危険地帯突入!(ガンタ⇒モンロビア:リベリア)

リベリア



2005.12.05(月)

 ギニアのイミグレを抜けてリベリアに突入したのは正午を少し過ぎたあたりだった。

 リベリア・・・

 外務省のホームページに全土にわたって危険度最大を示す退避勧告が出ている国。

 ようするに危険な国だ。

 そんな国に行くことが怖くないのか?

 おそらくそういった単純な疑問はあるだろう。

 ”私は怖い”、良く色々な奥地へいったり危険地帯に行ってきたと自慢する旅人がいるがそれは私とは全く異なる人種だろう。
 
 何故じゃあ行くのか?

 答えは簡単だ。

 ”好奇心”

 行ける限りの国を行き、見れる限りの首都を見る。

 自分が自分に定めたルールだ。

 もちろん死ぬ気はない、だからこそ「行ったらたまたま安全だった」という偶然に任せずに「調べられる限り調べ」、安全度が自分の中で70%以上ある思えたらそこが危険と言われていても行くことにしているのだ。

 「残りの30%は?」

 『運』だろう・・・

 それぐらいのリスクは背負うべきだ。

 そして覚悟を決めたなら前へ進むだけの事だ。



 煙草の最後の一服を、深く吸い込んで地面に投げ捨て(ポイ捨ては止めましょう)、国境を越えイミグレへ向かう。


 今、私の全身をピリピリとした緊張感が包んでいた・・・

 ここに来るまでに調べた色々な情報。

 そのすべてが「ここでは命の値段は紙屑や路傍に転がっている石ころ程度」でしかない。事を示している。
 
 2003年まで続いた内戦、この時までに成人のみならず多くの少年兵が武器を手に取り殺し合いをしていたのだ。

 十分に教育を受けないまま武器を手に取り人を殺める事を覚えると”人を殺すことに何一つ良心の呵責を感じなくなる”、それがこのリベリアに住む人々だ。

 ここでは銃の引き金は恐ろしいほど軽い。

 かつて日本で「人一人の命は地球より重い」などと言ったふざけた首相がいたがそんなことは私が今足を地につけるこのアフリカではタチの悪いジョークでしかない。
 
 停戦し、選挙を終えてつい先月にリベリア史上初の女性大統領が就任したばかりで今は希望が見えているこの国だが、この辺りを忘れると私はリベリアの土に還って旅行を終えることになるだろう。



 『ここでは些細な揉め事も起こしてはいけない』



 何がきっかけで彼らの感情が爆発するかも分からないのだ。

 用心に用心を重ね、小心さの上に臆病さを併せ持ってこの国をやり遂げるしか無いだろう・・・




 掘立小屋を改悪したような粗末なイミグレ・・・

 これが第一関門だ。



 パスポートを見せ入国スタンプを貰う。

 文章にすればたった一行の行動だ。




 そして”このたった一行の行動がとんでもなく面倒なのがアフリカ”だ。

 私は笑顔を見せて持っていたパスポートを渡す。

 他の誰のものでもない、私のリベリアが始まった・・・
 


 係官はスタンプを押す。


 そして当たり前のように「お金をくれ」と・・・


 これまでも良く見たシチュエーション、スタートは予想通りの幕開けだった。


 対決路線でいくか?説得路線で行くか?私は過去の国境越えの経験を総動員して考える。

 結論は見えている。ここは穏便に済まそう、そう私が今居るのは”リベリア”だ。他のどこの国でもない・・・

 『ここでは些細な揉め事も起こしてはいけない』



 私はパスポートに挟んであるビザの領収書を見せ対話する。
 リベリアになると英語が通じる事も手助けになる。

 すこし時間はかかったもののなんとか拒絶に成功。


 次はカスタムだ。

 荷物は全開封、つい先ほど通過したギニアでも全開封したばかりなので面倒なことこの上ない。

 第三世界を旅行して国境を越えた者なら納得いくだろうがここでは私の荷物は検査の対象だけでなく彼らの好奇心の対象にもなる。見たことのないアイテム一つ一つに喰いついてくるから時間がかかることこの上ない。

 かなりの時間がかかって検査が終わる。

 そして

 「お金くれ・・・」


 これまでも良く見たシチュエーション、予想通りの展開だ。

 今度はどうするか?

