あらすじ
フォース・ミッション サード・ストーリー
ガイドブックに載らない最後の国キリバス
新規国家は2泊3日で抜け続けてきたこのプロフェッショナルが、異例とも言える4泊の滞在を決めた国。
そこで目にしたのは今までに見た事も無い「青」だった・・・
どうする!ゴルコ・サーティーワン!!
キリバス概略
キリバス
マーシャル諸島→キリバスへ
※地図はtravelers cafeへ提供された武揚堂社の物を使用。
観光案内所のマップ
キリバス 基礎データ(外務省HP2018年より抜粋し一部加筆)
1 面積:730平方キロメートル(対馬とほぼ同じ)
2 人口:約11.4万人(2016年,世界銀行)
3 首都:タラワ(約3万人)
4 民族ミクロネシア系(98%),その他ポリネシア系及び欧州人が居住
5 言語:キリバス語,英語(共に公用語)
6 宗教:キリスト教(主にカトリック,プロテスタント)
7 通貨:オーストラリアドル。1AUD≒85円(訪問時のレート、実勢レートと違い、読む人がイメージしやすいように大まかな数字にしてます。)
第1章:チグハグなスタート
2018.05.20(日)
出足は低調だった・・・
アワー・エアー(ナウル航空)の途中乗降になるこのルートは今回旅程で唯一座席の事前指定が出来なかったルートなのに、チェックインするとき、座席指定済みと勘違いして「ウィンドウ・シート」と言い忘れ、気付いたときには通路側の座席のチケットになっていた事がケチのつき始めだった。
マーシャルは日没後の到着で、窓際に座っていても上から眺められず、出国の時は是非と思っていたのにそれを果たせず、また以前から気になっている次の目的地の沈みゆく国キリバスを窓越しに眺めるという希望も搭乗前から打ち砕かれていた。
以前ならこんなミスを犯す、このプロフェッショナルではなかったのに・・・
短期旅行の気軽さからか?
それとも以前の様にディテールを突き詰められない程、老いてしまったのか?
着陸前に2座席離れた窓の外からチラ見するキリバスは私を十分後悔させる程、良い景色だった・・・
到着したキリバス。ボンリキ国際空港
『さてと・・・』
空港は荷物を取って税関を抜けてドアを開けたらいきなり建物外という、「玄関開けたら2分でご飯」ともいえる小ささだった。
ホテルの予約時にフリーピックアップを手配していたが、迎えらしき人も車も見当たらない。
こういった国では「タイム・イズ・ノーマネー」だ。
『多分遅れているだけだろう』と、シェイドの下で所在なく時を潰す事にした。
だが、1時間待っても現れない。
『外れかな・・・』
どうするかとちょっと思案していると現地の人が話しかけてきたので『迎えが来ないからバスにしようと思ってね』と答えると、このままここで待てばバスは来るということだ。
その回答に違わず、5分もしないで中型バスが現れたので、それに乗る事にした。
空港とバスに乗って
『幾らなの?』
「2.8AUDよ」
バスのはドライバーと車掌が居て車掌がお金を集めるシステムらしい。
大体40分ぐらいだろうか?目的地のバイリキ、それもホテルの目の前にバスは到着した。
チェックインに向かうと
「あれっ?ウチのお迎えに会わなかったの?」
とレセのお姉さんが聞いてきた。
『いや、1時間位は待ったけど分からなかったよ。来てたのかい?』
どうやら行き違いだったらしい。
ホテルのスタッフは特に私を迎えるような看板を持ってはいなかったのだろう。
何度も謝るレセのお姉さんに
『こっちも発見できなかったからそんなに気にしないでいいよ』
と言ってチェックインすることにした。
上左がタラワブティックホテル、横はスタジアム。下は同じ建物内のスーパー、エスカレーターは止まっている
