第17話 フェアリー・テイル[おとぎ話](舞台国:トルクメニスタン)

Category: 激闘の記録!

あらすじ

故二アゾフ氏が作り上げた「偉大なる首領様率いる某国」に比肩する独裁国家トルクメニスタン。

そのトルクメニスタンにスタン系国家最後の国として挑むデューク東城!

与えられた期日はトランジットのわずかに5日・・・

この期間を無事に消化して抜けきることは出来るのか??



どうする!ゴルコサーティーワン!!




プロローグ


ルーフナーマ表紙(これは日本語版、アシュガバートで250円ぐらいで購入できる) 





宣 誓

聖なるトルクメニスタン、
私の母国、
あなたに捧げてもいい、
この命を、この身体を!
もしも私があなたのことで
少しでも疑いを持てば、
私の手は腐るがいい!
もしもあなたの悪口を言えば、
私の手は腐るがいい!
母国を、偉大なるトルクメンバシュを
裏切ったら命がなくなるがいい!


これがその宣誓






「・・・」






「・・・・・・」






トルクメニスタン・・・






故ニアゾフ氏(通常の呼び名はトルクメン人の頭領の意味を表す”トルクメンバシュ”省略して”バシュ”が一般的なので以下バシュで表す)が作り上げた「独裁者の国」・・・



現在世界でこの国に比する独裁性を持つ国は・・・僅かに「偉大なる首領様をいただくアジアの某国」ぐらいだろうか・・・



この冒頭に掲げた「ルーフナーマ(魂の書)」はこのバシュが書き上げたもので2001年度の出版、以降すべての教育機関で正課となり公務員試験や運転免許の取得にすら必須となり、「読めば天国に行きやすくなる」など経典に近い扱いらしい・・・



それに「個人崇拝」と言う点でも「先の某国の偉大なる首領様」に引けを取らず、街中至る所に大統領をたたえる「黄金のバシュ像」やスローガンがあふれている・・・



恐るべきことは、このようなメンタリティーが中世ではなく・・・1990年代以降のこの現代に生み出されているといった「時代錯誤性」だろう・・・




近代において絶滅したかに見えていた物が・・・ここには現実として存在するのだ!!





これこそ現代の「フェアリー・テイル(おとぎ話)」と言って良いだろう・・・






そして、このことからも・・・この国が”容易な国”ではないということが分かっていただけるだろう・・・




ビザの取得もツーリストビザは完全に旅行代理店に任せる形となり・・・旅行者が取れるのは入国日指定の5日間のトランジットビザのみだ・・・




私は”プロフェッショナル”として・・・万全な態勢を持ってこの国に挑むことにした。




今回は珍しく「チーム」を組んでのミッションだ。


メンバーはビシュケクで知り合い、タシュケントで再会して以降、道中をともにしているといえば聞こえはいいがただ私が”ストーキング”している「エース」
それに同じくビシュケクで知り合い、サマルカンドとブハラで再会してブハラ以降我々に加わった「レイ」
さらに同じくビシュケクで知り合い、タシュケントで再会してヌクスで合流することになった”女には手は早いが成功率には疑問が残る”英国紳士の「マーク」


の計4人だ・・・


エースもレイもマークも渡航経験豊富で実に頼りがいのある・・・任せがいのある・・・3人だ・・・


これならば・・・”私は何にもしなくても”・・・十分に乗り切れるだろう・・・




「誰かがやってくれる・・・」




そして


スタン系国家最終章が・・・



今、幕を開ける・・・


フェアリー・テイルの始まりだ・・・




第1章:ファースト・デイ

2007.09.14


昨日の打合せで、4人とも首都「アシュガバート」に焦点を当てることは一致していた。そしてウズベキスタンのヌクスからの経路上にある「キョーネ・ウルゲンチ」にある「古ウルゲンチ」を見てからアシュガバートに向かう算段を立てていた。

