インド
シルディ―→ムンバイ(バス)
基礎データ(2018外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:328万7,469平方キロメートル※日本の約9倍、インド政府資料:パキスタン,中国との係争地を含む。(2011年国勢調査)
2.人口:12億1,057万人(2011年国勢調査)
3.首都:デリー
4.民族:インド・アーリヤ族,ドラビダ族,モンゴロイド族等
5.言語:連邦公用語はヒンディー語,他に憲法で公認されている州の言語が21
6.宗教:ヒンドゥー教徒79.8%,イスラム教徒14.2%,キリスト教徒2.3%,シク教徒1.7%,仏教徒0.7%,ジャイナ教徒0.4%(2011年国勢調査)
7.通貨:インドルピー 1Rs=100P(パイサ) 1Rs≒3円で計算。(実際は2.75程度)
※ブログの日付は旅行当時に合わせてますが、帰国後10年以上経てから記事を書いているので実際のアップ日は2019.02.10です。
2007.03.24(土)
18:30時、夕日を眺めながらバスは進んでいく
次の目的地はムンバイ
旧名でいうならばボンベイ、ボンベイと言えばボンバイエと皆様にお馴染みの深いインド最大の都市だ。
車中から
19:00時、ムンバイ・ドーダーという郊外の町に着く。
ここから、さらに市の中心に向かう為19:30時発の鉄道に乗換える。
インド最大の都市だけあって中心部に出るのにも一苦労させられる。
20:00時、ようやくムンバイで第一の、チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅(旧名ヴィクトリア・ターミナス駅)に到着。
もう夜は十分に暮れていたので、このヴェネツィア・ゴシック様式の世界遺産の駅を眺める間もなく直ぐに宿を探す。
チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅
1時間程度歩き回り探すも、ホテルの値段は高く700Rs(2100円)以上の物ばかり。
結局駅近くの現地人で満タンのホテル・シップのエアコンドミに160Rs(480円)で宿泊を決める。
こうして宿が決まり少し落ち着けたので食事を摂りネットをしてから戻り、ベッドに横たわると同時にわざわざやや高いエアコン付のドミニにしたのにも関わらず、身体の上で蚤、ダニ、虱がダンスショーを始めるてくる。
このベッド環境は劣悪で、久しぶりにエチオピアを思い出してしまった。
たまらず寝袋とシーツを出し、「隣で寝てるインド人は気にしてないのかな」等、詮無い事を考えている内に何とか眠りにつくことが出来た・・・
2007.03.25(日)
宿泊事情は宜しくなかったが、今日はやる事が山積みだ。
仕方なくもう一晩ここに泊まる事にして料金を先払いする。
駅近なのは便利で、チャトラパティ・シヴァージーへ行き外国人オフィスで次の目的地への鉄道チケットを購入。
港まで少し離れているので歩くかタクシーかで少し悩んだが、シェアタクシーが首尾よく捕まったので5Rsでインド門へと向かう。
そこまでのわずかな間で、人口1600万人を越え、人口密度世界一のこの都市の濃密さを体感する。
デリーも十分巨大な都市だったが、ここはさらにその上だった。
チャトラパティ・シヴァージー駅とインド門とタージマハールホテル
インド門付近の観光が目的ではない。
ここからボートに乗り向かうのはエレファンタ島にある石窟寺院だ。
ボートは往復で120Rs、この値段は観光地ならではの高さだった。
10:45時、1時間のボートトリップを終え出迎えてくれたのはミニトレイン
石窟までの往復で8Rsは高くない値段だが、遺跡のチケット代に込みにならないのは、果たして良心的なのか?
それとも刻んで課金させるシステムなのか?
これはインドに限らず観光地なら似たような物だろう。
ただはっきりとしていうのは遺跡の入場料は外国人料金になる事だけだった・・・
ボート
ここの入場料も予想通り5USD。
インドの入場料システムに慣れていたので、アメリカドルを小銭でかなり準備するようになってはいたが、インドルピーでもアメリカドルでも入場料は固定なので、為替次第でどちらかが安くなる(旅行時は明かにUSD払いがお得だった)というのが、何とも面倒な所だった。
そもそも外国人料金でインド人の10倍以上の料金を払っているのに何の特典もつかないというのはどうも納得し難く、この国を上げてののボッタクリシステムの気に入らない所だった。
今回みたいな場合ならせめてミニトレイン代くらいは外国人込み、現地人は別ならちょっとは許せはするのに、この国はそう考えてはくれないらしい。
エレファンタ石窟群
アジャンター、エローラでガッツリと見ていたので石窟寺院は食傷気味で、ここはそれほどの規模も凄さも無かったのは少し残念だ。
ただ、ムンバイに居るなら簡単に訪れられる世界遺産だったし、島やボート上からムンバイを眺められるというのは魅力的で、世界遺産の寺院よりも、むしろその眺望が目当てだと言っても良いだろう。
エレファンタ島から
洋上から眺めたムンバイ
インド門とタージマハールホテル
遺跡と、それ以上に景色を楽しんで戻ってきたのは13:30時。
明日はデリーの時の様に市内バスツアーに参加しようと思っていると、先方から声を掛けてくる、
簡単に内容を確認して、”ボンベイ・サファリ”というツアーバスに150Rs払って参加することにした。