部屋にいるとゴキブリが居たので相談したらスプレーを買ってくれた。
今日はまだ時間がある。どうしようかと一度レセに行って旅行前にメールで相談していたレンタルサイクルを聞くことにした。
「何時使うの?」
『特に決めてないけど、今日じゃなくて良いよ』
「実はもうオーナーが新車を買っているんだけど引き取りにいかないといけないのよ!」
『えっ?』
「以前は持っていたんだけど、事故とか色々あって止めていたのよ、あなたがメールで聞いてきたから折角だから復活させようかと思って・・・」
『一日幾らなの?』
「料金は特にないのよ、それにあなたは事故とか起こさないでしょう!」
そんな保証はないが、タダだとしたらそれは有難くもあり、迷惑でもある話だ。
只、少なくとも今日は乗らない事が確定したので料金はさておき一度観光に出る事にした。
バイリキ
時刻はまだ14時を過ぎたばかり、宿泊地であるバイリキ観光だけにすると余ってしまう程、観光する時間は十分にある。
そこで私が向かった先はベシオという、バイリキの西側にあるコーズウエイという島を結ぶ道路で結ばれた別の島だった。
「タラワの戦い」先の第二次世界大戦で約4600名の日本軍が3万の米軍を迎え撃ち、ほぼ全滅しながら敵に多大な損害を与えたのが。キリバスの首都、ここタラワだ。中でもベシオは激戦地であり、タラワ観光のハイライトともいえる場所だ。
そんなメインディッシュの様な場所をいきなり初っ端から訪れるのか?
『一番見たい物を真っ先にやっつけておけば後は自由に旅行を組み立てられる』
ツーリストの鉄則だ。
それにいつ天候が崩れるかも分からない。
『見れる時に見る』
この基本を忘れたツーリストに明日の観光は訪れないだろう・・・
ダイ・ニッポン・コーズウェイ。その名の通り日本が造っている
テクテクと30分は歩いて渡ったコーズウェイの景色は見ていて飽きない物だった・・・
渡り終えて直ぐの公園に最初の戦跡が残っていた。
公園と戦跡、下の2個の砲台は日本軍の物。
ベシオ市街 側溝の穴は靴がはまる大きさ。
教会、スポーツコンプレックス、GSなど
地図で見ると小さな島、速攻で終わると思いきや、徒歩で渡り歩き回ると想像以上に時間がかかる。
既に16時を過ぎていた。
何とか墓地を過ぎ、西端付近の旧日本軍の砲台へ。これで折り返しだ。
墓地と砲台
今回はややもすれば思いつきもあり、ベシオに来るのにウェブからダウンロードした資料だけで観光しているので逃している物もあるだろう。日曜日なので観光案内所もお休みだ。
ベシオ市街
ベシオ北部
ベシオ北部の港
上は旧日本軍司令部
やや足早に周りながら大体の見所を周ってみる。
ベシオを一周し終わったころ、18時少し前だった。
『ひょっとしていけるかも・・・』
空を眺めると日没が近づいてきていた。
雲にさえ邪魔されなければ4km程度あるコーズウェイを渡っている最中に夕日がみれること請け合いだった。
そしてコーズウェイに沈む夕日
私の持つ”サンセット・ハンター”の異名は伊達ではない。
初日にベシオに行く選択、コーズウェイを夕日の時間に併せて通り過ぎるシチュエーションの設定。
今日の夕日は完璧だった・・・
宿に戻り、宿のレストランで夕食をとる。
後は部屋で落ち着くだけ・・・
『・・・』
『ご、ゴキブリ・・・』
昼にスプレーを貰って、ある程度吹いたが次から次へとやってくる。
サイズも大中小と一通り揃っている上に、黒というか茶色に近いスケルトンタイプのゴキブリだ・・・
ちなみにこの国には4泊する。
他の新規国家は全て2泊3日で抜けていることを考えると異例ともいえる長さだ。
毎日フライトが無く、抜けるために最低4泊かかってしまうという事実は置いておいて、サード・ストーリー最長滞在となるこの国は間違いなく今回旅行のハイライトだった。
