第23話 フィン・デル・ムンド[地の果て](舞台国:チリ)

Category: 激闘の記録!

あらすじ

世界最南端にある街としてはウシュアイア(アルゼンチン)が有名だが・・・
さらにその南に知る人ぞ知る「プエルト・ウイリアムス」という世界最南端の村がある。

この正に「地の果て」と喩えていいこの場所に・・・

オフ・シーズンのこの時期に敢えて果敢に挑むプロフェッショナル・デューク・東城。

果たしてこの最南端の村狙撃はなるのか?

そしてその脱出は?

どうする!ゴルコサーティーワン!!



注:フィン・デル・ムンドはスペイン語で(地の果て)を意味します。





プロローグ エル・カラファテにて・・・

2008.06.01(日)

ここに到着したのは5月23日の昼過ぎ、24日はペリトモレノ氷河へのミニトレッキング、そして25日はウプサラ氷河のクルーズツアーを敢行し、ここでやるメインはもう既に済んでいた。

私の観光に対する姿勢はこうだ。その場所に到着したら可能な限りの速度で観光を済ませてしまう。過去の経験から言って時間の経過は味方にはならない場合が大半だからだ。後で見ようと思っていたものはその後の状況の変化などで結構な確率で逃す事も多い。そして観光を終えたら速やかに他の観光地に移動する。そうすれば、もし何かトラブルがあったときでも時間的な猶予が作ることが出来るからだ。

だがカラファテでの観光を終え、この私がここに1週間近く滞在していたのには訳があるのだ。

私は当初次の目的地を世界最南端の街「ウシュアイア」と決めていたのだが・・・
さらにその南にある世界最南端の村「プエルト・ウイリアムス」に興味を持ち始めていたのだ・・・

ビッグネームのウシュアイアにつられ、そこで「世界最南端の街」を見た。と満足する旅行者が大半だが・・・私はさらにその南、人間の居住区の南限界であるこの「プエルト・ウイリアムス」に心を捉われていたのだ・・・

そもそも最南端と私の付き合いは古い。

日本では本州最南端の潮岬、四国最南端の足摺岬、九州最南端「佐多岬」。
そしてアフリカでは最南端のケープアグラス、インド亜大陸最南端のコモリン岬・・・

いずれも狙撃を完了している。

今回の対象は村であり、大陸最南端ではないが・・・それでも人間の住む南の極限、最南端の地といって良いだろう。

是が非でもターゲットにしなくてはならない。

この村に行く方法は4通り、チリのプンタ・アレーナスからフライト、もしくはフェリー、それかアルゼンチンのウシュアイアかボート、もしくはフライト・・・
夏ならこの4種のオプションすべてが使えるのだが今は冬のシーズンなので入念に調べ上げることが大切だ。

カラファテに滞在している間、”コンプタドール(スペイン語のコンピューター)”と仇名される私の明哲で優秀な頭脳はフル回転して可能性を模索していた。

フライト・・・南米大陸に入ってから、今までルート上で一度もフライトを組み入れていない。陸路へのこだわりがそれほどあるわけではないがそれでもやはり陸路でいけるなら陸路だ。何よりも空路は高い。しかし他のオプションは海路となる。料金的には空路と比べても遜色ないか高いぐらいだ。
チリからのアクセス?それともアルゼンチンからのアクセス?
カラファテに来る為に一度アルゼンチンに入ったもののルート的にはチリからの方が南米大陸にきれいなラインを描ける・・・ウシュアイアまでここから行くと往復ルートが出来てしまいこれも美しくない。

私は色々な要素を検討した結果・・・

チリのプンタアレーナスからフェリーでプエルト・ウイリアムスを訪れることにした。

フェリーでビーグル水道を通って世界最南端の村に到着する。これはロマンだ・・・



そして・・・

世界の最果ての地で・・・

フェリーのクルーズで出会う若い男と女2人・・・

そう、芽生える恋の予感・・・


ロマンティストを自他共に認めるこのプロフェッショナル。この最南端狙撃をあっさりと飛行機などで済ますのにはもったいない・・・


ここは・・・フェリーの一手だろう・・・

ただこのフェリーは月に2,3回の運行。カラファテに到着した週は便がなく、次の出向は6月4日だ。私はその為に時期を待たなければならなかったのだ。そして物価の高さで行ったらチリはアルゼンチンよりも高い。

