ヨルダン
2006.05.11(木)
アンマン到着の翌日、同宿の旅行者がペトラに行くという話をしていたので私も便乗する事にした。
昼ごろに出発してペトラ遺跡のある町、ワディ・ムーサには16:00時に到着、アンマンから3時間程度の移動なのであっさりだ。
ワディ・ムーサ
アンマンの宿でお勧めの宿を聞いていたのでそこに向かっていると車で通りかかってきた客引きから「俺のホテルはどうだい?」と聞かれ、『決まっているからいいよ』と答えると何故かいきなり罵倒される。この野郎とばかりに中指を突き立てながらFで始まるお決まりの4文字を去りゆく彼らの車に英語で叫んでいた。
そういえばこの言葉にはお世話になりっぱなしだが『何時までお世話になればいいのか?』は全く先が読みようがないのが難点だ。
しばらく歩いてお目当ての宿に着く。
ドミトリーでみんなと相部屋のこのホテルはレストラン(というか食事場所)からの眺めが抜群に良く、丁度夕暮れに差しかかる町の景色を楽しんでいた。
夕陽がバッチリ!
月もハッキリと見えている。
そして丁度日が落ちる時
日没直後
宿の食事、確かビュッフェだったと思う
最初に町の景色に喰い付いてしまったがここでの本来の目的は町ではない。
『中東に3Pあり』
一般的な解釈としては男一人に妙齢な美女二人(願望含む)でハフハフ、ウハウハとなるのだろうが旅行界ではやや趣が異なる。
この3Pとは中東で有名な遺跡、イランのペルセポリス、シリアのパルミラ、そしてここヨルダンのペトラの頭文字のPからとられているのだ。
中東の3点を結ぶこのトライアングルのライン(3点選んで線を引けば形はどうであれ三角形になる事は無視してください)はこの辺りを訪れる旅行者にとっては必須なポイントと言えよう、首都狙撃主たるこのプロフェッショナルとしてもその例外ではない。
そして遺跡観光なら昼だが今回敢えてここに記事にしたのには当然ながら理由がある。
『ペトラ・バイ・ナイト』
と呼ばれる週3回(当時の記憶による)のイベントがそれだ。
蝋燭に灯された幻想的な風景の中を歩いてペトラ遺跡で一番有名はエル・ハズネと呼ばれる宝物殿まで歩き、そこで音楽を聞いたりする特別な行事があるのだ。
狙って行った訳ではなかったが宿に着いたときたまたま今日がそのイベントの日である事を聞かされた我々は、せっかくのタイミングなので訪れる事を決めたのだ。
夜ホテルを出て遺跡まで歩く。町はせまいのでそれほど時間はかからない。
入口には既に大勢の人が待っていた。
入場すると目に入ってきたのは幻想的な蝋燭の灯りだった。
蝋燭
狭い回廊を進む、上を見上げれば満天の月が谷間から見え隠れする。
月
そしてしばらくあるくと視界が開け、広場に敷き詰められた蝋燭の後ろにエル・ハズネが・・・
エル・ハズネの前
地面に座り遺跡を背景にして音楽と踊りのショーを見る。
神秘的で幻想的なこの光景、蝋燭だけの灯りと後ろに見える遺跡も暗闇のせいではっきりと見えないことからよりそう思うのかもしれない。
目を凝らせば後ろに遺跡が見える。
やがてショーは幕を閉じ、我々はまた来た道を戻る。
蝋燭の中、暗闇を歩いてきた我々にワディ・ムーサの町はやけに明るく見えていた。
ワディ・ムーサの夜景
ペトラ・バイ・ナイト
深い闇に包まれたファンタジーアな光景・・・
自分があたかも別の世界に迷い込んで吟遊詩人にでもなったかのような摩訶不思議な経験。
それが今夜だった。
そして私はこう思う・・・
『どうせ遺跡は殆ど見れなかったんだから、暗闇に蝋燭を立てれば別にどこでも出来るんじゃないのか?』
と・・・