マークの情報によると、日本のガイドブックには記載されていないが、ロンプラにはトルクメニスタンの見所のハイライトの一つとして天然ガスのクレーターが載っており、それが丁度先ほどのキョーネ・ウルゲンチからアシュガバートの中間ぐらいのデルベゼという村の近郊にあり、彼の推薦も考え合わせて、これも見ることになった。

そうなると出発は可能な限り朝早くだ、ボーダーオープンと同時にトルクメに突入して、さっさと古ウルゲンチ遺跡をやっつけ、その足でこのガス・クレーターを見る、そして翌午前中にはアシュガバートというのが一番効率がいい。

しかし難点はある。「朝食代込み」でホテル代を支払っているので、私としては「プロフェッショナル」として、なんとか朝飯を食べてから出発したかった・・・




お金を払ったのに・・・





食べないともったいないからだ・・・







しかし残念ながらエース、レイ、マークの3人は朝食にはそれほど興味を示さず、結果多数決で一度朝の0700時の出発となっていた。


しかし、「天はこのプロフェッショナルに味方」した。

エースが0900時まで国境が開かないと言うことに気づいたおかげで時間を変更!


無事に朝食にありつき、ウズベキスタン内カラ・カルパクスタン共和国の首都ヌクスを朝0800時に出発となった。



国境にはオープンの0900時少し前に到着、ここまでは計算通りだ・・・



ウズベキスタン側でもトルクメニスタン側でも特に国境で揉める事もなく、トルクメニスタンへスムーズに入国。




さぁていよいよトルクメニスタンだ!!



国境の通過に双方併せて2時間近くかかったがまだ時間はある。


国境を出て直ぐにタクシーをハイヤーし、キョーネ・ウルゲンチのバザールに行き両替、それから世界遺産にもなっている古ウルゲンチ遺跡を見学。


古ウルゲンチ遺跡

左:先ずは14世紀後半に建立されたトレベグ・ハヌム廟。右:それに有名なクトゥルック・ミナールのミナレット。中央アジアでは最も高い


それにこれはクルク・モーッラの丘。転がっている男性は子宝祈願の為。
厚着をした女性が坂から転がるとガイドブックには書いてあったが・・・
野郎しか転がってなかったのが残念でした・・・



古ウルゲンチ遺跡にはそれ程時間を掛けて入られなかった。



次のターゲットの「ガス・クレーター」が控えていたからだ・・・



このガスクレーターは丁度ギョーネ・ウルゲンチとアシュガバートの中間のデルベゼという所にあり車で6時間程度と予想されるので、日没前後に間に合うためにはここを1400時には出発しなければならないからだ。



ほぼ予定通りに古ウルゲンチの見学を終え、1400にミニバスをチャーター。



交渉は殆どマークが行う。結果4人で48ドル、ここを出てデルベゼに寄ってガスクレーターを見学してその辺りで宿泊、明朝早く出発してアシュガバートには午前中に到着するという事になる。


それにしてもトルクメニスタンはタクシーのハイヤーが安くて助かる。500Km前後の距離をハイヤーしてこの値段、一人当たり12?とは激安といって良いだろう。


それにミニバスは快適だ。「トヨタのハイエース」に4人でスペースも十分だ。



我々は道中の景色を楽しみつつ、一路デルベゼへと向かった。





じゃじゃ~んと紹介!