私がカラファテで1週間余分に滞在した所以である。

そして別の問題もある。

プエルト・ウイリアムスに到着後、どうやってウシュアイアに行くか?である。

先に書いたように今は冬のローシーズン、だが・・・

地図を見て可能性を探ることにする。
必要なのは感情を排して徹底的に論理的に考えることだ。

プエルト・ウイリアムスからウシュアイアまでビーグル水道を挟むものの100kmもない。
そして国が違うとは言えプエルト・ウイリアムスに最寄の都市はウシュアイア。そうなると、地元の人が買い物などにいくのならチリのプンタ・アレーナスに行くよりもウシュアイアに行くほうがよっぽど近くて利便である。
ガイドブックに乗っているのはクルーズ船やツアーばかりだったが・・・

私のコンプタドールがこの事に正確な解答を与える。結論はこれだ!

現地の人間の利用するローカルトランスポートが無い訳が無い!



そう私は旅行界で唯一”プロフェッショナル”を名乗るツーリスト・・・

今回も上手く切り抜けることは間違いないだろう・・・


エル・カラファテの日本人宿から見た朝焼け。








第1章 始まりの地・・・

2008.06.02(月)

エル・カラファテを朝出発してプエルト・ナタレスへ。ここで1泊しようと当初は考えていたがやはり早めに向かうことにし、そのままバスを乗り換えてプンタ・アレーナスへ。

客引きがバスの到着を待ち構えていて市の中心でありながらバス・トイレ付で15ドルの宿を借りれることが出来た。物価の高いチリでこれもオフシーズンならではの値段だろう。

到着した日の夜景。左は中心の広場にあるマゼラン像。左右の足元にある像は征服された先住民族で征服者と被征服者のコントラストを明確に示している。右は展望台から見た夜景、奥はマゼラン海峡


この日はゆっくりと休むことにする。

2008.06.03(火)

出航は明日だ。私はチケットを買いに行く。ネットで予約は済ませていたので安心だ。
そしてチケットを購入してからはプンタ・アレーナスを観光する。



プンタ・アレーナス街の全景。


免税地区であるソナ・ブランカ、安いかもしれないが品揃えはそれほどでもなかった。その近くにあった軍の基地



公園。木のベンチがかわいらしい、チリのセンスを伺わせる


植木もきれいに刈り込まれている・・・



またここでは大きな買い物も・・・

実を言うと日本からはいて来たメレリの靴がもう底が駄目になり、新しく買い換えたかったのだ。
メレリは履き心地こそ良かった物の半年しか持たなかったのだ。ここプンタ・アレーナスでまたメレリをと思っていたが残念ながらゴアテックスのローカットの物は発見できず、色々見て回ったがノースフェイスをこの際だから試してみることにする。これもゴアテックスを選んだので値段は17000円ぐらいと高かったが靴に関して性能の良い物がほしかったのでこの出費は致し方ない。それにこれから最南端狙撃が待っている。未知の場所に行くのに装備が万全でないと心もとなくもあるからだ。

左は履いてきたメレリの靴。底が悪くなっていただけでなく浸水もするようになっていた。右は新しく購入したノースフェイス。


夕食も張り込む事にする。フェリーは2泊3日、38時間の旅だがこの最南端狙撃の前にいい物を食べてモチベーションを上げたかったからだ。

レストラン・ラ・ルナと食べたステーキ



世界史を変えた発見と言われたマゼラン海峡。

その街を短いながらも堪能し、後は明日の出発を待つだけとなる。







だが・・・

物事はそうは上手くは進まなかった。

ホテルに戻る途中でよったネットカフェ

そこにはフェリー会社からのメッセージが・・・


「積載するトラックの到着が遅れた為に出発は一日延期します・・・」


・・・


・・・・・・



この冬の時期に・・・こんな話も無くはないと思っていたが・・・


まあいい、遅れるのは一日だけだろう・・・



2008.06.04(水)

この日一日、ただ街をぶらぶらとすることになる・・・ 

フェリー会社からの連絡もあり明日の出発は確実となったのは朗報だが物価の高いチリで一日延びるのは痛い。

私を慰める物、それはただスイーツだけだった。

チョコがいっぱい!でも一個あたりの単価は高い!









第3章 最南端を目指して・・・

2008.06.05(木)

出航の時間は1800時、それまで日中は特にすることはない。

また街を散策し、そろそろという4時頃、街を出る前にもう一度マゼラン像を見に行く。
足元にいるアラカルフ族。彼の右足に触れると航海を無事に終えられるという幸運の言い伝えがあるからだ。

私もその顰にならうことに・・・



『誰?こんなものぶらさげたのは??』


まあいい、顰に倣うのはやめにしよう。これではありがたさが台無しだし、そもそもこの私は無神論者だ。


コレクティーボ(乗合のタクシー)に乗り港へ。

これからがロマンの始まりなのだ!