それがゴキブリとの闘いで全て消費されてしまうとしたら・・・
20匹ほど退治した後、このプロフェッショナルと云えども、流石に耐えきれなくなっていた・・・
半泣きでレセへ向かう。
『ごめんなさい、頑張ったんだけど、頑張ったんだけどコックローチが多すぎるから部屋を変えてください・・・』
「あらっ!」
昼間とは違うお姉さんが応対してくれた。
「他の部屋に空きがあるかどうか調べるから部屋で待っていてね。」
そしてゴキブリと一緒に待つ事30分、空き部屋があると男性スタッフが伝えに来た時にまたコックローチが現れる
『こんな感じだよ』
このプロフェッショナルの目にキラリと光った物は、涙だった・・・
「確かにね」
スタッフも同意してくれて、空きのあったスタジアム側の別の部屋に移してもらう。
”新しい部屋にゴキブリが居ません”という保証付では無かったが、それでも前より少しマシになれば良いだろう。
4泊既に予約して料金も支払って・・・
『・・・』
そう言えばクレジット払いにしたけど・・・
『あっ、手数料が5%・・・』
オーストラリアドルも日本で作っていた。
ただ、もしもの時と日常使いの為、なるべく現金は残して可能ならクレジットという作戦が裏目に出た形だった・・・
夜のタラワ、食事と新しい部屋
キリバス初日、何かチグハグで、低調な出足だったけど・・・
最初が悪ければ後は上向きだろう、そう思いたいスタートだった・・・
第2章:北タラワへ
2018.05.21(月)
朝目覚めてもゴキブリは居ない、どうやら最初の部屋が特別だったようだ。
ブッキングドットコムでは有料と書いてあった朝食も実はフリーと幸先は良い。
朝食とホテルの部屋から
そんなに大したものではないが、それでも朝食があるのは有難い。
少し落ち着いてから昨日もいったベシオに行くことにした。
とは言いつつ、観光にではなく観光案内所を訪ねての事だった。
レンタルサイクル
考えなくは無かったが、バスの値段が安いと知ってしまった今、実はレンタルするテンションは微妙に下がっていた。
敢えて聞かずにそのまま外に出てベシオ行のミニバスを捉まえる
80セントのミニバスに乗り、昨日1時間かけて歩いたベシオへ
観光案内所とそこから戻って
観光案内所のフレンドリーなスタッフから地図を貰う。
ここはガイドブック(歩き方やロンプラ)に載らない国だ。
「じゃあ見所が無いのか?」
必ずしもそうではない。ただ、アクセスや何やらで来る人も少ないので例えガイドブックを出しても売れずに元が取れないからなのだろう。
『次はどうするかな・・・』
ベシオで見逃している物がある事も分かったが、それは枝葉でメインはもう済んでいる。
私は陸路で繋がっている所を全て見るべく北タラワへバスで向かう事にした。
観光案内所のスタッフはすぐに捉まると言っていたブオタ(北タラワの一番南の島)方面行のバスは中々見当たらず。ベシオ内周回のミニバスばかりが目に付く島内の道をバイリキに向かって歩く。
島と島を結ぶコーズウェイは一本道でそこなら間違いなくバイリキより遠くいくバスが見つかるはずだった。
コーズウェイに出る直前に「こんにちは」と片言の日本語で話しかけてきた現地人がいた。
彼がついでだからバイリキまで乗ってけよと勧めてくれるがまま逆ヒッチする。
ドライバーと連れの男性は聞けば埼玉で10年以上働いていたらしい。
「おい、あれなら空港の方までいくぜ」
バイリキのホテルのすぐ近くのバス停で降ろして、ついでにミニバスまで探してくれた。
『サンキュー、恩に着るよ』
しかし、ベシオに行ってそこから直行と考えていたのが、これで1時間位は余計に時間を喰った格好だ。
今日はどこまでやれるか?