 『俺がほしいよ・・・』

 と思わず答えようとも思ったがそれは口に出さずに穏便に済ます。
 
 私が今いるのはリベリアだ。

 『ここでは些細な揉め事も起こしてはいけない』


 私はパスポートに挟んであるビザの領収書をまた見せて対話する。

 すこし時間はかかったものの・・・なんとか拒絶に成功する。

 『ふぅぅぅぅ・・・』

 これで小屋での手続きは終わりだ。

 外に出ると早速検問が、ポリスが簡単な検査を済ます。

 そして・・・


 『50ドル・・・!』


 の一言が・・・


 『・・・』


 『・・・・・』


 『50ドルだって!!』

 これまでも良く見たシチュエーション、予想通りの展開だ。

 と、言いたいところだが・・・

 今回は明らかに違っている、この請求額・・・

 これが100円、200円程度なら私もそうは驚かない。


 だが・・・

 たとえここが危険な国であっても人から50ドル(当時だと6000円くらい)も不法に請求して物ではないだろう。(注:不当ならたとえ一円でもアウトですが・・・)


 仏の顔も3度まで、穏便に済ますのはもう止めよう、たとえここがリベリアであったとしてもだ。

 『ここでは些細な揉め事も起こしてはいけない』

 と、言う訳でもないだろう。

 50ドル・・・日本円で6000円・・・

 それは命を賭けてもいい値段だ!(注:大抵の日本人にとっては間違っても賭けてもいい値段ではありません、念の為)

 私は2人いた彼らを睨みつけ語気を荒く言葉を吐きつける。

 『おい、てめえら、50ドルってのはどんな了見だ?相場ってものがあるだろうよ、俺は確かに”外人”だ、祖国を離れてこんな遠くの国まで足を運んでいる、それだけでお前らからみたら”リッチなカモ”だとしか思わないんだろうが・・・、それでもいきなり50ドルを請求するなんてやっていい事じゃねぇだろうが・・・』

 この時の私の剣幕は相当の物だったのだろう。ポリス2人は明らかに仰天している。

 だが、そこは賄賂請求経験豊富(多分)な彼らだ。私の機嫌を取るようにこう言ってきた。

 「ミスター、50ドルってリベリアドルだぜ・・・(注:1アメリカドル=53リベリアドルつまり大体110円ぐらいだった)」

 『・・・』

 『・・・・・・』

 『まっ、まぎらわしい・・・・』


 これまでには全く見なかったシチュエーション、予想外の展開だ。

 こっちは6000円と思って決死の覚悟で挑もうとしたのに・・・(注:6000円で決死になる必要は多分ありません、念の為・・・)

 どうするか?

 要求額が小さかったと知って少しほっとしたが振り上げた拳は簡単には下がらない。

 だが激怒はとりあえず収束した。

 そうなれば・・・

 後は説得して踏み倒すしかないだろう。ここはリベリアだ。

 『やっぱり些細な揉め事も起こしてはいけない』


 『おい、あんたら・・・俺はリベリアに旅行に来ている、新しく大統領が変わって国がこれからだって時に旅行者から賄賂なんか請求してみな、それがうわさになって旅行者は敬遠するから結局この国に金は落ちないぜ、そんなことをお前さんたちの大統領が望むかい?』


 と、穏やかに、かつ強硬に彼らに話しかけていく。

 なんだかんだでこの後も少々時間はかかったが最終的には彼らも納得して私を解放する。


 『ふぅ~』


 とりあえずはこれで入国の手続きは終わりだ。



 私は歩いてモンロビア行のシェアタクを探す。

国境付近で飲んだファンタ、瓶が着色されているので中味がなんだか忘れた・・・
 



 ガンタの町(といっても規模は村程度)は想像以上に狭い。簡単にモンロビア行が見つかる。

国境のイミグレから町中に出るまでの道中で。



 リベリアという国、ここについては若干の説明を要するだろう。

 国名を示すリベリア、これは英語のLiberty(リバティー:自由)を意味する。
 この国の特殊性はこの名の由来の通り、ここがアメリカ合衆国で解放された黒人奴隷によって建国された国であるという事だ。
 
