モンテネグロ
ドブロブニク(クロアチア)→ポドゴリツァ(モンテネグロ)
基礎データ(2018外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:13,812平方キロメートル(福島県とほぼ同じ)
2.人口:62万人(2017,世銀統計)
3.首都:ポドゴリツァ(人口約15万人,2011年国勢調査)
4.民族:モンテネグロ人(45%),セルビア人(29%),ボシュニャク(9%),アルバニア人(5%)等(2011年国勢調査)
5.言語:モンテネグロ語(公用語),セルビア語等
6.宗教:キリスト教(正教),イスラム教等
7.通貨:ユーロ(EURO) 1EURO≒160円(2006年当時:実質155円程度だったがイメージしやすいように160円とする)
※ポドゴリツァの記事は当時「謎の日常」の「世界で一番新しい国…(モンテネグロ)」にアップしているので、そちらも参考に。
尚、憲法上の首都はツェティニェだが、当時気付かずスルーしてます。またモンテネグロ独立後、コソボや南スーダンの独立などがあったので2018年現在は既に最新国家ではなくなってます。
※ブログの日付は旅行当時に合わせてますが、帰国後10年以上経てから記事を書いているので実際のアップ日は2018.09.27です。
2006.12.14(木)
09:30時、ドブロブニクを出て海沿いの道をバスで移動する。
11:30時、国境を通過、94ヶ国目となるモンテネグロに入国する。
入り組んだコトル湾を走る海岸線は、その複雑な地形も相まって、とても美しく見えた。
コトル湾
湾の一番狭い所をフェリーでショートカットして向かったのはこの湾の名前にもなっている古都コトルだ。
中世の街並が良く保存された事で、世界遺産にも登録されているモンテネグロ有数の観光地だ。
コトル湾、兎に角移動中見てて飽きなかった。
09:30時にドブロブニクを出たバスは13:00時にコトルに到着。
コトル
荷物を預け、早速観光に向かう。
コトル、湾沿い
新市街からコンパクトな旧市街に入ると、そこは確かに中世だった。
旧市街
城壁の上に登り、コトルの旧市街を見下ろす。
パンフレットにも載っているあまりにも有名なシチュエーション。
荷物を預けているので普段の私なら迷わず選択する所だが、今回の選択はスルーだった。
『ポドゴリツァ』
今日はここの他にもう一都市訪れてから、首都へと一気に向かうつもりだった。
1時間ほどコトルを観光した後の14:30時、ローカルなミニバスに乗り、次の目的地へ向かう。
コトル→ブドヴァまで
ブドヴァへは15:00時に到着。ここでも荷物を預けて早速敢行へと向かう。
ブドヴァ
ここは世界遺産にこそなってないにせよ、2500年の歴史を持つアドリア海沿岸の都市でも古いものの一つで、古代ギリシャ、古代ローマの二つの文明の足跡が残る街だ。
旧市街
かつてここを訪れていた旅行者のおすすめだったので、わざわざ寄る事にしたのだ。
旧市街
旧市街は、大部分が1979年の地震で壊れ、今は復元された物だという事が少し残念だが、それでも来てよかったと思える物だった。
旧市街から
中段は趣のあるアダルトショップ。何もここに作らなくても・・・
下段左は観光案内所、右は寿司屋
16時が過ぎ、日が落ちていく。
沈む夕日は眺められなかったが、夕焼けを見て満足する。
上段右は”?”
そしてまたミニバスに乗りポドゴリツァへ向かう。
モンテネグロは2006年6月、つまり半年前に独立を果たしたばかりの世界で一番新しい国だ。
来る前に「見所が無く宿が高い、他に泊まって日帰りで十分」といる風評があったが、首都狙撃手として、そしてエレガントなヨーロッパツーリストとして、世界最新鋭の、それもヨーロッパでの首都宿泊は外せないポイントだった。
到着したのは18:00時
市内を歩いてホテルにチェックインしたのは19:30時。
ホテル・ヨーロッパと名前もそのものの宿は35EUROとそれなりの高さで、ネットフリーで一瞬喜んだが、日本語不可というオチ付きだった・・・
到着はミニバスだけど夜の鉄道駅
2006.1215(金)
一夜明け、08:30時、ホテルのビュッフェを楽しむ。
35EUROも出した宿での朝食だったので美味しかった。
そして中々宿を出れずに、ようやく外に出たのはもう昼だった・・・
朝食。下段左:ホテル・ヨーロッパ、右:鉄道駅
ポドゴリツァ市内
観光案内所に行って見所を尋ねると「ミレニアムブリッジ」と言われた。
それほど大した物ではない予感で一杯だ。
確かにこの街にこれと言った見所は見当たらない。
市街とスタジアム
ポドゴリツァで無ければ気にも留めない、古い教会を訪れる。
たまたま訪れていたモンテネグロ人と仲良くなって話し込む。
そんなのどかな昼下がりの首都・・・
Crkva Sv Dorda
教会の後は記念碑巡り
記念碑
そしてついにミレニアムブリッジとご対面。
やはりというかなんというか、もしここが日本ならちょっと気の利いたデザインの橋。と言うのが精一杯だろう。
ミレニアムブリッジ
取り敢えず地図を見ながら何となく街の全域を歩いてみる。
人口15万程度、中心部もそれほど広くはない
市街
建設中の教会
ポドゴリツァ市街
見所は終えたが、適当に散策し、街に沈む夕日を眺める。
山間に隠れていくので、太陽が見えなくなってからもしばらくは明るい
山に沈む夕日
日が十分に落ちてから夜景を見にまた散策する。
まだ17時を少し過ぎたばかりだった
市の中心
ミレニアムブリッジ
メインストリート
夕食を食べたのは18:30時頃。
ポドゴリツァはこれで十分だった・・・
夕食
2006.12.16(土)
ポドゴリツァ→ウルツィニ
ポドゴリツァを10:30時に出発。
そう言えば久しぶりの鉄道だった。
ポドゴリツァ駅→バール
最初の目的地、バールへは11:30時に到着。
荷物を預けてプチ観光する
バール
バール市街
町そのものに何か見所がある訳ではない。
14:00時、次の目的地ウルツィニへ向かい僅か30分で到着。
ウルツィニ
交通の便の比較的良い東欧で、まだ早い時間だったが今日はこれで打ち止めだった。
トイレシャワー共同で20EUROもするやや高めなホテル・ロンドンの宿泊客は見た限り私一人だけだった。
ウルツィニ夜景
シーズンオフ恐るべしなのか?
それともここが僻地なのか?
いずれにしても明日の朝は早かった・・・