私はまだ入国して2日目、見てない場所の方が多い、どこにでも組み合わせの利くパズルのピースみたいなものだった・・・

メトロから次は登山鉄道へ。


 エルジェーベト展望台は標高526m、天気が良ければ80km先まで見通せるという。

 ”街の全景フリーク”

 として名高いこのプロフェッショナルとしては、絶対に抑えなければいけない場所だった。

 そして今は仲間も居た・・・

登山鉄道から子供が運営する子供鉄道へと乗継、頑張る子供がかわいい!


 下車して展望台までは20分程度の歩きになる。

 そしてこの頃、私の中には何やら良からぬ予感が芽生えていた・・・

エルジェーベト展望台



 『ノッ、ノォォォォォォオオ・・・ム(濃霧)・・・・』

 これでは80kmどころか80cm先ですら見るのに覚束ない・・・

 このまま戻るのは芸もないし面白みもないのでリフトで降りてバスで市内へ戻る事にした。

リフト


 観光、それも長期周遊型ともなると天気は選べない、残念ながら今日の全景はスカしたが、今は仲間がいる。
 いつかこれも良い思い出になるのだろう・・・



2006.11.24(金)

 ブダペスト3日目、取り敢えず今日で市内観光のメインディッシュは一度終わらせるつもりだった。
 勿論今日も仲間が居た。

ブダペスト市街


  有名なアンドラーシ―通りを抜け先ず向かったのは中央市場だ。

下段が中央市場内。


 ここで夜食を買い、宿に戻ってからまた出撃する。

市街


 お目当ての場所はブダペスト観光のハイライト中のハイライトともいえる王宮だ。

王宮


 ここで今度は少し真面目にこの街について語ってみよう。

 ブダペストはドナウ川を挟み、西岸のブダ、東側のペスト地区からなる。これにローマ遺跡が点在するオーブダ(旧ブダ)の3市からなっていたのが、1849年、くさり橋の完成により結び付けられ、1873年3市が合併され現在のブダペストとなっている。
 
王宮



 その歴史は1世紀ころにケルト人により集落が作られのが始まりで、その後ローマ帝国→ハンガリー王国→モンゴル人の侵攻→ハンガリー王国→オスマン帝国→ハプスブルク家→オーストリア=ハンガリー帝国→ハンガリー。と、キリストとイスラム、西欧と東欧に挟まれた中欧史の錯綜さが見て取れるだろう。

王宮(ブダ側)から見るペスト地区


 ブダ地区にあるこの現在に王宮は、第2次大戦で一度大打撃を蒙ったあとに修復されたものだ。

王宮


 だが、建物自体は新しい筈なのに、歴史と威厳を感じるのはその歴史的な成り立ちからなのだろうか?

 夜の王宮は今まで見た中で、どこよりも壮厳だった・・・
 
王宮。


 王宮とそこからの夜景を十分に堪能した後はお目当ての夜食だった。

 フォアグラ・ライス。

フォアグラ、調理後の写真からは美味しそうに見えないが、旨かった。




 ここはフォアグラが市場で安く手に入る事が有名で、旅行者は自炊してたっぷりと食べる事が慣わしだった・・・

 ブダペスト3日目

 この肉厚な街はまだまだ終わりではなかった・・・






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