今回トルクメ攻略に集いし4人の精鋭達(私の写真は省略)


左:先ずはエース(左側)にレイ(右側)。左:それに英国紳士、8年ほど前にアフリカ37カ国を周りその他世界各地に出没し続けるマーク。






「・・・」





「・・・・・・・」




「大丈夫か・・・???本当にコイツらで・・・???」



まあいい、たとえ彼らの力量がどうであれ・・・




「私よりは上手くやるには違いない!!」



「憑いて(ストーカーして)いこうか・・・}





ミニバスは順調に走り、1930時頃デルベゼに到着。日没直前だ。




ここからは一度ミニバスを離れ、バイクでガスクレータの位置まで行かなければならない。



ミニバスのドライバーが地元民に交渉してくれる。



バイクで我々を運んでくれる地元民はやる気のない大型犬を別にいい小遣い稼ぎといった感じだ


これがそのやる気のない大型犬




彼らの言い値は一人5ドル、値下げ交渉を一応はしてみたものの・・・上手くいかず・・・結局彼らの言い分を飲む形でバイクをチャーターして2人づつ(バイクが2台しかないので)、行く事になる。



ここからは15Km程度の距離があり、こちらが見る気満々なのでこの値段で折れてしまった形だ。





先ずはじゃんけんで順番を決めマークとレイが先発。



私とエースは2030頃、彼らの戻りを待って出発




バイクで20分ぐらいいってから・・・





目にしたものは・・・


おお~!!




近づいて眺めると・・・






「ちゅっ・・・ちゅごい・・・!!!」





天然ガスの噴出すクレーターが・・・炎をメラメラとあげながら・・・



ゆらめいて・・・噴き出しているのです・・・・





これが”フェアリー・テイル(おとぎ話)”でなくてなんだろうか・・・・




トルクメニスタン・・・






前座である筈の初日から・・・


ただならぬ様相を呈し始めてきた・・・






我々は2130時頃にミニバスに戻り、ドライバーの意見もありそこから100Km程アシュガバートに近づいたエルベントという街で5時間ぐらいの仮眠を取り出発。



アシュガバートには0830時頃に到着



15Kmの往復で一人5ドルと言う値段と、約500Kmの移動で1泊(車中泊)ありで一人12ドルという料金の格差にミニバスドライバーは不平をこぼしてはいたものの、そこは契約だから仕方が無い事だ。



料金を払いタクシーに乗り換え、市の中心の安宿を目指す・・・



旅行者に有名な「鳩研究所(アマーノウ邸)」は2ヶ月前に5ドルで泊まった知人がいたにもかかわらず、10ドルから値下げせず、あきらめて「ドウラーノウ邸」へいく、ここはガイドブック通りに5ドル、朝夕食つきだった。

家族のホスピタリティーも良く、これで万全の態勢で「アシュガバード攻略」へと向かうことが出来るようになった。


いよいよ「フェアリーテイル」の始まりだ・・・!!



第2章 おとぎの街へようこそ



2007.09.15-17




アシュガバート・・・

トルクメン語で「愛の街」を意味するこの街・・・




しかし・・・今やこの街は

バシャバート(バシュの街)と言った方が相応しいだろう・・・






我々がここで目にしたものは・・・


おとぎの世界にしか有り得ない物だった・・・



滞在した3日間・・・


我々は・・・




現実離れしたこの世界と言う物を・・・

まざまざと見せ付けられることになった・・・





ここは言葉はいらない




ビジュアルで・・・



この街の凄まじさを紹介しよう・・・







先ずは・・・



バシュバシュバシュ・・・の黄金の像から・・・



新市街の中心、中立門のバシュ像、常に太陽の方向へ向いて回転していると言う馬鹿馬鹿・・・神々しさ・・・
上(像の下)は展望台になっている
ちなみに数ある黄金のバシュ像の中でも・・・これがキング・オブ・バシュと言って良いだろう・・・