上段左:市内バスツアーのオフィス。中段:タージマハールホテル。下段:市内の公園
インド門付近でガイドブックを見ながら、出来ればホテルを移りたいと数軒探して目星をつける。
そして次にプリンス・オブ・ウェールズ博物館を訪れた。
プリンス・オブ・ウェールズ博物館
ここは外国人料金300Rs(900円)という破壊的な入場料だったが、学生証を提示すると10Rsになる。
中の展示物は私の好みに合うもので、1時間半、のんびりと楽しんだ。
建物はインド・サラセン調様式
博物館を見終えてからしばしこのインド門のあるフォート地区を散策する。
なんとなく南ア(南アフリカ共和国)の港町、ダーバンに居た時の事を思い出したので、バックベイ沿いにあるホテルに登って景色を楽しもうと思い、丁度良い位置にあったヒルトン・タワーズに入り、レセで確認してから上に登ってムンバイを見下ろすことにした。
上段が湾沿い、最下段からヒルトン・タワーズからの眺め。
上2段:ヒルトン・タワーズから。下段はまた湾沿い
一応全景まで眺められたので大分満足ではあった物の、まだまだ今日は終わりではない。
ムンバイ市街。最下段右はナイトバスツアー用の2階建てバス
夕食後、20:15時発の1時間のナイトバスツアーに90Rs支払う。
揺れるバスの上からなのであまり良い写真は撮れなかったが、眺めた景色には満足だった。
夕食とナイトバスツアー
2007.03.26(月)
この日は日帰りツアー。
ここでの内容は当時の「謎の日常」の「ボンベイ・サファリ(ムンバイ:インド)」に記事にしているのでそちらを参照してもらうとして、当時アップしていなかった写真を纏めて載せておこう。
ムンバイ・サファリのパンフ
ボンベイ・サファリのバス。
ボート・トリップ
公園
ヒンドゥー寺院
科学博物館
ヒンドゥー寺院
郊外のテンプレット・ビーチと乗り換えさせられたバス
ムンバイ市内と夕食
2007.03.27(火)
09:30時、昨日インド門近くに宿を移っていたので直ぐに昨日のバスツアーのオフィスに行き、昨日のトラブルのツケを支払ってもらってから朝食を摂り、床屋に行く。
50Rs(150円)が散髪料だったが、最後の最後でチップの請求をしてくる。
普段なら払わない所だが、久しぶりの散髪と彼の腕が良かったので10Rs気前よく払ってしまう。
バスツアーの一部キャッシュバックがあったのも、チップの後押しの理由の一つだろう。
ムンバイ市内
ムンバイに到着して駆け抜けるように観光していたので、この日は先に向けての準備をする。
溜まった写真をCD-Rに焼き、ネットカフェで時間を潰し、夜はドミノピザをコーラとセットの133(約400円)で店内で食べる。
一食30Rs(90円)でローカルフードが食べれるこの国では贅沢だったが、偏食の私はカレーや野菜抜きチャーハンばかりになるので、ピザは何時でも有難い食べ物だった。
インド門とドミノピザ
200703.28(水)
出発は今日の16時前
ホテルに荷物を預け、それまで市内を散策しつつ買い物をする。
最初にした大きな買い物はトレッキング・シューズ
ファースト・ミッション時でも気に入って、また今回も選んでいたナイキの物の底がボロボロになっていたので、ここで同等なナイキのトレッキングシューズに買い替える。
値引きは全くしてもらえず4500Rs(約13500円)と、下手したら日本で値引きしたものより高い値段となったが、第三世界の国でブランド品が高いのは辺り前で文句は言えない。
それに靴には値段相当のクオリティが必要だった。
ムンバイ市内とトレッキングシューズ(左2つが古いので右が新品)
さらに買い物に歩き回り、プラスチック製の物しか見当たらず強度に不安もあったが荷物用のキャリーカートを699Rs(約2100円)で購入する。
ボーパールでキャリーバッグの車輪が壊れてしまい、それから背負ってきたのだが、ストレートなフレームが背中に当たり続けるのはあまり気持ち良い物ではない。
ファースト・ミッション時も車輪が壊れた後はイエメンでカートを買ってそれに括り付けて運んでいたので、今回もその顰に倣う事にしたのだ。
ただ、車輪付きバックパックの車輪が壊れたらタダのお荷物と分かっていながら、ファーストミッションに引き続きキャリーカートのお世話になるとは、私の学習能力は欠如しているのだろうか?それともそれ以上に、キャスター付バックパックの快適さが気に入っていたからなのだろうか?
後者であると激しく主張したい所だが、真偽の程は定かではなかった・・・
やや滑り込みのきらいはある物の、物心両面の準備が整ったので駅へと向かう。
ムンバイ市内を歩いて駅まで
鉄道に乗ってすぐ車掌に言って、最初に2等寝台しか駅では買えなかったチケットを、2段AC寝台へと差額を支払って換えてもらう。2等寝台のチケットは505Rs(1500円)、差額は1500Rs(4500円)と買物の直後にまたさらに大きな出費だったが、今回の移動は丸1日以上かかるので快適ならそれに越したことは無い。
席が空いていたらという前提はあるが、この辺りの融通が簡単に利くのはインドの有難い所だった・・・
車窓からの眺め
Incredible! India!!(信じられない!インド!!)
パキスタンから国境を越えて入ったアムリットサルから3週間近くかけインド最大の都市までたどり着いたが、それでもまだ半分も終わっていなかった・・・