やってみるしかないだろう。
バイリキ→タナエアまで
ミニバスは1時間位かけ、空港のやや先にある、南タラワ最北端のタナエアの橋まで行ってくれた。
値段は1ドル40セント。
昨日空港からバイリキまで2ドル80セントだったのはどうやら荷物が1座席占領したから2座席分だったという事がこれで判明した。
タナエアとブオタを結ぶ橋
ここでキリバスの首都、タラワについて若干説明しよう
タラワは北タラワと南タラワに別れ、北タラワ最南端のブオタから南タラワの西端のベシオまでの約35kmが道路で繋がれて陸続きになっている。
栄えているのは当然陸続きになっている南タラワで、私の宿泊するバイリキもそちら側にある。
ブオタ。一番下の左が端っこ
橋から20分程度、ブオタの端に到着。ボートを使えば隣の島に行けるがそこまでの興味はない。
陸続きの部分を完全踏破する。
私が目指したのはそこだった。
あっ!ワンピースでみた何かに似てる!!
ブオタからさっき通った橋を渡り南タラワへ戻る。
そして空港側には出ず敢えて裏側へと向かう
タナエアから。途中空港を突っ切る。ひょっとしてこの国もツバルと同じく滑走路が歩けたのかもしれない
空港から市街へはコーズウェイでショートカットがつくられている。
私がいま歩いているのはその裏側の迂回路だ。
特に何がある訳ではないが、どのみちメインストリート側にも何も無い。
テムワイク地区
コーズウェイとぶつかるナエレエレ地区には16:30頃
なんだかんだで結構な時間が過ぎていた
バイリキ行のバスはあっさりと捉まったのでそれで戻る事にした。
ナエレエレからバイリキへ
『昨日は見てなかったな』
宿泊しているバイリキ地区には17時過ぎに到着。
まだ時間があるし、バイリキ自体それほど広くもない
折角なのでここをを散策することにした。
バイリキ。写真上の観覧車は稼働していなかったのが残念
バイリキの中心辺り
またもう一度メインストリートを外れて
夕日は今日はダメだったが、ホテルと同じ建物内にレストランが入っていることに気づいた。
ホテルより少しだけ安いそこは、少なくとも私が食べれるものが置いてあった。
レストラン。右下はいろいろ買ったもの
南タラワで見てない場所は残っているが、まだ丸2日残っていた・・・
第3章:青のオーケストラ
南タラワ
2018.05.22(火)
朝食を摂りホテル前の通りに出る。
目的地は空港だった。
朝食とホテル前
地名を連呼して行先を告げるミニバスを何台かやり過ごす羽目になったが、なんとか首尾よく空港行を見つけて飛び乗る。
バイリキ→空港へ
この国について最初にミニバスに乗って見た空港からのコーズウェイの景色。
昨日も片道とはいえ来ている。
ここは間違いなく、タラワで一番の景観だと思っていた。
そこで今日はここをスタートにバイリキまでの20数Kmを踏破するつもりだった
空港付近のアナナウ・コーズウェイ
歩き始めて数分、私が見たのは、今まで目にしたこともない青だった・・・
お気に入りの景色
環礁の青はいつも独特だ。
エメラルドブルー
それを基準に空の青から海の深い青まであらゆる青が1つの場所から見てとれる。
さながら”青のオーケストラ”と言って良いだろう
それほどまでにこの青は綺麗だった・・・
コーズウェイを抜けナエレエレ地区へ。一番下は小腹を透かした時用に買った揚げパン
タラワ3大地区の一つである文教地区のビケニベウの裏側
ビケニベウ地区
あの青の後では他の見物は残念ながら霞んでしまう。
これを越える美しさを持つのは、このプロフェッショナルの美貌くらいだろうか?
