ナミビア
2005.08.06(土)
朝6時と早めに起きてシェアタクを掴まえに行く、これから始まるアンゴラの首都ルアンダへの道、残念ながらこれまで陸路でこちらへ来た旅人に会わなかったので時間の見積もりが全く立て様が無いのが残念だ。こういった時は早く動くのが旅行道の定石だ。ボーダーのオープンと同時にアンゴラに入り、そこからすぐ移動を開始するつもりだった。
昨日の晩飯を食べた最後の文明食であるK.F.C.付近から先ず国境一個手前の町であるオンダングワ行きのシェアタクを掴まえる。出足は順調だ。そしてナミビア・アンゴラの国境町であるオシカンゴへ、これもまたシェアタクだ。
ボーダーには0750時に到着、乗合タクシーを利用しても時間が大体見積もり通りに動けるのがナミビアの良い所だ。
到着したオシカンゴ
国境のスーパーで少し買い物をする、アンゴラでは何が手に入るか分からない。余ったナミビアドルを使い切り、僅かばかりの食料を手にして国境を眺める。ボーダーのオープンは0800時。
私はボーダーを眺めながらこれから始まるアンゴラ旅行へと思いを馳せていた・・・
オシカンゴのボーダー
この時の気持ちは旅行を中断している今でもはっきりと覚えている(注:記事は旅行終了後の2010年6月に書いています)。それだけ私の脳裏に深く刻み込まれているのだ。
そう、この国境を越えたら・・・
今までとは全く違う旅行になる。と・・・
未知なる地域へのちょっとした好奇心とちょっとした期待感、そしてそれを遥かに上回る未知なる地域への不安と恐怖・・・
『何故こんな思いをしてまで行かなければいけないのか?』
自問自答をして出た答えはこうだった・・・
『ただアフリカ中の全ての国の全ての首都を見てみたい・・・』
と・・・
そして軽く口笛を吹いてこう呟く
『Today is a Good day to die(今日は死ぬには良い日だ)』
もう引き返せない所まで来ている。
後は覚悟を決めてやるだけだった・・・
国境のオープンとほぼ同時にナミビアのイミグレを訪れ出国スタンプを手に入れる。
アンゴラのイミグレまでの少しの距離の間、隣を歩いていたナミビア人が話しかけてくる。
「あんた旅行者か?」
『日本人の旅行者だ。だがあんたは?ナミビア人?それともアンゴラ人??』
「俺はナミビア人でこの町の警官だ。そうか・・・旅行者なら俺が一緒に国境を越えてやるよ、俺ならアンゴラのイミグレの奴等とも顔見知りだから君に変な手出しをして来ないだろう。」
『そいつは助かる、よろしく頼むよ』
普段なら猜疑心多く疑う所だが彼の服装や態度から嘘は言っていない事は良く分かる。しかし中央アフリカへ突入と同時に賄賂請求の心配を始めなければいけないとはこれから先が思いやられる。
彼がアンゴラのイミグレの係官に私を「コイツは俺の友達だ」と紹介したことで恐ろしいほどすんなりとアンゴラ側の国境町であるサンタ・クララへ入国。
いよいよ中央アフリカ地域の旅が始まったのだ・・・
アンゴラ
親切なナミビア人警官は最初の目的地であるルバンゴ行のバス乗り場まで私を案内して「グッド・ラック」とお別れする。
案内された最初のバス乗場でみつけたのは古いながらも大型のベンツ、ミニバスかシェアタクを予想していたのでこれはちょっと意外だ、大型バスが走れるならそれはルバンゴまでの道はそれほど悪くないという証左だからだ。
ベンツバス
出発時間は昼過ぎらしい、そうなるとちょっと早く来すぎたが、こういった場合は仕方がないだろう。私はチケットを買い、バスに乗って座席を確保しようとする。
『んっ??』
ベンツバスの中身
『これって・・・良く大都市の中を走っている単なる市バスでは・・・???』
悪路と聞いているアンゴラの道を走るのにバンピーな路面の振動を余すことなく私に伝えてくれるのに最適なプラスチックの硬質シート、どれだけ揺れてもこれに掴まえれば大丈夫と思わせるパイプ式の手すり・・・
長距離バスの常識を覆された瞬間だ。
ルバンゴまで約300km、時速50km平均で走れたとしても6時間はかかる、その間このシートに耐えなければいけないと思うとちょっと気持ちはゲンナリする。
