どこかグレーな街(ベオグラード:セルビア)

セルビア

スコピエ→ベオグラード(セルビア)

基礎データ(2018外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:77,474平方キロメートル(北海道とほぼ同じ)
2.人口:712万人(2011年国勢調査)
3.首都:ベオグラード(人口164万人)
4.民族:セルビア人(83%),ハンガリー人(4%)等(2011年国勢調査)
5.言語:セルビア語(公用語),ハンガリー語等
6.宗教:セルビア正教(セルビア人),カトリック(ハンガリー人)等
7.通貨:セルビア・ディナール 1RSD=100バラ(DIN:補助通貨)。1RSD≒200円(訪問時のレート、実勢レートと違い、読む人がイメージしやすいように大まかな数字にしてます。)



2006.11.20(月)

 ベオグラードはグレー

 私にとって、ここはそんな街だった・・・




 深夜に国境を越えベオグラードに到着したのは朝の10時、何をするにも丁度良い時間だった。

ベオグラード駅


 到着して1時間ほどで次のルートへのチケットの手配など全て済ませ、駅間近のダウンタウン・ホステルへ向かう。
 その途中、若く可愛らしい東洋系の女性が近くを歩いていた。
 ホステルの入っているビルのエレベーターで彼女とお見合い状態になったので軽く会釈をすると同様に返してくる。
 その仕草は日本人のそれだった。

 『多分同宿だな・・・』

 それほど旅行者の多くないベオグラードで、スーツケースを持った東洋系の女性はそれ以外の何者でもなかった。
 
 ただ、言葉を交わすには少し早かった、今はまだ限りなく白に近い灰色の状態だ。

 リールを巻きあげる機械音のみ響く旧式のエレベーターで無言状態が続く。
 そして同じフロアで降り、同じ宿にチェックインとなった時が、会話をした最初となった・・・
 
 念を入れて『日本人ですか?』と英語で聞くと「アメリカ人です。」と、その物腰からは予期せぬ答えが返ってくる。
 メリッサ・オ―ダン(仮名)と、姓が日本名をもじったような名前だったので、更に聞いてみると母が日本人ということだ。
 残念ながら日本語は話せないそうだが、その立ち居振る舞いは、恐らく母親に影響を受けたのだろう。

 「デューク、これからどうするの?」

 『街中に出て見所を周るよ』

 可愛らしい彼女の折角の問い掛けに対し、私の答えは不粋なものだった。
 そう、ツーリストのやる事はいつだってたった一つ、観光だけだった。

 「私も一緒でいい?」
 
 断る理由は無い、それ以上にソフィア以降は単独ライブが続いていたので美人とのセッションなら願ったりかなったりだった。

 『オフコース! レッツ・ゴー・トゥギャザー!』

 その日のベオグラードは曇だった・・・


ベオグラード


 ここは想像通りの都会だった。旧ユーゴスラビアの核となっていた国だ。当然人口も一番多い。
 街並や建物はそれなりのクオリティーが補償され、規模も大きいので、ずっと歩ていても飽きることなく次々に新しい対象物に出会える楽しさがある。

 要するに私好みの街だった・・・
 

市街



 だが、それなりに喧騒を感じるこの人混みの中でさえ、どこか薄暗さを感じるのは何故だろうか?
 それは曇った天気の所為だけではなく、この国の、この街が持つその血塗られた歴史からなのだろうか?

 隣に美女が居て街並が好み、という抜群のシチュエーションにも拘らず、この街は何処か影が墜ちた感じがしていた・・・


 我々はちょっと趣を変えるべく、この街一番の見所であるカレメグダン公園へ向かった。
 そこは市中にありながらも自然に溢れた公園で、ベオグラード観光の定番中のド定番ともいうべき所だ。

  ようするに隣に居る美女とロマンスに堕ちるには丁度良い場所だったのだ。
 
カレメグダン公園



 だが・・・

 そののどかな風景と裏腹に、ベオグラード要塞とも言われるこの場所から見下ろす街は、ここが戦火にまみれた都市となった理由を雄弁に物語っていた。

要塞の風景、紀元前から続くというものの、現存しているのは殆ど18世紀以降の物

  この場所に人が住み着いたのは考古学的に6000年前と言われている。
 ヨーロッパでも最古の都市の中の一つだ。

 そしてドナウ川とサヴァ川の合流点に位置する軍事上、産業上の要衝にあるため、紀元前から多くの民族が入れ替わり立ち代わりその領土を争い、支配してきた場所だったのだ。

 簡単にメジャーな支配者の名前を列挙するとケルト,ローマ,フン,ゴート,ビザンチン,ギリシア,ブルガリア,ハンガリー,オスマン帝国,ハプスブルク帝国とさながらヨーロッパ史の主人公たちのオンパレードだ。

