スリランカ一の大都市と首都(コロンボ/スリー・ジャヤワルダナプラコーッテ:スリランカ)

スリランカ

キャンディ→コロンボ⇔スリー・ジャヤワルダナプラコーッテ

基礎データ(2019外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:6万5,607平方キロメートル(北海道の約0.8倍)
2.人口:約2,103万人(2016年)
3.首都:スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ
4.民族:シンハラ人(74.9%),タミル人(15.3%),スリランカ・ムーア人(9.3%)(一部地域を除く値)
5.言語:公用語(シンハラ語,タミル語),連結語(英語)
6.宗教:仏教徒(70.1%),ヒンドゥ教徒(12.6%),イスラム教徒(9.7%),キリスト教徒(7.6%)(一部地域を除く値)
7.通貨:スリランカルピー 1Rs=100Cts(センツ) 100Rs≒110JPYで計算(2007年旅行時のレート)

※ブログの日付は旅行当時に合わせてますが、帰国後10年以上経てから記事を書いているので実際のアップ日は2019.03.02です。

2007.04.11(水)

 コロンボに到着し、一夜明けた水曜。

ホテルのシングルからの眺め


 11:00時とのんびり起きて宿に聞くとダブルが空くと言うので早速移動する。

 幸先の良いスタートに気分を良くしたので、ダメ元で再度キャンディのホテルにTELして失くしたヘッドライトを問い合わせたが、やはり無いと言われる。
 折角上げたテンションを自ら下げてしまったのはちょっとしたミステイクかも知れなかったが、少なくとも未練は絶てたと考えれば出足は悪くないだろう。
 街に出ることにした。

 コロンボは都市圏200万人の人口を抱え、スリランカの人口の1/10が集中するこの国で一番巨大な都市だ。 

コロンボ市街


 ただインドのデリーやムンバイ等の超巨大都市を見た後では、それ程の喧騒も感じず、そこそこの都市の一つと言った感じだ。

上段:昼食を摂ったその名もホテルニッポン、天井は家紋?。下段:市内
ベイラ湖とシーマ・マラカヤ寺院


 15:00時、初日に行けなかったセントラル・カルチュラル・ファンドを訪れる。
 共通券と国際学生証を見せると2160Rs(約2400円)、現金で戻ってくる。
 アヌラーダプラのイスルムニヤ精舎のチケット売場で聞いた通りではあったが、正直疑心暗鬼だったので、この結果は『ほっとした』というより『驚いた!』といった感じだった。
 ただこれで大分嫌い方向に振れていたスリランカが、ほんの少しニュートラル方面に戻った事は確かだろう。

セントラル・カルチュラル・ファンド付近。


 キャッシュバックというここでの「やるべき事」はこれで終わりだ。
 
 テロ(※2007年時のスリランカは内戦終結前)の影響でバリゲードや兵士を至る所に見かけ、写真撮影もがしづらいのは難点だったが、後は市内を散策する。

バンダーラナーヤカ記念国際会議場

上段右、中段:独立記念ホール

上段左:国立博物館。上段右以下:ヴィハーラ・マハーデーウィー公園

ヴィハーラ・マハーデーウィー公園の金色の仏像とタウンホール

市街:上段はモスク


 ショッピングセンターがあるので立ち寄って懐中電灯を探したが、失ったものが最新式で珍しい物だったので、それと同等の物は無く、他にピンとくるもは無い。
 今後は予備のマグライトで最後まで凌ぐことになるだろう。

上:市内の鉄道駅


 夕方になり、ゴール・フェイス・グリーンと呼ばれるインド洋に面した海岸線に出る 

ゴール・フェイス・グリーン


  雲は多かったがガイドブックの「日没は特に素晴らしく、インド洋を赤く染めて沈む夕日をみていると来てよかったと思うこと間違いなし」の一文に惹かれ、一縷の望みに託してみたのだ。

