チュニジア
2006.03.17(金)
チュニス国内及び郊外の見所を済ませ外堀を埋めた今、残るは世界遺産にもなっている首都チュニスの旧市街メディナと新市街を併せ見ればこの国に結末をつけれるようになっていた。
バール門を超えてメディナへ突入する。
バール門、メディナ内
メディナ内
ATMもこうしてみると何か昔からあるような気がしてくる
シディ・ユーセフ・モスク
世界一と言われるモロッコのフェズやマラケシュ、アルジェリアのアルジェのカスバ等と比べるとここは迷宮と言えどもそれほどでもない、私は観光の速度を上げつつ門外にある政府広場を観光する。
政府広場の建物
モニュメントに近代的な建物
メディナ観光に若干の変化球を入れまた再度突入する。
チュニジアの滞在が残り少なくなってきた今、チュニスの観光を今日一日で終わらせるつもりだ。
時は過ぎゆくのみで決して人を待つ事は無い。
シャトー広場
シャトー広場にジェディド門
メディナ内の回廊
Tour Bet el Bey(お墓)
墳墓内
Dar Ben Abdallahの入口付近とその中
観光案内所で貰ったメディナマップは流石に年間200万人訪れる観光立国でもあるチュニジアだ、メインの見所が全部出ているのでそれを見ながら丹念に一か所づつ潰していけばいい・・・
次の見所へ地図の最短距離を繋ぎ合わせながら攻略していく、観光効率を最大にあげながらやる観光、プロフェッショナル・ツーリズムの教科書通りの闘い方だ。
Dyer’s Mosque
Dar Othman入口にMsed El Kouba
Hammam Daouleti(ハマムとは浴場、イスラム圏の滞在は長かったが結局一度も行かず・・・)
Dar HassinにDar El Haddid
移動する見所を見るの繰り返しをしながらどんどんと観光を勧めていく。
”並”の旅行者ならこうは上手くいかないだろう。だが私はプロフェッショナル、旅行期間一年を超える今をもってしてもその観光速度は短期のツアー旅行者とさほど変わりは無い。
Sidi Boukhissan MansoleumにTourbet Lez
メディナ内と最初にみたMosque Sidi Youssefにその中
Ecchamaia Madersa(神学校)とその中
Midhat As Sultan
Three Madresa Complexの入口
要するに3つの神学校の複合体と言う事。
Three Madresa Complex
Hammam Kachachineにメディナ内の回廊と国立図書館
矢継ぎ早に名所を攻略しながら私は徐々に感情を無くしていき、そしてただ名所を巡るだけの機械と化していた・・・
そうただの観光者から入神の域に入り、プロフェッショナル・ツーリストの最高到達点ともいえるべき「観光マシーン」となっていたのだ・・・
メディナ内とハンマム(公衆浴場)の入口
Tahar Haddad ClubにDar Lasran
Acharina Madersaにその中、そしてメディナ内
Sidi Mahrezとその中
メディナ内に Bab Sowka
宿から近くのグランド・モスクを除いてメディナ内の観光はこれで殆ど終わりになる。
だがチュニスの観光はまだ終わりではない、私はすぐさま新市街の攻略に向かう事にした。
ランドアバウトに一体化した門
路面電車の駅とチュニスの路面電車
目指したのは博物館、チュニジアでのモザイクも今日で見納めだ。
博物館とその中
博物館を終えたら次は新市街の中心部だ。西洋風の瀟洒な建物を眺めつつ散策を続ける。
曲線が多い
そしていよいよメインターゲットであるホテル、エル・ハナ・インターナショナルへと向かう。最上階にあるバー、ここからチュニス市街を見渡すつもりだった。
エル・ハナ・インターナショナルとその屋上
屋上からの全景。
昼間出来るメイン・アトラクションを終え、これで”一段落”だ・・・
そう、今日はまだ夜もある、これでチュニスが終わった訳ではないのだ。
ネット屋が近くにあるので毎日のように見ていた時計台、その付近で時計台を眺めながらさらに夜の観光に思いを巡らせていた・・・
時計台。
夜は治安が悪くなると言われるメディナを避け、エル・ハナ・インターナショナルからの夜景と言う豪華一点張りだ。
一日のチュニス観光の締めくくりに相応しいエル・ハナ・インターナショナルからの夜景。
ホテルに戻って今日一日の充実した観光の思い出に浸る。
最初に行ったのは・・・・
『なんだっけ???』
あまりにも速度を上げて観光をしたせいか?旧市街で何を見たかなんか殆ど覚えていない。
しかし大事なのはメモリー(思い出)ではなくメモリーカード(写真の記憶媒体)。
これさえあればどこをどう見たかこうして記事にアップ出来るのだ。
そう、誤解を恐れずにプロフェッショナルとしてこういわせていただこう。
観光は『記憶では無く記録である!』
と・・・