港の近くにあるモニュメント?というか軍艦をそのままモニュメントに



港に到着。私の乗る豪華客船は・・・??





・・・



・・・・・・



これは・・・貨客船という奴では??


そして私の客室は??

左はベッド、210ドル。右は座席、175ドル


時間が長いのとガイドブックにベッドを推薦してあったからベッドにしたのだが・・・

それにしてもこれで「210ドル」とは・・・

チリの物価の高さは恐るべしだろう・・・

まあいい、豪華客船でのクルーズにはならないが・・・別のロマンが待っているはずだ。

そう「ラブ」という名のロマンスが!!




だが・・・

乗客らしき者が・・・

私以外に見えない・・・


思い余って聞いてみると・・・

「あー!今日のお客さんは君だけだよ!ベッドも個室になるから良かったね〜・・・!!」



『・・・』




『・・・・・・』




『へっ!??』



まさか・・・・まさか乗客がたった一人とは・・・



オフシーズン恐るべし・・・・



まあいい、ラブと名の付くロマンスこそノーチャンスとわかったが・・・



本来クルーズとはそういうものではない。


ゆったりとした時の流れに身を任せ、道中の景色を楽しむ。

それこそがクルーズでのロマンに違いないのだ。


そして船は1900時に出港する。


去り行くプンタ・アレーナス


いよいよ最南端への道のりが始まったのだ!






第4章 たどり着く地の果て

2008.06.06(金)

2泊3日とはいえ夕方に出航して明け方に到着するこのフェリーで道中の景色を楽しめるのは今日一日のみ。

私は心行くまで最南端を目指すこの航海の景色を楽しむことにした。

このロマン溢れる風景を・・・

写真だけではあるが読者の皆と楽しもうではないか!!



航海中の景色


流氷も見れたが・・・




『・・・』



『・・・・・・』



この日一日、一度も晴れ間を見ることなく・・・


道中の景色もほとんど見れず・・・


おまけに長時間外にいたために微熱が発生し・・・




ロマン溢れるクルーズ。一度きりのチャンスはノーチャンスであった・・・



2008.06.07(土)


そして翌朝0800時ころ・・・


なにやら灯りが見えてきた・・・

それに小型船も・・・




船の艦橋からライトが燈される。




そしてタラップが開き・・・

霧に包まれた中・・・




私は船から下り、その地に足跡をつける・・・


振り返って眺めたフェリー




そう、私はいよいよこの最果ての地に到着したのだった!






第5章 フィン・デル・ムンド(地の果て)

2008.06.07(金)


いよいよ最果ての地に到着。

私は数件当たって宿を決め、村の散策に出ることにした。

郵便局やその横の土産物屋、そして博物館で記念のスタンプをパスポートに押してもらえはしたのだが・・・

村は残念ながら厚い雲に覆われて靄に包まれたままだった・・・

街並み


ミラドールからビーグル水道を望む。


太陽を直視しても問題ないほど!



プエルト・ウイリアムス・・・


私の中でこの村は未だ神秘のベールに包まれていた・・・



2008.06.08(日)

私はこの村への滞在を出来れば2泊以内にと考えていたのでチャンスは今日だけだ。

幸いにして今日は快晴といって良いだろう。昨日は神秘のベールに包まれていたこの村の姿を・・・

これから数枚の写真を持って紹介しようではないか!

広場と街の中心。


博物館。そして光と影の明暗で残雪のラインがきれいに出来ているところ。


ヤーガン族の末裔が住むウキカの集落とそこにいたるまでの海岸線。


そして夜景・・・



人口約2300人、人間の居住区の南限界であるこのプエルト・ウイリアムス・・・


私はプロフェッショナルとしてはっきりと分かったことがある・・・



『なんだ、ただの村じゃんか!!』


ということを・・・







第6章 最南端脱出

2008.06.09(月)

私はプエルト・ウイリアムスに到着した日からこの最南端をどう抜け出すか?そればかり考えていた・・・

私の読みで行ったら確実にローカルの交通手段はあるはずだった、この2日間、当たれる限りの旅行会社をあたり聞き込みもし、宿にもお願いして船を捜したのだが・・・

聞き込みの成果は芳しくない、というか・・・そんなものはついぞ発見できなかったのだ!!

