イスラエル パレスチナ自治区
2006.05.18(木)
三大宗教の聖地のメインの部分を訪れて次に向かうのパレスチナ自治区の自治政府があるというラマーラの街だ。
エルサレム旧市街を過去から現在へ続く歴史としたらラマーラは近代史その物といって良い場所だろう。それにPLOで長らく議長を務めていたヤセル・アラファトの墓があるのもこの街だった。
自治区の首都?というのは少しへんかもしれないが首都狙撃手としては有名なガザ地区や既に訪れたベツレヘム以上にパレスチナならここを訪れなければいけない、そんな場所だった。
東エルサレムのアラブ・バスターミナル
ラマーラは左程遠くない、だがパレスチナ自治政府がある街なのでそこに至るまではそれなりの数の検問を越えなければならない。
私の場合は30分強で到着となった。
パレスチナ自治区に入る時はやけに簡単にほぼスルー状態でゲートをくぐり抜けて街中へ入る。
目にしたのは塀に囲われている事を忘れてしまうような普通の街並みだった。
到着したラマーラ
ここは観光地ではない。地図も持ってはいない。
私は「ムカータ(議長府)」と周りの人に聞きながら進んでいくとそれほど迷うことなく到着できた。
聞いてはいたがアラファトの墓は現在建築中だった。
そばに立っている兵士に『写真は?』と聞くと簡単にOKが出る。
国際的に知られているPLOという組織は被害者であるのは我々だとPRする必要があるのか?愛想は悪くない。
建築中の墓、右は完成図
国旗と自治政府の建物
議長府付近からの街並み
ラマーラで見たいのはこれだけだ、という以上に他に何があるかは知らなかった。
後はブラブラと散策しながらまた戻る事にする。
ヘブライ語のかかれたバス。
ラマーラ市街
こうして見た限りはどこにでもある普通の街並だ。
それに数多くの途上国を訪れてきた私から見たら建物は近代的で発展さえしているように見える。
ラマーラの街並
だがこの街が他の都市とは明らかに一線を画している事、そうそれは「囲われた都市」という事だった。
ラマーラ市街
バスターミナル
車中から撮影したラマーラ
こちらは子供の遊技場がちょっと気にいって撮影
『囲われた街』
その特異さがはっきりとわかるのは街を出る時だ。
外国人観光客は比較的緩く出れるのだが今回訪れたのはラマーラ、通常の観光客は訪れない場所。
そして今回はたまたま(良くある話だが)エルサレムで何か事案があったらしい。
パレスチナ人のみならず外国人も完全にシャットアウトし手続きをやろうとすらしていなかった。
周りを見渡すと明らかにこことは関係の無い白人数名の小さな団体が数組いる。
私は彼らの動向を気にしながらのんびりと待つ事にしていた。
そして20分ぐらいたった頃、ある数人の白人がイスラエル側の係員に詰め寄っていった。
「俺達はこの街とは関係ないただのアメリカ人だ。こんなところで拘束していないでとっとと出せ!」
というのが彼らの主張だ。
関係無いならここにくる必要も無いのだろうが、そもそも何かあって激しく道理の通るような通らないような自己主張を大胆かつ堂々と出来るのはアメリカ人の強みだろう。郷に入らば文化の日本人にはなかなかマネの出来ないジャイアンっぷりだが周りを見渡しても東洋系といえる人間は私一人、留まるか出るかという選択肢なら出る以外に採るつもりはない。この際だからジャイアンに便乗するスネ夫のポジションというさらに非人道的な行為に出る事にした。
彼らが激しくゴネたお陰で「じゃあ関係無い外国人は出す」となったので、騒然とする現地の人々を差し置いて彼らの一団に紛れて出国、日本国籍のパスポートは見てもらえさえすればそれほど疑われる事もなく無事に通過する。
それにしてもパレスチナへの出入は昔の童謡ではないが「行きはよいよい帰りは怖い」というのが当たり前だ。
パレスチナ側へは簡単に、そしてイスラエル側に行くには厳重なチェックをというのが定番でいつ出れるかは外国人である私も当然待たなければいけないし、それ以上にパレスチナ人は出れるかどうかすら分からないのだ。
外に出て乗ったミニバスから撮影した壁
右奥に見えるのが街の出入ポイント
右側の壁の中にラマーラがある
チェックポイントに立つイスラエル兵
ベツレヘム、エルサレム旧市街、シオンの丘、聖墳墓教会、嘆きの壁、岩のドーム、そしてこのラマーラ・・・
エルサレムは見る場所見る角度で異なる趣をもった都市だった・・・