トルコ

テッサロニキ→イスタンブール(鉄道)

基礎データ(2018外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:780,576平方キロメートル(日本の約2倍)
2.人口:約8000万人(2016年、トルコ国家統計庁)
3.首都:アンカラ(2017年、人口約545万人※2004年は350万人)
4.民族:トルコ人(南東部を中心にクルド人,その他アルメニア人,ギリシャ人,ユダヤ人等)
5.言語:トルコ語(公用語)
6.宗教:イスラム教(スンニ派,アレヴィー派)が大部分を占める。
   その他ギリシャ正教徒,アルメニア正教徒,ユダヤ教徒等。
7.通貨:トルコリラ(YTL)、補助通貨1TRY=100YKr(クルシュ)
   当時の実勢レートに近い1TRY≒90円として計算します。

※ブログの日付は旅行当時に合わせてますが、帰国後10年以上経てから記事を書いているので実際のアップ日は2018.10.14です。

※旅行当時の記事は「謎の日常」「ヨーロッパorアラビア??(イスタンブール:トルコ)」にアップしてます。


2006.12.24(日)

 ギリシャ側で03:30時~05:50時
 トルコ側で05:15時~06:15時
 と、これまでのヨーロッパ間ではちょっと考えられない約3時間も費やして、国境越えを果たす。
 
 これで97ヶ国目となるトルコに入国、中東の始まりだ。

 今回もオフシーズンの恩恵を甘受し、寝台独り占めなので移動は快適だ。

トルコ領内に入って、洗面台付きのスリーパー。


 10:40時、ヨーロッパ側からのイスタンブールへの最終駅であるシルゲジ駅に到着。
 オリエント急行の終着駅でもお馴染みのこの駅からは、まだどこかヨーロッパの香りがしていた。

 ATMでお金を引き出しトラムに乗って市中に向かう。

イスタンブール駅


 泊まる宿は決まっていた。
 「Tree of Life」
 通称ツリーの名で長期旅行者に知られる日本人宿として、世界でも屈指の宿だ。
 ※元々闇宿(営業許可無しの宿)だったらしく、調べたら2013年3月に閉鎖されたとありました。

 東欧周遊時に知り合った旅行者と、旅程も被るのでここで再会の約束もしていた。
 チェックインすると直ぐに見知った顔が2,3人。久しぶりなので会話も弾む。

 日曜なので今日は特にやる事も無い、友人たちと食事をして、街中を散策する。

上段:アヤ・ソフィア。下2段:ブルーモスク(正式にはスルタンアフメット・ジャーミィー)

昼食。金閣湾を挟み旧市街側から新市街側の眺め

金閣湾

新市街。上段左:ガラタ塔、

左上:スュレイマニエ・ジャーミィ、右上:イェニ・ジャーミィ
中段左:ガラタ橋、中段右:シルケジ駅。下段:ブルーモスク


 夜のツリーは楽しかった。
 友人が先に泊まっていたので直ぐに馴染むことが出来たのも大きいが、それ以上に泊まっている面子が、無銭旅行のけい氏等を始め多士済々であったからだ。

 イスタンブールという東洋と西洋の文明交差点であるこの地は、旅行者にとってもヨーロッパから、アジアから、アフリカからとあらゆる方向から来て、またそれぞれの方向に進んでいく、ジャンクションの様な場所だったのだ。 

 面白くない訳が無かった・・・


2006.12.25(月)

 月曜になり、街が生きだすと共に私も動き始める。

 クリスマスはどうするの?
 と、聞かれたら、去年は移動するのと洒落込んでいたが、今回はイブが移動で当日は仕事だった。

 次の目的地へ向けてのセットアップ。ヨーロッパでは一部を除いてビザ無し入国ばかりだったが、これからの中東は、事前に習得する必要があるからだ。

トラムにメトロ


 ただし、物事には段階がある。
 次の渡航国であるシリアの査証習得には、まず日本大使館からのレターが必要と言うアフリカチックな面倒臭さだ。

 それを午前中に申請し、午後に首尾よくゲット
 
新市街


 午後からシリア大使館に行ってももう手遅れなので、今日はこれで終わりだった。

ガラタ橋


 また夜も宿の仲間と無駄話をしながら時を過ごす。
 そう言えばサラエボ以降、同宿に日本人は居なかった・・・


2006.12.26(火)