夏のシーズンなら船がウシュアイアから船が来ていたそうなのだが・・・

そして・・・ここを脱出するには・・・

海路でプンタ・アレーナスに戻る。飛行機でプンタ・アレーナスに戻る

そしてもうひとつ・・・

セスナをチャーターしてウシュアイアに行く・・・

この3通りしかなかったのだ!!


決断は容易だった。

もうプンタ・アレーナスに戻る気はなかった。

それにセスナのチャーターは200ドル、そしてもしもう一人誰か行く人間が見つかれば100ドルと半額に・・・

少なくとも陸路にこだわってフェリーでプンタ・アレーナスに戻るよりは安い・・・

だが・・・

今まで南米大陸で続けていた陸路と海路による移動・・・

これが・・・

この100kmにも満たない移動で飛ばなければならないとは・・・


ただ、このプエルト・ウイリアムスは決して安い村ではない。時間の経過は私の味方にはなってくれないのだ・・・


この日の朝も私は泊まってるホテルにお願いして方々当たってもらったが・・・
残念ながら・・・ついぞ海路の道は私に開かれなかったのだ!

私は陸路と海路による南米大陸1周を諦め・・・

空路をとる事にした・・・

できれば相棒がいれ安くつくとは思ったが・・・

その可能性も無く・・・

私は一人寂しくセスナをチャーターするという、東城史上かつてない大技での脱出となったのだ!!


私のロジックに非の打ち所など無かった筈だ・・・

ただ・・・

季節が・・・


そう天が私に味方してくれなかったのだ!!



ぐぅぅぅぅぅ〜・・・





ホテルを出発して空港へ向かう。

空港とそこから見た村の景色。軍艦も停泊している。 



ウシュアイアからのセスナが到着したのは1130時頃。イミグレとカスタムの人間が昼食で空港に不在だった為にしばらく待って出発したのは1230時。

到着したセスナとコクピット



天気にも恵まれ道中の景色は確かに良いものだった。





そしてたった20分のフライトを終え空港へ・・・



一度空港について入国手続きをすませるともう一度セスナに乗れと

私がいぶかしがっているとセスナの拠点はまた別の場所らしい。

セスナはもう一度大空を舞い上がり・・・

と思ったら舞い上がり切らずにすぐに着陸・・・


これがセスナのあるアエロクラブ。



ここで私はセスナのチャーター代200ドルを支払い・・・

街まで歩いて出ることにした・・・


道中の景色を眺めながら・・・私は大きな感慨に浸っていた・・・

アエロクラブから市内への道中。市の中心までは15分ぐらいだろうか。
ちなみにこれだけいっぱい船があるのにこの内の一艘たりともプエルト・ウイリアムスには行かなかった。





最果ての村から最果ての街へのこのフライト・・・



目からうっすらと涙が滲んでいる・・・



だが、この涙は別に何かに感動したからなどでは決して無い!


そう、旅行末期で金銭的な余裕がなくなってきているこの時期に・・・

大陸の陸路&海路一周の野望を絶たれた挙句にたった一人でセスナをチャーターしなければいけなくなり・・・

200ドルもの大金を支払った、その料金の高さからなのだ!!


あぅぅぅぅ〜・・・





そしてエピローグ。


私は冒頭あたりにも書いたがそもそも最南端と私との付き合いは古い・・・

だが今までの最南端行を振り返ってみると・・・


本州潮岬では到着日には台風・・・、足摺岬は悪天候の為に殆ど何も見れず・・・
千葉から九州最南端を自転車でと考えて行った佐多岬では、岬の入口からは自転車不可でバスを待たされる羽目になり・・・

アフリカ最南端のケープアグラス、レンタカーを借りていたのだが有名なケープタウンにのみ興味を示す旅行者が圧倒的で誘っても誰一人として一緒に行ってくれずに結局一人で行く羽目になり・・・
インド亜大陸最南端コモリン岬、朝日と夕日が同じ場所で見れるこの場所でも雲が多くついぞ朝日も夕日もばっちりと眺められずに・・・




そして今回の地の果ての村プエルト・ウイリアムス・・・

私は南米大陸陸路&海路で一周の望みをたたれたばかりかセスナの一人チャーターなどというかつてない手痛い出費を強いられる羽目となったのだ・・・






私は今、今回のこの狙撃を振り返り、そして強くこう確信する・・・













“最南端”だけにまたしても”災難だった”






と・・・






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