 支配者としてセルビア人となり安定したのも1867年以降と比較的新しく、それ以降の歴史も特に有名なユーゴスラビア連邦とその解体を含め、この辺りが落ち着いた事は無い。

 常に激動の最中にいる街、それがベオグラードだった・・・
 
 
上は聖ペトカ教会。中段は聖ルジツァ教会


 公園内の教会は静寂な佇まいを見せていた。

 だが、この街の歴史を考えると『果たして一体いつまでこの静けさが保てるのか?』等といったことを考えざるを得なくなってしまっていた・・・
 

やや城塞から離れて


 そして公園のもう一つの見所は、この都市の歴史を知るのに丁度良い軍事博物館だった。

軍事博物館


要塞の外れ辺り


 軍事博物館に興味はもちろんあったが、彼女と行くにはそぐわしくない場所だったので入館はやめにした。

 ようするに美女と恋に落ちるのに、チョイスする意味の無い場所だったのだ・・・


 この街の歴史なんてどうでもいい・・・



 このまま公園でのどかに景色を眺める手もあったが、ツーリストはいつだって観光が何よりも優先する。
 我々は街中に戻る事にした。
 恋のロマンスとやらは貯金箱にでも回しておこう。

ベオグラード市街


 ベオグラードの街並みはやはり私の好みだった。
 そして傍らには美女が居る。
 かつて都市観光でここまで絶妙なシチュエーションになった事はあったのだろうか?

セルビア正教会


 大都市だけあって市街もそれなりに見応えがある。
 特に政府系の建物は如何にもといった感じだった。

中心街


 だが・・・

 そうであってさえ、何処かここには後ろ暗さを感じてしまっていた。


 それはここがまだ現在進行形で問題もはらんでいる、崩壊した国の一つだからなのだろうか?

 未だ修復されずに残されている、NATOの空爆跡。

 それがこの国の今を如実に物語っていた・・・

聖マルコ教会と下は1999年NATOの空爆を受けたクネズ・ミロシュ通り。


 日も暮れ始めてきたので最後の教会を見て一度宿に戻る事にした。
 それにしても彼女はタフだった。何処か私が見たいというと「じゃあ」という感じで軽くついてきてくれる。

中段は聖サワ大聖堂


 教会を見てから一度宿に戻りオーストラリア人の青年とノルウェー人のおじさんとメリッサと4人でローカル食堂へ。

 今日はこれで終わりだった。

夜景



 それにしても日中ずっと美女と一緒に動いていたのにただがっつり観光しただけなのは不甲斐がないのか、それとも観光に関してはマシーン化してしまっていたのか?

 『愛してる』

 の一言すら、まだ彼女に伝えられてはいなかった・・・



2006.11.21(火)

 何時ものように出発は夜行列車の予定だ。
 時間は十二分以上にあるのでのんびりと用意して、宿に荷物を預けて観光に出る事にした。

 「デューク、どこかいくなら一緒に行くわよ!」
 
 メリッサも観光に付き合ってくれるという。

 私の『一緒に周りたい』という心情を、言葉にする前に分かってくれるとは、米国人とはいえ日系の血を引く彼女には『以心伝心』の心得があるに違いない。

 って、ことはひょっとして・・・

市街から
 


 好機到来、繊細一隅のチャンスの逃してはならない。

 私は彼女を落とすべく、今日の為に残していた取って置きの場所を一緒に訪れる事にした。

 ユーゴスラビアを語るには欠かせない偉人の眠る場所、チトーの墓がその場所だった。
 
 かつて「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」と言われ、錯綜した歴史を持つユーゴスラビアが一つの国となっていたのは、彼の存在を抜きにしては語れない。
 そして”偉人の死が国家崩壊のトリガーになる好例”が、ここであったのも必然の流れであろう。
 