ゴール・フェイス・グリーンの夕方


 そして結果は確率的に御尤もな「一縷は一縷」であった・・・

ゴール・フェイス・グリーンの日没


2007.04.12(木)

 10:00時、起きてからコーラとパン2個と簡単な朝食を済ませ、中央郵便局へ行く。
 まだこの国の観光は残っているが、郵便局が泊まっているホテルの隣の建物とお手軽なので、一旦溜まった地図やパンフレットなどを日本に送ることにしたのだ。

中央郵便局と送った荷物


 建物は隣でも手続きはスローで、思いの他時間がかかり、送り終えて再度出直したのは12:00時を過ぎてからだった。

市街


 次に向かったのはワールド・トレード・センター内のスリランカ航空のオフィスでリコンファーム(予約の確認)を行う。 

最下段:ワールド・トレード・センター


 これで用事は終わったので、観光することにする。

 今日の目的は本来の任務である”首都狙撃”
 コロンボはスリランカ一の大都市であって、首都は「スリー・ジャヤワルダナプーラコーッテ、通称コーッテ」になる。

 中心部のペター地区から103番の市バスで20分程かけてコロンボ郊外のボレラへ行きここで153番に乗り換えて30分、コロンボから10km離れた首都コーッテに到着。

ペター地区から首都まで


 ここは1982年、コロンボから遷都され首都となった計画都市だ。
 ただ、そのころから続く内戦で移転は全く進まず、有名な建築家ジェフリー・バワ氏の手掛けた巨大な国会議事堂があるだけだ。

国会議事堂とコーッテ市街


 そしてその最大の見所も、近付くことは出来ても中には入れない。
 ここを見に行っても画竜点睛を欠きまくる事、請け合いだった・・・
 
国会議事堂とその周辺道路

白い仏像とグラモダヤ民族芸術センター


 ショボいというと、内戦による移転中断中という事情から失礼ではあるが、それにしても見所が皆無に等しいコーッテはこれだけで終わりだ・・・

 帰りは上手く170番のペター地区直行バスが捉まる、所用も30分程度で戻ってきたのは16:30時。
 市内の見逃していた見所をちょろちょろ周るのに丁度良い時間だった。

ペター地区、最下段はオランダ時代博物館

上・中段:ジャミ・アル・アルファ―・モスク。最下段:ヒンドゥー寺院
市街


 夕方はまたゴール・フェイス・グリーンへ出てみる

夕方


 雲は多かったが、水平線の上に隙間があり、丁度日が沈むのを眺められる

夕日


 ベストの景色とは言わないが、沈む夕日を見れた事は少なくとも僥倖だった。

日没後


 20:30時、夜はこの国初のマックでフィレオフィッシュのラージセット

マクドナルド

 

2007.04.13(金)

 09:30時、チェックアウトして駅へ向かう
 
立派な建物


 10:30時発だったので食事をしてのんびりと待つ。

コロンボ・フォート駅


 急行は1時間遅れの11:30時に出発

コロンボ・フォート駅


  買った2等の車両は混雑していて座れず、次の目的地まで立っての移動となる。

 連結部分に荷物を置いて車窓からの景色をぼんやりと眺める。
 スリランカも後2日で終わりだった・・・


※当時の記事は「謎の日常」の「衝撃の首都・コロンボ(コロンボ:スリランカ)」「衝撃の首都アゲイン!(コーッテ:スリランカ)」を参照
 
 






  • What’s new?(2019.05.12)

    仕事と私用と旅行準備で色々停滞中

    「謎の日常・4th4th_北米カリブ海編」に、
    2019.05.18
    第4任務第4話出発前(松戸市:千葉県)New!
    「謎の日常・日本観光編」に、
    2019.05.12
    万券の街(深谷市:埼玉県)New!
    2019.04.29
    餃子の街(宇都宮:栃木県)New!

    見聞録シリーズの更新は帰国して次の旅行記事が終わってからなので当分先になる予定です

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