ヨルダン
2006.05.14(日)
この日は静かな一日だった・・・
ふと思い立って荷物をまとめて日本に送る、散歩の他にやったのはその程度の事だ。
この日に撮影したアンマン市内の写真
これも巨大だったアブダリ・モスク
だが、その静けさは「嵐の前」という事がはっきりと分かっていた・・・
RPGなら良くある「冒険イベント」、それがこのプロフェッショナルに牙をむいて襲いかかってくる事がはっきりと予期されていたからだ・・・
いや、少し言葉を訂正しよう、予期されていたのではなくこのプロフェッショナルが飛び込んでいくのだ!
いままで数多くの試練が私が全く望まないまま襲ってきていたが今回は私から敢て虎口に突撃していくのだ・・・
もう覚悟は出来ている。決行日は明日。
最後の晩餐になるかもしれない食事を、マクドナルドが近くになかったのでローカル・バーガー・ショップで一人静かに摂る事にした・・・
ローカル・バーガーで
2006.05.15(月)
取りあえず今日の朝日は無事に拝む事が出来た。
夕日は?
そんな保証はどこにもない、生きて帰ってこれるのか?という心配をするよりも”まずその場所にたどり着けるのか?”が問題だ。
目的地の名は「デッド・シー」
塩分濃度約30%、その浮力の高さから人は沈まず、塩分濃度から魚類の生息はない(一か所湧水のある場所に例外があるらしいが)事から「死の海」として恐れられる場所なのだ。
だが、プロフェッショナルならば、そしてエレガントなツーリストなら訪れなければならない場所なのだ・・・
辿り着けるかどうか?まずそれが問題だったがホテルで「明日行く人!」と募ったのに便乗したハイヤー・ツアーなのであっさりと到着。
第一関門は無事に突破した。
目の前が「死海」、対岸はイスラエルになる。
死海の海岸線
ここで何があったか?
語る事は出来ない。
既に当時の記事として挙げているという事、それだけではない。
それ以上にこの時この場所で起きた出来事は思い出すことすら憚られる過去の辛い記憶の果ての中にある激闘だったのだ。
同じ事をもう一度リメイクして書けるほど私の精神力は強くはない。
それまでの漢と言われればその汚名を甘んじて受けようではないか。
だが・・・
これだけははっきりと言える
あの時この場所で困難に満ちた日々を生き延びれたからこそ対岸のイスラエルに沈む夕日を眺める事が出来たのだ。と・・・
イスラエル領に沈む夕日
政府所有のレストハウス、シャワーも浴びれる
夕陽が沈んだ後の色合いも幻想的で見とれるほど、ちなみにイスラエル側からだと朝日が見れる
アップの写真、絵のようにも見える
アンマンに戻る直前に・・・
「明日、旅行する資格のある者は、今日生き延びた者だけ」だ。
そして私は今生きている・・・
(※当時の出来事は「過去の記事」を参照の事)