左:これがその頂点に立つ!!。 右:アップはこんな感じ・・・



夜になると・・・像はグロテス・・・スポットライトを浴びてこの世の物とは思えない輝きを放っている・・・








「・・・」






「・・・・・・」













それに市街の中心からは少し離れているが独立広場には・・・


左:独立記念塔をバックにしたバシュ。右:それが夕日を浴びると・・・






「・・・」







「・・・・・・」







他の名も無き・・・いや、なんかあるのかな広場にも・・・




左:馬をバックにバシュが立つ・・・。右:背中に背負う国旗は「俺がこの国を背負っているぜぃ」を象徴している・・・






「・・・」







「・・・・・・」







それだけではない街中のビルに”さりげなく”・・・




こんな感じの像も至る所に・・・



あっ!ビルの上には・・・


バシュ印・・・








「・・・」






「・・・・・・」







「さりげなくねぇ~・・・」









そう言えばこんなのも・・・ 



それに像がオーラを纏うと・・・


うーん、バシュ恐るべし・・・



これは珍しい「ホワイト・バシュ」






「・・・」






「・・・・・・・」 






なんだこの黄金像の多さは・・・





「石も投げれば”バシュに当たる”状態ではないか・・・!!」





それに・・・テレコムの看板にさえ・・・




えっ!トルクメニスタンが・・・あらゆる世界の中心なんて・・・!!



それに何という露出度!それにこの自己主張の強烈さは・・・!!






旧共産圏で必ずある偉大なるレーニンすら・・・

市中には僅かに一個なのに・・・


これが偉大なるレーニン像・・・




しかも建物の裏手の公園の中にひっそりとただずんでいる・・・


しかも・・・



”黄金でなくて銅”・・・




バシュ像を見た後だと・・・単なる「路傍の石」に過ぎない





それに市中の本屋には・・・



このバシュ関係の本の多さは・・・


本屋と言うより・・・バシュ・タレント・ショップでは・・・


ルフナーマと言えば・・・独立広場付近にこんな巨大な「ルーフナーマ・モニュメント」が・・・
以前は夜2000時に本か開いて映像と音声が流れていたらしい・・・今は「独立記念日」のみと聞いたが・・・







「・・・」




「・・・・・・」






「・・・バシュラッシュとは・・・この事を言うのか・・・!!!」





さらには近郊のギョクテペ(ちなみにトルクメニスタンの主要民族であるテケ族がロシア軍の南下政策に頑強に抵抗し虐殺された場所でナショナリズム鼓舞の為に聖地に認定されている)には像こそ無いものの、砦の跡地に自分の名を冠した「サパルムラート・ハジュ・モスク」(注:トルクメンバシュの本名はサパルムラナート・ニアゾフ)なんてのを建てているし・・・



これが巨大バシュモスク・・・さすがに黄金像は無い





死後間もないのに・・・遺体はアシュガバード郊外の巨大モスク・・・ドームはバシュにちなんだ?黄金色に葬られているなど・・・







「・・・」





「・・・・・・」






「どこまでやれば気が済むんだ・・・!!!」








現行大統領(多分)も街中のかなりの場所でデカポスターで対抗?しているものの・・・小粒な感は否めない・・・

コイツが現行大統領(多分・実はどうでもよかったので・・・調べておりませぬ・・・)






「・・・」






「・・・・・・」







「絶句!!」







ここまでの個人礼賛、個人崇拝が・・・



国家単位で・・・



しかもこの現代の世に・・・




存在しているとは・・・





この凄まじさはまだ見ぬ「某国・偉大なる首領様」と比較しても・・・



決して引けをとるものではないだろう・・・







しかし・・・この街の凄さはこれだけではない!



黄金の像に目が行きがちだが・・・



バシュはこの地で得られる天然ガスからの富を・・・この都を「世界一美しい都市」に変貌させるべく・・・惜しげもなく投入しているのだ!!


この都市の美しさは・・・


これをもって中央アジア諸国の他の追随を許さないものになっているのだ!!




先ずはこのアシュガバートに咲く植物群を見てもらおうか・・・


こんな物たちが・・・それに花まで・・・









「・・・」







「・・・・・・」







「おぉ!!これぞおとぎの世界にしか存在し得ない植物では・・・!!」










街の夜景も・・・





煌いていて中々の物だ!!




独立記念塔をそのバックに良く分からない宮殿みたいなものが・・・




それに名も無きビルや街灯すら・・・この輝きを・・・!!