それにあのエチオピアにしたってこれよりはマシだったような気がする。
『チッ!ナミビアを出た途端にこれかよ・・・!』
ただ選択肢は他には無い、ルバンゴに向かうならこれに乗るしかない、早くから来ている特典として乗客が集まる前に自分用に最適のシートを確保する。せめてこれぐらいはいい事がないとこの先やっていけないだろう。
そして昼過ぎに出発すると言ったこのバスが出発したのは結局16時半。
朝8時から実に8時間半待つことに。
未知なる地域に挑む時は朝一番から動き始めるという旅行者の定石、それがここアンゴラでは全く通用しないと分かった瞬間だ。
その事がこのプロフェッショナルにアンゴラのこれからの道中の不安を掻き立てていく・・・
ただ待っていただけのサンタ・クララの町並・・・
サンタ・クララを出たバスは順調に・・・いや順調風に歩みを進める。
確かに停止していた訳では無いが路面の悪さや経路上の町に寄りながらなので進みは遅い。いつの間にかバスは日付変更線を越えて移動していた・・・
ルバンゴまでの道のりで見た破壊された建物、長く続いた内戦の傷跡が見て取れる。
途中で見たガソリンスタンド、そして国道沿い
2005.08.07(日)
朝も空けて7時が過ぎてもバスは中々ルバンゴへ到着しない、300Kmの距離・・・これに15時間以上かけているとなると平均時速20Km程度ということなのだろうか?
そしてルバンゴが近づいてきたらしいと分かってきた頃、私には次の目的地を決めなければ行けないという問題が起きていた。
私の最大の目的地は首都のルアンダ、その経路上に寄れる町としてのルートは次に到着するルバンゴ、それにまだ先の街だがロビトやベンゲラ等。ただこれはメジャー・ルート(あくまでもアンゴラ内のという意味です。旅行者の殆ど訪れないこの国には旅行者のメジャールートはありません)なのであえてアンゴラ第2の都市であるフアンボを経由してルアンダ・インを目指すべきか?
ただアンゴラ最大の問題は「物価の高さ」だ。ATMが使えるかどうか?トラベラーズ・チェックが使えるかどうか分からないこの国で長く滞在するというんのはあまり良い選択肢とは言えない、そしてアンゴラの先の国もこのATMとトラベラーズチェックが使えるのかどうかは定かでは無い。そもそもアンゴラは中央アフリカ地域最初の国だ。滞在日数を最小にして『必要な分を必要なだけ見る』というスタンスの方が妥当なのかもしれない。
ポルトガル語が公用語のアンゴラなのでバスの中で他の乗客との会話はあまり弾まない、取り合えずルアンダ、フアンボ等の地名を連呼していたら、親切なおばさんが「ルアンダ行のミニバス乗場を教えてあげるわよ」と言ってくれたのでそれに乗っかる事にした・・・
ミニバスより撮影したルバンゴ市内
結局ルバンゴには9時半に到着、都合17時間、たった300kmにかかる距離とは思えない長さだった・・・
ルバンゴに到着したら早速そのおばさんがミニバスを捕まえてなにやら交渉している、私をルアンダ行のミニバス乗場まで乗せていってくれということらしい。
到着したルバンゴ市内、ミニバスはここらから。
言われるがままにミニバスに乗り市の中心から少し離れた乗場へ行く、ルアンダ行の直行は無く、ベンゲラ行だがまあ経路上なので問題は無い。出発が直ぐだったので慌ててコーラを買って飲み干す。コーラ一本100クワンザ(当時のレートで1ドル=91クワンザ)、日本で買うより高いコーラだった。
ルバンゴ郊外にあるミニバスターミナル。ターミナルと言っていいのかどうかは本当に疑問。
そしてベンゲラ行のミニバス
ミニバスは1000時に出発。
サンタ・クララからルバンゴまでの道と比べて極端に道路状況が悪くなる。
これが伝え聞いていたアンゴラの道路事情だと納得する。
道中の道路事情
アンゴラ名物の「元舗装路」、舗装してあった部分が中途半端にボコボコになっているので未舗装よりもよっぽど性質が悪い。
さらにもう2枚
そしてアンゴラ人等も・・・
途中で晩飯に立ち寄った村落の食堂、夜中なのにラジカセでガンガンに音楽をかけて中でアンゴラ人が踊っていた。
そしてベンゲラへは深夜0000時に到着。この時間に着いたのならここでどこか宿泊するしか無いのだろうか?