道すがら、環礁側の海の青はエメラルド
一番下右は昨日行ったブオタの陸路の切れ目。
以前ならタバ子ブレイクがあり、キスしている間に身体を休めていた。
ただ、彼女と別れてから、歩き始めると中々休むタイミングが無い。
連日歩き詰めだったこともあり、足の裏に水ぶくれができ始めていたのに気付いていたが、どうせ後で水抜きして軟膏でも塗ればいいとそのまま放置して歩き続ける事にした。
海沿いの道路、下は通学トラックにゴミ収集車。
あまり無いATM、下2段は多分食べるとゴム人間になれそうな感じの果物
ゴミボックスもあるけどない所は木につるしていた。上右はGS
適度な疲労は魂の覚醒を産む。
それは宿泊しているバイリキ地区とビケニベウ地区の中間点付近のスチュワート・コーズウェイを抜けアンボ地区に差し掛かった頃だった。
『あっ、あれは・・・、モ、モン・サン・ミッシェル・・・』
では、勿論無い。
ここはキリバスの首都タラワだ。
『モン・サン・タラワ(聖タラワの山?)』
とでも呼べば良いのだろうか?
明らかに潮の満ち引きで渡れる渡れないが決まりそうだからという意外の類似点はどこにもないが、私は一人のプロフェッショナルとして、この奇妙に人を引き付ける聖なる島に渡って一周することにした。
モン・サン=タラワ(←勝手に命名)
渡るまで5分、1周10分。
はっきりと言って行く価値は皆無だった。
俗にいう”覚醒損”というヤツだった。
だが、それはそこを訪れた者だけが言える感想だと自分を無理に納得させ、また先に進む。
上:GSに商店。中:教会、下:国会議事堂
上:教会、下:給水塔と飲料用の蛇口。数は少ないが歩いていると偶に見かける
バイリキの隣の細長い島、5地区ぐらいに分かれていた
空港近くから6時間程度かけてバイリキ・コーズウェイへ。時刻は17:00頃。
ようやくゴールが見えてきた。
バイリキ・コーズウェイ
バイリキ地区
バイリキは昨日見ていたのでホテルに直帰して、またホテル外のレストランへ。
やや薄暗くなる空を窓から眺めて昨日と同じメニューで食事をする。
上はホテルの廊下、下はレストラン。チキンの黒コショウとライス
タラワ3日目・・・
分割払いとなったが、これで地続きの場所全てが徒歩で繋がった・・・
さて、明日はどうしようか?
特に思いつかないまま、ゴキブリの全く見ないグランド側の部屋のベッドで、夜のまどろみの中に落ちていった・・・
第4章:ベシオ再び
2018.05.23(水)
今日が観光の最終日だ。
取り敢えず陸路を徒歩で全て繋げてしまった今、やる事は残っていなかった。
『どうしようかな・・・』
当初は自転車でやるつもりでレンタルサイクルの可能性をメールで問い合わせていた。
やる事の無くなった今、折角私が来るから買ったと言っていたこの自転車を試すのは悪くはない考えだろう。
レセに行って聞くと「準備するからちょっと待って」と言われ、サドルにビニールがかかり、フレームが厚紙に包まれた真新しい状態の自転車が持ってこられる。
『本当に買っていたんだ・・・!』
自分の為にとわざわざ準備してくれていた物を使わない手はない、というか使わないのは失礼と言うものだろう。
『料金は?』
そう言えばチェックインの時タダと言っていた。
料金のある物を無料で使うのは落ち着かないが、初日に応対してくれた女性ではなかったので、ここで問い質すのもちょっとやり辛いので敢えて聞かないことにした。有料なら返却時に請求してくるだろう。
どこに向かうか?
