ロシア
経路図
2006.09.17(日)
どこまでも広がる大平原、切れまなく続く針葉樹林。
浪漫紀行ともいうべき世界一長いシベリア鉄道の旅・・・
朝通過した鉄道駅
この鉄道旅行の帰結に何があるのか?
そう旅情を掻き立てざるを得ない。
停車した鉄道駅
停車中の鉄道、ちなみに少し長い時間停車するとモンゴル人がホームで行商を始める
そんな鉄道の旅も3日目だ。
そしてここで新たなる問題に直面する。
買ったピザ、それなりに美味しかった
そう、変わらない景色に完全に飽きてしまったのだ・・・
鉄道
今日これまで撮った写真に景色メインは無い、鉄道、鉄道駅、そんな感じだ。
ようするに変わらない景色を撮ってももういいやと食傷気味になっていたのだ・・・
途中に見える景色はツンドラ・ツンドラ・ツンドラ・・・
これではもしこのプロフェッショナルが針葉樹林マニアであったとしても終いにはどうでも良くなってしまうだろう。
砂漠に憧れて砂漠を見続けていると、その内砂漠なんてただの砂のかたまりでどうでも良くなるという感情に似ている。
いずれにしてもあまりにも変化のないシベリア鉄道の車窓からの景色に飽ききってしまっていたのだ・・・
走行中のシベリア鉄道
そうなると人間堕ちるのは早い、変わらない景色を横目にしつつほぼ寝台で寝る事で時間をつぶす。
謂わば『寝たきりツーリスト』の完成がここにあった。
同室ももともとが個人主義のヨーロッパ人。暇なら会話をするが彼らもギターを弾いたり本を読んだりして時間を潰す。
そう、我々は完全に時間を持て余していた・・・
そんな我々がテンションが微妙に上がるのは少し大きめな駅に長時間(確か20分ぐらい)停車する時だ。
この時とばかり買い物(食料やジュース)をし、変化の無い日常にアクセントを添えようとするのだ。
ノヴォシビリスク
ウランバートルからモスクワまでの行程の1/3程度進んだ所にあるロシアの地方都市。
そこに近付いた時ある事件が起こった・・・
ノヴォシビリスク
18:30時
鉄道は停車する、それまでとは違い明らかに大きなこの駅は長く停車する駅だった。
ノヴォシビリスク駅
油断・・・
今にして思えばこの一言に尽きるだろう。
外に出て買い物する同室者をしり目に私は寝起きでコンパートメントで外を眺めながら少しボーっとしていた。
ここでも行商が車窓からや駅に降りて商売する。モンゴルからの持込みは安いので結構売れていた。
10分ぐらいたってからだろうか。
『随分と出発しないな・・・』
私も降りる事にした。
一度外に出て伸びをして見渡すとホームを渡った所にキオスクがある。
『何か買うかな・・・』
やや肌寒いノヴォシビリスク、どうせすぐの事だ。
室内と同様に特にブルゾンは羽織らず、サンダルのままペタペタと立体歩道を渡っていく・・・
立体歩道からみたノヴォシビリスク
5分ぐらい数件キオスクを梯子して何かあるかと外から商品のラインアップを見たが、特に欲しいと思える物は無い。
何か買おうかどうかを少し迷ったが、止まってしばらくたってから降りていたので列車の出発時刻も少しは気になっていたので諦めて戻ることにした。
そして立体歩道の丁度上を渡っている頃だろうか?汽笛の音が聞こえる。
『!ひょっとして・・・!』
少し嫌な予感がする。だが汽笛が鳴ってすぐに出発というのは無いだろう、少しは余裕がある筈だ。
ほんのちょっと足早にはしたがそんな事を考えていた。
だが階段を下り始めた頃、私の案に反して列車がゆっくりと動き始めた・・・
『・・・』
『・・・・・・』
『ノッ、ノォォォォォォォ~・・・!!!』
ペタペタと音がするサンダルを気にもせず慌てて階段を走り下りる。
私の乗る車両、客室係の女性(ロシアの鉄道は1両の寝台に1人客室係がついている)が車両の乗降口から私見て何か叫んでいる、ふと見ると同室のフランス人とイギリス人も窓から私を・・・
『ヤッ、ヤバい・・・』
そうはいいつつサンダルなので運動靴の様に一気にスピードアップ出来る訳でもない。
徐々に加速する鉄道、階段は進行方向と逆向きなので余計に早く感じる。
『ここでもし乗り遅れたら・・・』
上がらない速度に心臓の動悸だけ一気に加速する。
実際の時間にしては数秒も無いだろう。
だが、この数秒間は私に”時よ止まれ”と思わせるぐらいには長かった・・・
一気に階段をペタペタと掛け降りて私が下に着いた時、列車はまだ幸運にも速度を上げきっていなかった。
『よしっ!』
私は素早く最寄りの乗降口を探す。
自分の車両ではないがこの際そんな事はどうでもいい、待てば待つほど状況は悪化するのだ。
そして私は最初に目の前に入った一番近い乗降口から列車に飛び乗った!
『セッ・・・、セェ~~~フ!!』
一気に上がった心拍数を落ちつけながら自分の車両に戻る。
車両に入ると客室係の女性が笑顔で「良かったぁ~!」とで訴え、そして自分のコンパートメントに戻ると同室のフランス人とイギリス人はウケまくっていた。
『ふぅ・・・・』
何とか間に合って無事に自分の居所に戻ったと確信が持てたので私は安堵のため息を尽く。
「助かった」
というのが正直な感想だった。
ノヴォシビリスク郊外の景色
少し落ち着いたので自分のベッドに深く腰掛け、そして今回の顛末を考えていた。
後1分戻るのが遅ければ・・・
十分に加速した列車に飛び乗る事は不可能だっただろう。
必要最低限なパスポートとある程度の隠し金こそ一緒にあったもののサンダルにジャンパー無し。9月半ばのノヴォシビリスクで一晩明かすには十分な装備では無い。
そして私の体だけ置いて荷物だけ先にモスクワ着になる。
まだ後2泊あるのにどう旅程を修正するのか?ある程度の装備、それも靴下や靴、ジャンパーを買ってさらにウランバートルで買うより遥かに高くなる鉄道チケットを買って自分の乗っていた鉄道を追いかけなければいけなくなる。
そして国際線とはいえ私が車内に置いていた荷物全てを回収できるかどうか・・・そんな事は分からない。
「たられば」というイフ(if)の話は禁物かもしれないが・・・
あの時キオスクを後”1分”余計に見ていたら私は完全に路頭に迷っていただろう。
エレガントなヨーロッパツーリストの名を欲しい儘にし、ファーストミッションを無傷(と本人が思っているだけという説もあります)で乗り切ったスーパーツーリストが、油断から生じたこんな些細な事で場合によっては「完全自爆で全てを失くしかねない失態」を演じてしまうとは・・・
全てが終わって助かった今、改めて考えてみると背筋がゾッとする感覚を止める事は出来なかった・・・
夜の鉄道駅、この時はまだ怖くて外に出て速攻で戻った。
『たった1分間の幸運』
シベリア鉄道の3日目は間一髪で助かった自分自身の運の良さを嚙み締めながら過ぎていくこととなった・・・