到着したベンゲラのバスターミナル、マーケットエリアでミニバスの到着に併せて数件食堂やキオスク?が開いていた。
2005.08.08(月)
しかしそんな杞憂は必要なかった、ベンゲラへ到着と同時に待ち構えていたルアンダ行のミニバスが私を捕まえる、ベンゲラ行に乗っていた乗客の半数以上はこのミニバスへと同乗する。
ほとんど待たずにミニバスは出発、最初の国境で待たされた以外は順調すぎる接続だ。
ルアンダ行のミニバス
ベンゲラを過ぎたら道路事情は多少よくなる、首都ルアンダからこのベンゲラまでの道がアンゴラで一番まともだということだ。
治安が悪いと伝え聞いていたアンゴラで、結構近代的なガソリンスタンドが24時間営業で開いていてビックリした。
道路事情は良くなった物の、アンゴラの旅行は距離に比して時間がかかるのが特徴だ。日が明けて結構たっても一向にルアンダへは到着しない。
日が明けてからのルアンダまでの道のり、南国チックと言うかどう考えてもアンゴラは南国だった。
そして1200頃・・・
ミニバスはルアンダ郊外へ突入する・・・
今でならグーグル・アース等で街の様子はある程度つかめるだろうが私の旅行していた2005年当時、そんな都合のいい物はまだ一般的ではなく、これまでネットで調べても殆ど景観が分からなかったこのアンゴラの首都ルアンダ。
そこで私を待ち構えていたのは想像以上の大都会だった・・・
突入したルアンダ市内
長く続く内乱とその疲弊したイメージしかないアンゴラ、その首都だからそれ程大した物は見れないだろうと思っていたから尚更の事だった。テンションも当然上がっていく。
市の中心部付近に近づいてきた時、私はミニバスから下りることにした。このまま終着地まで乗るよりもここで降りて海沿いにあるいて自分の場所の検討をつけるつもりだった。
参考として持っていたのはヨハネスブルクのゲストハウスで中古で買った90年代のロンプラアフリカ全土版のルアンダの地図、最新のロンプラではルアンダの地図すら載っていなかったのでこれぐらいしか当てにするものが無い。
一度海に出てそこからホテルを探しながら街を歩き始める。
アンゴラの港沿いビルが立ち並ぶ
聞いた話では「ルアンダのホテルは100ドル以上」、オイルとダイヤで急に外国資本が入り始め物価が急騰したこの国(もちろん一般市民にその儲けはなんの還元もされてません、ただ首都や大都市の物価がクオリティーに見合わない高さになっただけです)では安ホテルはほぼ満室状態でまず泊まれないという事だ。
だが、数件捜し歩くと「42ドル」の宿にたまたま空室が、部屋はシャワー、トイレつき、それに朝食もつくという。これは逃す手は無い。(注:本当に安く上げたいなら半島側にある教会の人の所に民泊、もしくはNaval Baseで無料でテントを張らせて貰うという手はある)
私はその宿に泊まることを決め荷物を置く、通常はここでワン・ブレイクを入れたいところだったが早速市内観光に向かう事にした。
「Time is money」
通常「Time is no money」といわれるこのアフリカだが、この物価の高さで長居をしてしまったら次の国すらいけなくなってしまう。もちろんその時の私の疲労はピークに達していた。ナミビアを出国して待ち時間を入れて50時間以上連続で、しかも悪路で有名なアンゴラを移動してきたのだ。疲れていないわけが無い、だが乗継も順調だったし宿もいい感じで抑えられた。
そしてもう一つ、疲労のピークを越えたことで私のあるもう一つの意識、そうシックス・センシズを越えると言われる「セブン・センシズ」の覚醒をはっきりと自覚できたのだ。
いうならば”無敵”モード、今の私には怖い物など何も無い。全ての符号が一致した今、私の感覚の鋭敏さは通常を遥かに超える鋭さとなっている。かすかな空気の揺らぎさえ肌に、皮膚に敏感に感じ取ることが出来るのだ。
この辺りの感覚は”ただのアマチュアの旅行者”に説明しても理解してもらえないだろうが、過去において自らの極限を超えるほどの自己鍛錬を積み重ねた者ならば納得できる感覚だろう。
中部アフリカ諸国最初の国アンゴラ最初の首都ルアンダ・・・
私の7感はかつて無いほど研ぎ澄まされていた・・・
このように全ての運気、感覚が最高潮の今、何が起ころうとも大丈夫な気もする。
ここは速攻の一手しかない!
