イスラエル
2006.05.21(日)
世界一の挑戦を終えてエルサレムへと戻る。
道中で見た東エルサレム
エルサレムも今晩がラスト・ナイトだ。
泊っているホテル・インペリアルから夜のを眺めながらこの街の、その周辺で起きた様々な出来事を考えていた・・・
夕方の景色
エルサレム・・・、宗教交差点、シンギュラー・ポイント、パレスチナ自治区、特異な街・・・
水のペットボトルとホテルの路地
『こんな考えさせられる街は初めてだった・・・』
ホテル・インペリアルからの景色
私が見てきたものは軽い物ではなかった・・・
ユダヤ人の歴史、パレスチナ人の今、そしてそれにキリスト教が絡む複雑な国際情勢・・・
ホテル・インペリアルより
私は”ただのツーリスト”でそれ以上でもそれ以下でもない。
そんな私であっても虐待を受けた民族が今まさに虐待をしている現状をみると「何かをするべきなのだろうか?」という考えが頭をよぎらなくもない。
ここで見た一番の物は観光名所ではなく”繰り返す復讐の歴史”と”虐待を購うのに虐待をもってする”人間の本性その物だった・・・
ホテル・インペリアルより眺めたダビデの塔と岩のドーム
そしてそれはパワー・ポリティクスという国際政治の微妙なバランスの上に均衡を保てずに、歴史が刻まれていくこの街の姿と言っても良いだろう・・・
エルサレム市街にヤッフォ門のストリート
一見平和に見えるエルサレムの景色、ただこの街の情勢を考えると私の目に映る景色に住む人々が「明日の朝日を眺められなくてもおかしくない」のだ。
それがこの街の特異性という物だった・・・
ホテル・インペリアルの中・・・
明けて翌日、私は荷物をまとめてテル・アビブ行のバス停へと向かう。
去りゆく景色を眺めつつ、私はあまりにも重くなったこの街に対する考えにもケリをつけることにした。
そもそも私はただのツーリストだ。
ユダヤ人の未来や、パレスチナ人の現状などはもし手を出すならその為に全てを捧げたいと思う人間でしか手を出す資格は無いのだろう、”ただの旅行者”が手を出す範疇ではない。
私はただこの街を見にきただけの事だ、今まで周ってきた他の国々と同様にその国の私自身が通過するその瞬間の今を眺められれば十分だ。
たまたま私がこの国を訪れた時に複雑な情勢が絡み合い、考えさせられたに過ぎない。
この国の、この街の行く末がどうなろうと、そもそも私には関係の無い事なのだ・・・
だが・・・
不安定な情勢が当たり前の場所が世界の、それも交通の要所であるイスラエルのエルサレムで起きているこの現実・・・
いつ何時不意に私もこの”不安定な現状”というのにもぶち当たってもおかしくないといのが我々の住む世界の本質なのだろう。
安定神話?日本が平和になってやっと50数年たったばかりだ、その前は戦争と混乱の中にあり、死でさえ身近なものだった筈だ。
この先の未来の安定など誰も保証してくれないというのが世界だ。宗教、政治、歴史、さまざまな要因の中、混沌とした状態にあるエルサレムの街並は私にそれを語りかけてくれた。
それが体感出来たというのが私がエルサレムを訪れた意味なのだろう。
では、もし私がこの先の世界で”混沌”とやらに巻き込まれたのなら?
私の中である決意が湧き上がっていた・・・
『”その時”とやらが来て私に火の粉が降りかかるのなら・・・』
『この先の世界の未来なぞどうでもいい。難しい国際情勢等は政治家共が考えればいいだろう。俺の知ったことではない。だが・・・』
『俺は誓う。ただ愛するあの娘を守る為、そしてあの娘の未来を創る為だけに・・・、この身の全てを捧げて戦う』
と・・・
『・・・・』
『・・・・・・』
そして決意を固めたばかりの私にある事実が浮かび上がってきた。
それは
『彼女なんていないからそもそも戦う必要すらなかった』
という事だった・・・
『・・・』
『・・・・・・』
うーん、まずは愛する人を作ることから始めなければ・・・・・・
彼女もいないのである意味”性地”と言える場所でも訪れようかと思ったが、エルサレム出発時に気付いたので既に手遅れ・・・