「・・・」








「・・・・・・」






「やっやりすぎじゃ・・・」







それに自称「世界最大の噴水」も・・・



これが世界最大の噴水


あれっ!上は・・・屋外ホールに・・・








「・・・」





「・・・・・・」






「これは・・・」






「噴水って言っていいのか??」









さらに街の中心の中立広場、中立門からの景色は・・・


ちなみに奥(青色ドーム・・・見えるかな?)はルーヒエット宮、そして手前左はバシュの名を冠したトルクメンバシュ宮。やっぱりドームはバシュにちなんだ黄金!

左:うーん街がキラキラ輝いているのです・・・。右:それに噴水までもこんなに・・・







「・・・・」






「・・・・・・・」







「うーん・・・しゅっしゅごい・・・!!!」







そしてこの全てのおとぎチックな世界の全てををぶち壊・・・



あっ!それに彩り鮮やかなスパイスを添える・・・





一番目立つ中立門・・・


やはり・・・バシュが街一番の輝きと煌きを放っている・・・







「・・・」






「・・・・・・・」






「・・・・・・・・・・」






「ばっ馬鹿過ぎ・・・???」







「・・・・あっ!!訂正!!」






「ちゅっちゅごすぎるぅ~・・・・!!!」







恐るべきバシュの街・・・



今アシュガバートは・・・・



アスタナ(カザフスタンの首都)を超え・・・



中央アジア随一の光を放っている・・・!!!




あくまでも”中央アジア”随一の・・・!!!



2007.09.18


ここで我々は作戦を一部変更する。

当初はこのままアシュガバートに18まで滞在して18の午後から一番近いイランのボーダーへと向かいマシュハドを目指すつもりだったが・・・

マシュハドを目指すならもう一つルートがあり、折角だからそのルート上に組込む事の出来る世界遺産にもなっているメルブを見学し、それに併せてアシュガバートから格安の一等寝台列車も乗ろうということになったのだ。

マークは当初の計画通りにアシュガバートにぎりぎりまで滞在することになったので彼と別れて私とエース、それにレイの3人でホテルを17の夕方に出発した。


アシュガバートを15の朝に到着してから17の夕方まで楽しんだ我々はタクシーで駅に向かう


アシュガバート駅・写真は昼に撮影したもの。
表示は「WOXZAL(駅の意味)」だけとある意味「男らしい」・・・




列車は2030時に出発、ちなみにボラれて30000マナト(150円)、それで1等寝台(4人コンパートメント)という驚きの安さだ。

そして18日の朝(深夜?)0240時にマル駅に到着

こちらはマル駅・ここも正面からの表示は「WOXZAL(駅の意味)」だけ・・・
男らしいというより・・・もっと言葉を使え!地名ぐらい書けるだろう!!
マル駅



ここで時間を潰し・・・

そして0600時頃になってからタクシーをチャーターする

午前中にメルブの観光を終え、ボーダーが閉まる1700時までには国境に到着していなければならない。
国境のサラフスまでは大体3-4時間といったところだからまあ余裕を持って1100時には見学を終えて出発といったところだろう。

タクシーにはとりあえずマルからメルブ遺跡を観光してマルに戻るということで100000マナト(5000円)で交渉が纏まる。

ガイドブックに書いてある料金よりは少し安めだからいい買い物だろうか・・・


ちなみにこれがマル駅でチャーターしたタクシー






そしてタクシーは飛ばし・・・0730時にメルブ遺跡の入口といっていいソルターン・サンジャル廟で停止・・・

ソルターン・サンジャル廟



そして我々は・・・




ここで捨てられた!!!




タクシーのドライバーが豹変し、急にマルからメルブまでで100000マナトと言い出したからだ!!


