実際のアップは2017.12.31となります。
ルーマニア
キシナウ→ブカレスト→ブラショフ(全て鉄道)
基礎データ(2017外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:約23.8万平方キロメートル(本州とほぼ同じ。)
2.人口:約1,976万人(2016年)
3.首都:ブカレスト(人口約210万人)
4.民族:ルーマニア人(83.5%),ハンガリー人(6.1%)など
5.言語:ルーマニア語(公用語),ハンガリー語
6.宗教:ルーマニア正教,カトリック
7.通貨:ルーマニア・レウ(RON)。1レウ≒50円(訪問時のレート、実勢レートと違い、読む人がイメージしやすいように大まかな数字にしてます。)
2006.11.05(日)
キシナウ(モルドバ)を出た夜行列車は順調に進むも夜の3時に何故か相席の男に、私の持っていたコーラを売ってくれと不可解なリクエストで起こされ、モルドバ・レウで支払われそうになったので、煙草と引き換えにする。真夜中に一体全体何をやっているんだかという話だが、それでもルーマニアの首都ブカレストには06:30時に到着。駅の両替はレートは悪かったがこのまま先に進みたかったので50ユーロを166レウ(約8300円)に替え、首尾よく07:08時発の急行のチケットを購入する。
ブカレストは首都なのでまた戻ってくるとして、まず最初に目指すしたのはブラショフだ。
ブカレスト駅でと出発後に見た朝焼け
地図を見ているとローカルで西から回り込みながら行けそうな物でもあったが、時間効率を考えると夜行で一度首都まで出て、そこから往復した方が、色々な面倒ごとが避けれるからというのがこのルートに決めた理由だが、それでも一度行った道をまた戻るのはツーリストには気が滅入る選択だ。モルドバで一度トランスドニエストル往復をやっているから尚更だった。
ブラショフには約3時間、09:51時に到着。雪が積もっているのは予想外だったが、荷物を駅に預けて市内へと向かう
ブラショフ
首都でないここに、往復までしてわざわざ来たのには理由がある。
日本で、というか世界でも知らない者はいない「ドラキュラ伯爵」。そのモデルであるヴラド・ツェペシュ串刺し公の居城と言われるブラン城があるのがここブラショフなのだ。
ツーリストとしてはここより北にある歴史地区が世界遺産のシギショアラを訪れないにしても、この世界中に名を馳せるドラキュラの居城は外せないポイントだろう。
ブラン城はさらにここから30km程度離れているのでバスに乗って向かう。
バスとブラン城
入場料の12レウ(600円)と写真料の10レウ(500円)を払って早速中へ入る。いよいよドラキュラ城とご対面だ。
城内
生憎の雪が却って雰囲気を出し、如何にもといった風情を醸し出していたが、残念ながらドラキュラという歴史プレミアムが無ければただの城だった。それでも行かないよりは行った方が納得できるから空振りしたと思っても良かったのだろう。
ブラン城付近
またバスに乗り市内へ戻る。
ブラショフ:上右:黒の教会、中:歴史博物館とスファトゥルイ広場
ここはルーマニアでも有数な観光名所だ。
そもそも旅行に興味が無ければ、ルーマニアと聞いた所で、一般にはドラキュラとコマネチぐらいしか思い出さないだろう。その片割れの拠点がここなのだから、それは観光地化される以外に選択肢は無いだろう。
市街:上右:聖ニコラエ教会
市街をぐるっと散策する。それなりに歩きごたえのある街並は見ていて楽しい物だった。
市街:上右:ブラショフ要塞博物館
残念ながら、日曜なのに開いているレートの良さげな両替所でトラップに引っかかってしまう(当時の記事は「謎の日常」「ドラキュラの罠…(ブラショフ:ルーマニア)」)初歩的なミスを犯し、立つ鳥跡を濁すという結末となってしまったが、やる事の無くなったここを後にして、次の目的地、シナイアへ向かうことにした。
鉄道駅
出発したのは16:12時、シナイアへは1時間程度だ。
去り行くブラショフ、ただの城だったブラン城。
改めてガイドブックを読んでみるとこんなことが書いてあった
『ワラキア公ヴラド1世がここを居城にした、ドラキュラのモデルとなったヴラド・ツエペシュは彼の孫』
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そこで気になってWebで検索するとこんな事が書かれていた
この城は吸血鬼ドラキュラの居城のモデルになっただけで、そのドラキュラのモデルである串刺し公はこの城には全く住んでなかった
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ここはプロフェッショナルとして敢えてこう言わせて頂こう
俺の歴史プレミアム感と失った時間と両替の損失を返してほしい・・・
と・・・