帰国後投稿、実際のアップ日は2018.02.07です。
マケドニア
基礎データ(2018外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:2万5,713平方キロメートル(九州の約3分の2)
2.人口:208万人(2015年世銀データ)
3.首都:スコピエ
4.民族:マケドニア人(民族的には南スラブ人が多数、このマケドニア人という呼称は古代マケドニア人と人種が異なるため、この民族呼称や国名は特にギリシャ間と論争中である)
5.言語:マケドニア語,アルバニア語
6.宗教:キリスト教(マケドニア正教)7割,イスラム教3割
7.国名について。マケドニア共和国として約125ヶ国が呼称しているが、日本は認めずマケドニア旧ユーゴスラビア共和国で呼称。
8.通貨:マケドニア・ディナール(MKD)。100MKD≒250円(訪問時のレート、実勢レートと違い、読む人がイメージしやすいように大まかな数字にしてます。)
2006.11.17(金)
ソフィアを16(木)、夜行で出発して新しい国へ向かう。
マケドニア
それが次のターゲットだった。
ただ、最初に狙った都市は首都スコピエでなく、ソフィアからより遠く離れたオフリドという所だった。
バスは深夜に差し掛かる前に国境を越え、朝06:00時にオフリドに到着。
到着したオフリド
この街について若干の説明をしよう。
写真のオフリド湖は面積の1/4が隣国アルバニア領になり、湖畔にマケドニア最高峰、2764mのコラブ山始め高峰が連なる風景明媚な場所で、かつてスラブ世界のキリスト教文化の中心地として栄えた事から往時の繁栄を偲ばせる教会群も多く、それにより自然と文化の複合として世界遺産に登録されマケドニア屈指の観光地としても知られる場所だ。
決してソフィアからスコピエまでの直行では距離が中途半端で夜行が使えないので、どうせなら一晩かかって宿代がセーブ出来るここを最初にした訳ではない。旅行界随一の文化的ツーリストとして自然と文化の融合を味わう事こそ、私がマケドニアでもまずここに来た理由なのだ。
早速知人に聞いていた安い民宿に行き、どうせすぐに見終わるから泊まるのもなんだしと、交渉して100ディナール(約250円)で荷物を預かってもらい街に出て散策する。
マケドニア屈指の観光地だけあって市街は綺麗
地図を見る限り旧市街は、サミュエル要塞の城壁の中に納まる範囲なので非常にコンパクトだ。
また景色も良いと書かれているのでさっそくこのメインディッシュを堪能する。
旧市街内の教会と要塞、それに景色
写真中段はヨハネ・カネヨ教会
朝早くからの散策は人も少なく景色も良いので移動の疲労もあまり気にならない。確かにここは世界遺産に登録されるべくして登録された場所だという事が良く分かる。
そのほか諸々の教会と入場料を払って入ったサミュエル要塞
大体3時間ぐらいだろうか?観光を終えて新市街へと戻る。やるべきことを終えたらもうここには用は無い。
要塞から市街へ
そして旧市街を抜け新市街へと戻ってふと目にしたものに目が釘付けになった・・・
『ピザ・・・、ヒットッ!!』
ピザ・ヒット
しばし、茫然と立ちすくみ、折角だから何か買おうと思い立ったが、まだ朝早くなので閉まっていて手が出せず・・・
ただただ眺めるだけに・・・
『うむぅ・・・、今までいろんなパチ物を眺めてきたがこの全く本家と似ても似つかないこの店にここまで心が奪われるとは・・・』
しかし、立ち止まる訳にはいかない。私はまた街へ向かう事にした。
新市街
首都スコピエ行の11:30のバスチケットを入手してオフリドを後にした・・・
オフリド⇒スコピエの道中。
到着したスコピエは雨だった
首尾よく狙っていた宿のシングルを取り、街をしばし散策する。
ソフィアからオフリドを観光してスコピエへ。のんびりとしていたブルガリアから一気にギアを入れ加速させた感じだったが、疲労は特に感じていない。それは心をある物が占めていたからだ・・・
スコピエ
世界遺産の街オフリド。そこで見た教会群や高峰、湖、要塞・・・
だが、そんなものはどうでも良かった。
私の心を占めていたのはたった一軒の建物だ。
それが何故そんなに私の心の中で大事になってしまったのか?
疲労の所為?それとも歴史的な地区を見終わっていきなり目に入ってきたから?
なんとなくの後付けで説明しようとしても確たる理由は見つからなかった。
だが、それはあの時、確かに私の心を打ちぬいたのだ!
理屈ではなく赴く感情のまま、私は敢えてこう言わせて頂こう。
『私の心にピザ・ヒット!』
と・・・
何故ツボったのかは不明。ただ、ジワジワと心に来てしまったピザ・ヒット