 日本大使館のレターを持ってシリア大使館へ向かう。
 午前中に申請が終わり、午後には受け取れる。
 順調だ。

 友人と一緒だったので新市街側のテレフリック(ロープウェイ)に乗ってぶらぶらと観光する。

テレフェリック。下段はドルマバフチェ宮殿付近
 
またテレフェリクに乗って

トラム。中段左は連れられて何回か行った有名なアイス屋。中段右は別の場所で買ったスイーツ
最下段は世界で2番目に古い地下鉄のテュラム



2006.12.27(水)

 この日は特にやる事が無かった。
 適当に散策しながら、郵便局で荷物を出したりバーガーキングに行ったりとまったりな一日を過ごす。
 東欧では移動と観光の繰り返しばかりだったのでたまにはこんなのも良いだろう。
 
 とは言いつつ、のんびりとばかりもしきれないので夜景散策へ向かう。 

夜景





 夜のガラタ橋は私を飽きさせることは無い。

右下はムハッレビというスイーツ


 それにしてもイスタンブールは都会だった。

2006.12.28(金)

 昨日休んだので、今日は一転して攻勢に出る。
 気になっていたボスポラスクルーズだ。
 安宿に泊まる長期旅行者のツボには余り嵌らないイベントだが、それでも道連れが見つかるのが日本人宿の良い所だった。

ボスポラスクルーズ





 フェリーは終点のアナドル・ヒサルに到着。

アナドル・ヒサルにて



  15時頃、出発して戻る。

復路便


左下:ロカンタ。右下は翌日に食べたカツオのたたき


 クルーズ船上で沈む夕日も眺められた、充実した一日だった。

2006.12.29(金)

 この日は全く動かず、だらけきった一日を過ごす。
 夜はボスポラス海峡クルーズに同行した男性がカツオのたたきを振舞ってくれた。

2006.12.30(土)

 宿は楽しいままだったが、ちょっと間延びし始めてきたと感じたので、頑張って観光することにした。

トプカプ宮殿に訪れる

トプカプ宮殿、ハーレム







 そしていよいよアヤ・ソフィアへ。
 ビザンツ建築の最高傑作とも言われる、教会がモスクに転用されたこの建物は、宿の近くで何時もで見れると思っていたので先延ばしにしていた場所だ。

アヤ・ソフィア



ブルーモスクとその周辺

市場




 我ながら結構勤勉に観光したと思うが、夜はまた宿で他愛もない話で時間を潰す。

2006.12.31(日)

 朝おきてからタダ(無料)の地下神殿を見て軍事博物館に行くとお休みだった。
 仕方が無いので適当に散策する。

市街


 1週間居たイスタンブールだったが、年越しになる今日、ここを出るつもりだった。
 
 満足した宿に、仲良くなった同宿者。
 いくらでも居つける環境。
 新年をここで過ごすと自動的に3日まで、7日までと出発を先延ばししそうだった。

 このままだと動けなくなる、そうなる前に動くべきだった。


新市街と夕暮れ時


 別れを告げると考えると、途端にやり残しが頭に浮かんでくる。
 1週間、通常旅行者が一都市に滞在する日数としては長い方だが、それでもまだ見る物が残るほど、イスタンブールは巨大だった。

夜のブルーモスクにバスターミナル


 19:00時、バスは出発。

 名残は惜しかったが、私は旅人交差点ともいえる、イスタンブールを後にした・・・ 


※旅行当時の記事は「謎の日常」の「ヨーロッパorアラビア??(イスタンブール:トルコ)」を参照

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