ウズベキスタン
サマルカンド
基礎データ(2021外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:44万7,400平方キロメートル(日本の約1.2倍)
2.人口:3,350万人(2020年:国連人口基金)
3.首都:タシュケント(Tashkent)人口約240万人
4.民族:ウズベク系(84.3%)、タジク系(4.8%)、カザフ系(2.4%)、カラカルパク系(2.2%)、ロシア系(2.1%)(2020年:ウズベキスタン国家統計委員会)
5.言語:国家語はウズベク語(テュルク諸語に属する。但し、タシケント、サマルカンド、ブハラ等主として都市の諸方言はペルシア語の影響を強く受けている)。またロシア語も広く使用されている。
6.宗教:主としてイスラム教スンニ派
7.通貨:ウズベキスタン・スム 10UZS=約1円 ※2007年当時、補助通貨はティンで1UZS=100ティンだが、そもそもスムが安いので流通せず。
※ブログの日付は旅行当時に合わせてますが、帰国後10年以上経てから記事を書いているので実際のアップ日は2021.09.29です。
※ここに居た期間も長く、当時のくだらない出来事は現地で既に「謎の日常」に掲載済みなので、当時アップしなかった写真と、その日に何をした(何もしてない日も多い)程度を簡単に記す程度で、後はその当時の記事のリンクを貼るだけとします。
また当時の記憶が大分朧げになっているので写真対象物の名称ミスはご容赦頂ければ幸いです。
2007.09.05(水)
17:30時、シャフリサーブズからサマルカンドへ戻って来た。
今日もすんなりとはいかなかったので、エースとIBAと一緒に厄払いとばかりにレストランに入りちょっと贅沢にカツレツを6000スム(約600円)で食べる。
カツレツ
一旦ネットにいってから夜はこの街のハイライト、砂の広場を意味するレギスタン広場へ向かう。
レギスタン広場
シールダール・マドラサ
シールダールが見下ろせるウルグベクのミナレットへ向かうと警官が2000スム(約200円)で登らせてくれるという。
閉館時間を過ぎているのでこれは勿論闇料金、要は彼らの小遣い稼ぎだ。
中途半端な腐り具合は「クズベク」ならではだが、毒を喰らわば皿までだ。
袖の下を払い欲望のままに振舞うこのプロフェッショナルも所詮は腐った旅行者だ・・・
ミナレットから見下ろして
塔の上から眺めはマドラサこそ綺麗だったが他は左程ではない。
2000スムと考えると割高だが、200円ならこんなものだろう。
レギスタン
この国も、私も腐っているが、夜のレギスタンは美くしかった・・・
2007.09.06(木)
「サマル=人々が出会う、カンド=町」の意味を持ち、中国の陶磁器とペルシアの顔料が出合って誕生した「サマルカンド・ブルー」と呼ばれる鮮やかな青色タイルで建物が飾られ、その美しさから「青の都」としても知られる街サマルカンド、今日が観光の最終日。
といいつつ、残っているのはレギスタン広場だけなので、ホテルを出たのは10:30時とのんびりだ。
5000スム(約500円)と表示される入場料の高さが、この街一番のハイライトという事を物語る。
さらに写真代が2000かかるらしいが、露骨にカメラをぶら下げてなければ請求されないのでこれはスルーした。
朱に交われば赤くなる、この私もこの国に居て良い腐り具合をしているようだ
レギスタン。正面がティッラ・カーリ・マドラサ。最下段はウルグ・ベク・マドラサ
シールダール・マドラサ、まだ補修中
正面のティッラ・カーリ・マドラサ
ティッラカーリ・マドラサ内の金箔ドーム
戻ってウルグ・ベク・マドラサへ
レギスタンへ
金箔ドームアゲイン!
大体1時間ほどレギスタン広場を見て回る。
主要な見所はこれでコンプリートだ。
後は少し歩いて適当に見て回れば良いだろう。
レギスタン広場から少しブラブラして
と言いつつ、これ以上見る物は無い。
14:00時から18:30時はネットカフェで時間を潰す。
そしてフィナーレにもう一度レギスタンへ。
夕方のレギスタン
夕暮れ時のレギスタン広場、これがこの街の〆だった。
2007.09.07(金)
10:30時、ホテルをチェックアウト
フルカットの部屋
フルカット内
観光地ズレという意味では碌でも無いこの街だが、少なくともホテルは100点満点中120点だった。
それだけでもこの街に来た意味はあるだろう。
名残惜しいがエースと一緒にマルシュルートカで駅へ向かう。
市内から駅へ
11:20時に駅に到着。
しばらく待ち、12:11時、列車はサマルカンドを出発した。
当時の記事は「青の都の真実!!(サマルカンド:ウズベキスタン)」を参照