 当然建国時には既にそこに住みついていた現地人もいたはずだし、そもそも広大なアフリカ大陸だ。北、中央、南ではまるで違う。
 日本でも北海道と九州が同じだという人はいないだろう。

 それが”ただアフリカ大陸に帰せばいい”と土着の民の存在を無視して「ここに還させて建国させてやる」というのがこの国のスタートアップだ。

 自分の住んでいる家にある日突然来訪者が来て「今日からここはこいつらの家だ」と言われたら?
 それは当然揉めて喧嘩になるだろう。

 このように建国当時から内乱と混乱が宿命付けられていた国、これがリベリアだ。

 そしてこのことは西洋社会のご都合主義や傲慢さによって搾取され振り回され続けてきたアフリカ大陸の歴史の一部を象徴しているといってもいいだろう。

 


 今私はこのリベリアに入国したばかり、いわば入口のドアをノックして玄関に入ったばかり、まだ靴も脱いじゃいないといった所だ。

 これからが・・・

 これからがこの国の本番だ。



これが乗ったシェアタク



 シェアタクは簡単に見つかり乗客も集まっていたが若干の修理が必要らしくしばらく待つことになる。
 
 危険な国の危険な首都モンロビア、日暮れ前には着きたいが何事も思うようにいかないのがアフリカの常識だ。「限りなく急ぎ限りなく待つ」それが出来ないのならこの大陸を旅する資格は無いのかもしれない。

ガンタの町並、というほどの物ではないか・・・


これはせがまれて撮った現地人達、通常人を撮らないこのプロフェッショナルだが頼まれれば撮る事にしている。



 シェアタクは13:30に修理を終えて出発、モンロビアまでは約150Km、3-4時間の距離と言った所だろうか?夕暮れ前にモンロビアに到着するには十分な時間だ。

 そして道は舗装路、条件は悪くない。

道中の景色、大体こんな感じだった。



 だが・・・

 検問の数の予想外の多さが速度を鈍らせる・・・

 動いている限りは快適なシェアタクだがちょこちょこ止まらされ、その度にチェック、ドライバーが袖の下を払うのも見える。これで想像以上に時間がかかってしまう。

 いつの間にか日は暮れ・・・

夕暮れ時、途中で撮影。


 首都のモンロビアに到着した時は既に夜の20:00時を回っていた・・・

 私の乗っていたシェアタクはオプション料金(50リベリアドル、約100円)を払えば市内の望む場所にダイレクトに届けてくれるシステムだ。

 リベリアに到着して気付いたのはここが完全停電首都ということだ。

 ただでさえ治安に信用のおけない都市で危険な時間帯に荷物を持ってうろつくことほど安全が脅かされることは無い。

 このオプションが付いている幸運に感謝しつつ、旅行人に書いてあった売春宿の「Florida Motel」へとお願いする。と、ホテルの名前が変わってしまっていたらしく、しばらく探す羽目になってしまったが無事に到着。

 今の名前は「Motel Dokonee」となったそのモーテルはバケットシャワー(要するに汲み置きの水をバケツですくって浴びるタイプ)、トイレにも関わらず25ドルと高かったので20ドルへとまけてもらって宿泊する。

 カンカンを出てからたいした食事は摂っていなかったが始めて訪れた完全停電首都のリベリアで、モーテルから遠くまで出る訳にもいかず、モーテルから100mも離れていない所にあった路上の物売りから僅かばかりのお菓子とジュースを買って空腹を満たす。

 とりあえず・・・

 第一アクセスは成功だ。

 だが首都狙撃の本番はこれから、心してかからなければならないだろう・・・

 リベリアは・・・

 モンロビアはこれからだ・・・

泊まったMotel Dokoneeのテラスから、手前の暗闇はウォーターフロント、点いている明りは発電機を持つ所だけ(注:奥の明りは港湾地帯)











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