もちろんそんな話は飲むつもりはない、我々は荷物を出し・・・抗議する・・・


しかし、話は纏まらず・・・



結果我々はタクシーを失う事に・・・


もちろんお金は一銭も払ってないがそれは当然のことだ。


約束を急に変えてきた彼の落ち度だ・・・



しかし、時間がないからマル駅で万全を期してタクシーをチャーターしてきたのに・・・



ここには殆ど車も通りかからないので・・・



これは困ったことになった。



それもこの最終日、トランジットビザの切れる日に・・・



ちなみに「オーバーステイ」の罰金はつい最近の情報では「一日で100?(おそらく賄賂で話をつけたものと思われる)」だ。




それにメルブの遺跡は広大だ・・・歩くなら丸一日はかかるのだ・・・



取り敢えず、荷物をチケット売り場に預けて焦点を絞って駆け足気味に周ろうとしたがチケット売り場の人間が荷物預かりを拒否する。まあ元々荷物を預かるのが仕事というわけではないから・・・これはいた仕方無いが・・・


結局我々3人は荷物を背負って観光に、ハマダーンのモスクへと先ずは向かう。

ハメダーンのモスク。



ここまで約3Km、荷物を全部持っての移動だ。朝早く涼しいのでまだそれほどきつくは無いが・・・
今後の観光と国境への移動を考えると・・・早いうちに手を打たなくてはならないだろう・・・


そしてモスクに到着して・・・


たまたま駐車場にいた人に話しかけると・・・


それはモスクのスタッフの人で・・・



「捨てる神あれば拾う神あり」



という諺通りの展開を見せてくれたのだ!


我々の状況を察してくれた親切なモスクのスタッフたちが軽食を振舞ってくれた上に、車でタクシーに乗れる所まで送ってくれたのだった!


近郊の町のバイラム・アールに一度行き、タクシーをチャーターし直す

チャーターしたミニバスはこれ



チャーターはメルブ遺跡を観光してそれからサラフスボーダーへという内容だ。
色々手間取ったので時刻は1000時頃になっていたが・・・
まあぎりぎりセーフだろう・・・


そしてメルブ遺跡の仕切りなおし・・・


左:先ずは乙女の城ことクズ・カラー。              右:そして最西端の仏教遺跡ギャウル・ガラー


左:メルブ遺跡の全景が見渡せるエルク・ガラー。         右:エルク・ガラーからの景色





もう一度バイラム・アールに戻る。



そして我々のドライバーは車を交換し・・・

左:バイラム・アールで乗り換えた車。信頼の置ける”日本車”。右:ちなみに国土交通省のお墨付き・・・


左:車検だってバッチリ!!・・・・んっ・・・期限切れ??    右:保管場所は・・・荻窪か・・・こんな離れたところで車庫に戻せるのか??







「・・・」






「・・・・・・・」





「信頼していいのか??」





そう考えもしたが・・・


車両は順調に進み・・・フェンスを越えればイランというところまで・・・



ちなみにフェンスの向こうはイラン・・・!!




そしてボーダーへ到着

車中からボーダーを撮影。降りて撮影したら・・・揉める事必至だろう・・・



時刻は1430・・・



余裕を持っての到着だ・・・




国境では何事も無く・・・


無事にイランへの入国を果たす・・・



フェアリー・テイルは



今その幕を閉じたのだ・・・







エピローグ・・・


おとぎの国の5日間・・・


私にとっては

「The Longest Five Days(最も長い5日間)」

であったと表現してもいいだろう・・・





「狂気・・・もといファンタジーに満ちたアシュガバートでの日々・・・」





「偉大なる首領様の某国と比肩し得る唯一の国家トルクメニスタン・・・」







その故バシュの馬鹿さ加減・・・



てっ訂正・・・



偉大さは・・・



中央アジアの中で




いやいや、私が今まで訪れてきた112カ国の中でさえ・・・





”巨大な輝き”を放っていた・・・・!!






そして私は確信している。






ここで過ごした5日間・・・






「私はフェアリー・テイル(おとぎ話)の世界の中の住民であった」







ということを・・・







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