 歴史上の。と、いうには近過ぎる存在だが、彼が近代史にあって世界的に重要な役割を担っていたことに異論の余地は無いだろう。

チトーの墓


 ここは見応えがあるというよりは2次大戦後の近代史を感じさせられる、興味深い場所だった。

 ただ、問題は選び抜いた、昨日は彼女が居たから多分喰い付かないだろうとパスしたこの場所はやはりというか予想通りと言うか

「デュークさん素敵っ!」

 というシチュエーションには程遠い場所であったことであろうか・・・

 
 だが、これもこのプロフェッショナルの狙いだった。

 『ギャップ効果』

 砂漠で渇きに渇き抜いた後飲む水一杯は世界一美味しい飲み物だろう。
 
 これと同様にロマンスと程遠い「チトーの墓」の後、ファンタジーに溢れる場所にいけば、そのギャップから当社比2倍以上の効果が得られる事に疑念の余地は無い。


 そこで次にチョイスしたのはレッドスター・スタジアムだ。

 ドラガン・ストイコビッチ、デヤン・サビチェビッチなど旧ユーゴのファンタジスタと呼ばれるサッカー選手達が所属したレッドスター・ベオグラードの本拠地は、この都市で訪れるのに値する場所に違いなかった・・・


レッドスター・スタジアム



 ここまでしばらく歩き詰めだったので彼女の様子をみると、言葉にこそしない物の、ちょっと休憩したいといった様子だった。

 狙いのギャップ効果通りに恋をしているといった感じはない

 ここで”ファンタジスタ達の所属していたクラブのスタジアム≒ファンタジー”とならなかったのは私の誤算、不徳の致すところだったのかもしれない。

 我々は簡単に軽食のスタンドに立ち寄ってパンとコーラで腹を満たすことにした。
  
ベオグラード

 11月のベオグラードの夜は早い、17時前にはもう夜と言ってよいほど暗くなっていた。

 『昼はロマンスが始まる予感のありそうな場所は・・・、全くチョイスしてなかったな・・・』

 などと考えつつ、私は出発まで時間があるのでこのまま昨日の要塞へ行こうかと考えていた。

 ダメ元で

 『まだ時間があるから夜景でも見に行くけどどうする?』

 と、聞いてみると

 「ええ、いいわよ。行きましょう」

 一瞬の逡巡も無く、彼女も付き合ってくれるという。

 ・・・

 ・・・・・・

 って、事は・・・


 『これって俺たちはもう付き合っているって言って良いよね』


 デートにチトーの墓とベオグラード・スタジアムをチョイスしたのは実は正解だったのかもしれない・・・

 後一押し、それで彼女は堕ちるだろう・・・

ベオグラード


 遅れてきたギャップ効果に期待を寄せつつ周る夜のベオグラードは、綺麗と言うより穏やかで厳かだった。

 喧騒の中の静けさの中、ロマンスを確かめるべくベオグラードお約束ともいえるカレメグダン公園へと向かう。

ベオグラード夜景


 ひっそりとはしているものの、時折辺りを散策している人に出会うのであまり危険は感じない。
 日没が早く、まだ時刻も18時だからというのもあるのだろうか?

カレメグダン公園。勝利の像(ポベドニク)、お尻のプリプリ振りがツボに入った



 静かな公園で、単色系でライトアップされた要塞は、落ち着きを与えてくれている。

 『メリッサ・・・』

要塞のライトアップ


 見つめあう若い二人。

 男と女。

 11月、夜のカレメグダンはどこまでもひっそりと佇んでいた・・・

教会


 そして結局ただ夜景を一緒に見ただけで、ロマンチックな事は何も起こらず、公園を後にして市街へ戻る。

 ある意味このプロフェッショナルの平常運転だった・・・

市街の夜


 市の中心街の夜景を堪能して彼女と夕食を摂る。これがこの街でのラスト・ディナーだった・・・

山羊肉のビーフシチューみたいな物。


 食事を終えたのは21時頃、一緒にいるのもそろそろタイムリミットだった。
 宿に行き荷物をピックアップして彼女に別れを告げる。

 最後まで『好きだよ』の一言を伝えられなかったが・・・

 彼女のお蔭でベオグラード観光は十二分に楽しめた。

 それだけでも十分に感謝すべきだろう・・・

鉄道駅


 列車は22:15時、ブダペストへ向け出発する。

 同乗者のいないコンパートメントは独り占め。
 タオル、水、コップに洗面台、もう2度とこんなことは無いであろう至れり尽くせりの設備だった。


 『さようなら、ベオグラード、そしてメリッサ・・・』


 一つの恋が終わった街

 ここは私にとってどこかに薄暗さを隠し持つ、灰色の街だった・・・



 そして

 『そもそも恋なんて全く始まってすらいねぇじゃん?』

 という疑問に対しては・・・



 敢えて黙秘権を貫こうではないか・・・






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