石橋と廃墟の街(モスタル:ボスニア・ヘルツェゴビナ)

ボスニア・ヘルツェゴビナ


基礎データ(2018外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:5.1万平方キロメートル
2.人口:353.1万人(2013年:国勢調査)
3.首都:サラエボ(約31万人)
4.民族:ボシュニャク(ムスリム)系44%、セルビア系33%、クロアチア系17%(1991年次)
5.言語:ボスニア語、セルビア語、クロアチア語
6.宗教:イスラム教、セルビア正教、カトリック
7.通貨(2006年旅行時):兌換(コンベルティビルナ)マルク(KM) 1KM=100P(ペニーガ)。イメージしやすい1KM≒80円として計算。

※リュブリャナ(スロベニア)出発からクロアチアのプロチェまでの記事は「激闘の記録」「第15話 完璧な計算(舞台国:ボスニアヘルツェゴビナ・クロアチア)」にアップしているので、そちらも参考に。

※ブログの日付は旅行当時に合わせてますが、帰国後10年以上経てから記事を書いているので実際のアップ日は2018.09.12です。

2006.12.06(水)

 モスタル・・・
 ボシュニャク人4万4千人、クロアチア人4万2千人、セルビア人2万4千人、ユーゴスラビア人1万3千人・・・
 ここは1991年ユーゴスラビア紛争前、約12万の人が住む地方都市だった・・・


 国境を20時に越え、93ヶ国目となるボスニア・ヘルツェゴビナへ入国。
 モスタルに到着したのは21時だった。

 バス停のATMで200KM(マルク)降ろし当座の用立てとする。
 それにしてもコンベルティビルナ・マルク(ボスニアの通貨単位)なんて正式名称を何時も言っていたら長ったらしくて舌を噛みそうだ。
 宿はバス停すぐそばのLena&Radaで民泊だ。20KM(約1600円)、シャワートイレ共用だったがシングルの部屋は清潔だった。

 疲労はかなり蓄積されて、もう夜だったがお構いなしに街に出る。

モスタル市街


 市街に出て直ぐに気付いたのは、ここはアラブの雰囲気が色濃くみられる街という事だった。
 これまで周ってきた旧ユーゴスラヴィアの国はキリスト教系優勢(カトリック系と正教会系の違いはあるが)で比較的ヨーロッパ的な都市だったので、ここにきて改めて旧ユーゴがイスラム教徒も含む多民族国家であった事が思い知らされる。

 久しぶりのアラビックな街並みを歩きながら、目指していたのは世界遺産にもなっている有名なモスタルの石橋、スターリーモストだ。

 出発は明日の予定、夜景のチャンスは今日だけで、見逃したくは無かった。

モスタルの石橋


 スターリーモストは内戦後大分経った2004年に再建され、こじんまりとした物とはいえ、これまで見た様々な橋の中でもトップクラスの美しさで、ハードな移動な後、わざわざ見に来て良かったと思えるものだった。
 
 そうはいいつつ景色だけでは満腹にはならない、適当にパンやサラミやお菓子を買って宿に戻り、お腹を満たす。

 クロアチアから併せて一日で4世界遺産、詰込型のツアーでも中々これだけの距離を移動しつつ、世界遺産を4つも周るなんてやらないだろう。
 忙しい一日だったが満足度は高かった・・・



2006.12.07(木)

 今日は午前中一杯モスタルを観光してからサラエボへ移動する予定だ。

 とは言いつつ、それ程広くはないこの街を見るのに急ぐ必要は左程ない。
 宿を0930時に出て観光へ向かう。

モスタル市街


 首都サラエボはそれなりに復興されていて、地方都市の方が戦乱の跡が残っていると言われていた。
 ここはその通りに、破壊されたり、銃痕がある建物が多く残っていた。

モスタル市街


 モスタル市街を見渡せそうなモスクの尖塔が2つあった。
 最初に登ったのはガラジョス・ベグ・ジャーミヤというモスクだった。

ガラジョス・ベグ・ジャーミヤ




 次はそこから少し石橋側に歩いてコスキ・メフメット・パシナ・ジャーミヤに登る

コスキ・メフメット・パシナ・ジャーミヤまでの道


コスキ・メフメット・パシナ・ジャーミヤの尖塔から。石橋は近い分、こちらからの方が良く見える


 トルコの影響を色濃く受けていると言われるこの街は、アラビアの香りがしていた
 そして今度は昼の様子を見にスターリーモストへと向かう

スターリーモスト


石橋のたもとに「(破壊された)93年を忘れるな」という碑があった


スターリーモストの近くにあるミニ石橋、ネレトヴァ川右岸の支流に架かるクリヴァ・チュプリヤ。
可愛い物好きなので、これはこれで良かった。


遠ざかりながらスターリーモストを色々な角度から



 スターリーモストを思い残す事がないまで見て、また市街を周る。

モスタル市街


 次に見に行ったのは、丁度ボシュニャク人とクロアチア人の居住区を分けるメインストリート沿いだ。
 ここは風光明媚なスターリーモストとは真逆ともいえる、紛争の痕が色濃く残る通りだった。

 モスタルはユーゴスラヴィアからボスニア・ヘルツェゴビナが独立宣言をして紛争が始まった1992年からデイトン合意で終結する1995年までの間、戦禍にまみれた街だったのだ・・・

破壊され再建されないまま残っている建物群


 当時ニュースで聞いた言葉の中で、今でも忘れられない物がある
 「エスニック・クレンジング」
 民族浄化と訳されるこの言葉は、人間が人間に対してどこまで残酷になれるのかを示す一つともいえよう。

破壊さえた建物群


 「ホロコースト」といえば、ナチスドイツがユダヤ人に対して行った虐殺を指すのが一般的だ。

 だが、「エスニック・クレンジング」はそうではない、人種的には南スラブと同一ながら宗教で3つの民族に分かれているこの国ではその地方地方でどこが優勢かが異なっている。
 当時見たニュースでは、どちらかといえば「セルビア=悪」の図式を成り立たせようとして、セルビア人の行う「民族浄化」がクローズアップされたものが多かったが、このモスタルで当時行われたのはクロアチア人のセルビア人に対するクレンジングだった・・・

 廃墟と、そこに残る夥しい銃痕が、ここでかつてあった悲劇を雄弁に物語っていた・・・

モスタル市街


 再建された石橋が見事な美しさを見せた分、修復されずに破壊されたままになっている建物が余計に禍々しい物に思えてくる。

 人種が同じでありながら宗教によって民族が分かれ、お互い抜き差しならない状況になり虐殺を行う。
 善や悪で語る事は出来ない、人間ならではの業の深さを感じてしまう。

 ここモスタルはボスニア・ヘルツェゴビナ有数な観光地であり、そして戦禍の痕を残し続ける街だった。

日本の支援のバス


 これで一通り、この街は見終わった。
 宿に戻って荷物をピックアップし、次へ進むことにした。

 出発は12時過ぎ、次は首都のサラエボだ。

バス停付近とサラエボ行のバス


 石橋と廃墟の街モスタル・・・

 かつてここに居た2万人のセルビア人、今はそのほとんどが残っていないと言われている・・・






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