折角だから南タラワのハイライトともいえるベシオ地区の前回見逃したちょっとした物を訪れる事にした。
借りた自転車とダイ・ニッポン・コーズウェイ
乗り始めて最初に気付いたのはブレーキが無い事だった。
『あれっ?』
と、思ったが、ついていないというよりペダルを止めるか逆回転させるとブレーキが利くシステムだった。
使った事の無いタイプだったので少しやり辛さを感じたが、幸いにもキリバスは平坦過ぎるほど平坦な国なので特に問題は無いだろう。
一応観光案内所に寄って、『これってどのあたり?』と、確認してから現地へ向かう。
下2段は初回時訪問済みの旧日本軍司令部。又、地図は防水のマップケースに入れいていた。
港湾地区
上右は目の前には行けなかった観音像
水没したシャーマン戦車、見逃したもののハイライトがこれだった。
そして見たものが・・・中段の物
渡された観光案内所のパンプレットや最近訪れた他の人のブログを見ると砲身が綺麗に出た物が写されていたので、単純に干潮時に行けば見れたとは思うが・・・
今一つスカしてしまった感を引き摺りつつ、ハッチの丸が見えただけで満足することにした。
墓地地区(初回時訪問)
下右:米国海兵隊の記念碑
日本の支援で建てられた小学校。ダイ・ニッポン・コーズウェイ
これで大体午前中は終わりだ。
久しぶりの自転車で想像以上に汗をかいた。
宿がリゾートならビーチでのんびりもアリだったが、幹線道路沿いのビジネスホテルに望むことではない。
クーラーが効いてゴキブリが皆無な部屋でまったりと過ごす事にした・・・
夕方になり食事をして外に出る。
メニューは同じだが目玉焼きを付けた、月は15倍のコンデジで撮影。
バイリキ
一応少し粘ってみたが夕日はダメだった。
そう考えると初日に見れた事は本当にラッキーだったと言ってよいだろう・・・
第5章:出国
2018.05.24(木)
朝食を摂って宿を出たのは09:30頃だった。
宿の送迎者は空港でのピックアップと違い、見逃されることも無い。
ドライバーのお姉さんと適当に話していると
「そう言えば自転車代はらったの?」
と、聞かれたので
『いや、払ってないけどタダじゃないの?』
と答える。
「30AUDよ!」
『えっ、たった一日で!!』
と答えると
「それなら15AUDよ」
という事らしい。
物事には対価があるし、料金的にも多分そうだろうといった線だったので納得だったが・・・
『払うのは良いけど領収証は出るの?』
「あら、メルアド教えて、帰ったら領収書をPDFにして送るからそれで良い?」
断る理由はない。
『それでいいよ』
話はまとまった
宿→空港へ
私を下ろす前に何となく忘れてそうだったので『自転車代は?』と聞くと「ハッ!」とした感じで一度固まってから「こめんなさい、忘れてました」と正直に答えてきた。
15AUD払って、私が払ったとサイン付きでメモ書きしてとお願いして持っていたノートに記入してもらう。
彼女を信用しない訳ではないが信用している訳でもない、習性と言うヤツだった。
『ありがとう!』
ボンリキ国際空港は国際空港と名付けるには余りにもローカルだった。
クーラーも無く混み合うチェックインカウンターでしばらく並んで手続して、出国審査を終え待合ロビーへ向かう。
この国ではプライオリティパス等何の役にも立たない。
まあそれ以前に私はパスを持っていないので関係ないのだが・・・
ボンリキ国際空港
来たのはアワーエアー(旧ナウル航空)だが、抜けるのはフィジーエアーだ。
目的地はナンディ、2年前に2度訪れた場所だ。
離陸
今回は窓際だったが、環礁帯から遠ざかるように離陸したので殆ど何も見るべきものがなかった。
いずれにしても、これで今回のハイライト、キリバスは終わったのだった・・・
第6章:エピローグ
出足は悪かったキリバス、終わりも決して良かったとは言えない。
だが、そこで見続けたこの国の海と空の青は私を決して飽きさせ無い物だった・・・
『青のオーケストラ』
その美しさは、あの故マイケル・ジャクソン氏でさえ、喋れない日本語でこう叫ぶ程だろう・・
そう、
「アオッ!」
と・・・
Fin・・・