宿を出て早速もう一度港沿いに出る。想像以上の都会、確かに昔立てられた都市で内戦もあったので老朽化は甚だしいものはあるがそれでもこの景観は全く思いもよらなかった物である。
私は湾沿いを歩きながら写真を撮り始める。アンゴラでは軍事施設は撮影禁止、となるともちろん港も撮影禁止だ。十分に注意を払って撮影を続ける。
そして30分後・・・
湾沿いの駐車場でのうのうと警察につかまって賄賂請求されているこのプロフェッショナルがいた・・・
「・・・」
「・・・・・・」
「むぅ・・・・」
事の起こりは簡単だった。
撮影禁止区域である港沿いを歩きながら撮影を続けていると少し離れた所から大声が聞こえてくる・・・
振り返ってみると制服を着た警官が二人。
ポルトガル語だから良く分からないが・・・
少なくともカメラという言葉は聞き取れる。
と、いうことは・・・
『ありゃりゃりゃりゃ~、撮っていた事が見つかったんですかぁ~!』
という案配だ・・・
撮影禁止と知っている場所を撮っていた事を自分でも分かっていたのでここは最初から分が悪い。
警官の言うままにカメラを差し出す。こんなこともあろうかとアンゴラ入国時にSDカードを取り替えている。最悪国境から今までのデータが無くなるだけだ。それにここはアフリカだ。賄賂で乗り切るという手もある。アンゴラ、物価は高いけど貧しい国。多分10ドル前後でカタはつくのではないのか?そう考えていた私に彼は予想外にこう言ってきた・・・
「100ドル・・・」
『へっ???』
分が悪いのはこのプロフェッショナルとはいえ、いくらなんでもそれは高すぎだろう・・・
私は下手に出つつも彼らと交渉して値段を下げることにした。
だが10ドル程度で大丈夫だと思っていたこの東城、どうやらアンゴラの、このルアンダの物価を甘く見すぎていたようだ・・・
交渉は中々順調に進まず、100ドルをまず50ドルに下げ、そこまで下がるならまだまだいけるだろうとやってみたが中々下がらず、仕方が無いのでなんだかんだで持っていた小銭入れの中のお金をほぼ全部、3000クワンザ(3500円ぐらい)支払って、それでも中々難癖をつけて私にカメラを返そうとしないその警官から半ば力ずくでカメラを取り返してこの問題にケリをつけたのだった。
そしてその場を去り、駐車場から大通りに出た瞬間、私が目にしたのはルアンダの警察署だった・・・
「・・・」
「・・・・・・」
「うーむ・・・・・・」
先ほどは確かに覚醒していた筈のセブン・センシズ。
これがただ「寝ぼけていた為の単なる勘違いだった」と判明した瞬間だ。
『こっ、こんな警察の目の前で堂々と写真を撮っていたのか・・・』
警察署にカメラを向けて写真を撮るのはこの時点では流石に問題外だったので捕まった現場付近から見た海の写真を・・・
写真禁止地域を撮影していた観光客と、自分の所属している警察署の目の前にある駐車場で堂々と賄賂を請求してきた制服警官と、というどう考えても間違った者同士で戦いであり、色々な意味での不自然さは伴うが、このプロフェッショナルにとってアフリカ中央部、最初の首都アンゴラのルアンダでのこの賄賂との戦いはどう考えても“完敗”であったと言わざるを得ないだろう・・・
それも完全な自爆で・・・
どうやらこのプロフェッショナル、中央アフリカへのこの先の旅行がとても思いやられるようである・・・
そしてセブン・センシズは決して覚醒しないとはっきりと分かった今、こう思わざるを得ないだろう
『何をやってもダメな気がする・・・』
と・・・