チュニジア
2006.03.16(木)
ドゥッガへの日帰りを終え本日のターゲットは古代カルタゴ最良の遺産として知られる有名なケルクアンとなる。
個人旅行者には行きづらいルートでまずチュニス北東のエル・ハワリヤという町に行きそこからルアージュで途中下車と言うのが流れだ。
エル・ハワリヤまでの道のり
行きづらいといってもそこは経験豊富なこのプロフェッショナル、チュニスでバスを見つけてそこから約2時間、あっという間にエル・ハワリヤに到着。
エル・ハワリヤ市内
到着してすぐにルアージュを探す、目的地はケルクアン、次の都市であるケリビア行きの途中下車でやる事にする。
ルアージュ乗り場
途中下車なのに料金が変わらないのはちょっと切ないがドライバーにした所でその私を下した時に新しい客を捕まえる事は可能性としては低いので致し方がないのだろう。
『カルフール(仏語で分岐点、交差点)』というのがケルクアンに行く為にドライバーに伝える名称だ。
幹線道路から分岐する場所はそこくらいしかなく、そこで降りてそこからは少し徒歩になると言う事だ。
カルフールからケルクアンまでの道のり
分岐点から30分ぐらい歩いたのだろうか?ケルクアンの入口に到着する。
入口
ここでは他に見る者など無い、私はチケットを買って中に入る。
ボン岬の先端にあるこの遺跡、まず目に飛び込んできたのは遺跡よりもどこまでも真っ青で淡い色の濃淡のついた美しい海だった。
ケルクアンから眺めた地中海。
青の海を堪能しつつメインターゲットである遺跡を観光する。
廃墟となったケルクアンだが海と空の青さがローマに滅ぼされたカルタゴの悲劇の歴史を悲惨な物とは感じさせなくなっているのは皮肉なことかもしれない。
ケルクアン
浴室にバスタブ
紀元前3~4世紀にたてられたと言う今から2000年以上も前の歴史の古さに加えカルタゴはローマにほぼ完璧の破壊された為、大きな見所は当然の事ながら残ってはいない。これまで見てきたローマ遺跡と比べると住居跡、浴槽跡等なんとか見れるものが少し残っている程度に過ぎない。
このケルクアンがカルタゴ最良の遺跡というのが当時の世界のバランスシートやカルタゴの繁栄とその終焉を歴史を超えて語りかけてくるようだ・・・
ケルクアン
床のタイル跡等が比較的良好な状態で保存されている場所。
住居跡
向こう側にある海に遺跡が良く映えている・・・
私が観光地を訪れる時、大抵の場合は見たその物を評価の対象としている場合が多い。要はその物の歴史的な経緯等目に見えない要素を排して見た物のまま感じている時が大半なのだ。例えば教会が2つあるとする。一つは2000年前、一つは今年としよう。その2つの対象物を見た際、幾ら古い教会が2000年の歴史を持とうが、最新の教会が立派なら「こちらが凄い」と思うのだ。
だが、このケルクアンに関しては私にしては珍しく『ただの廃墟では無い廃墟感』という歴史プレミアムが付加した形となってこのプロフェッショナルに襲いかかってきたのだ・・・
遺跡を一通り見終え、どこまでも青い海を眺めながら知らないうちに太古の昔に思いをはせていた・・・
遺跡から見た海
ある程度時間を費やして満足したのか?私はチュニスに戻る事にした。帰りは行きと違うルートをということでカルフールでルアージュを捕まえてケリビアへ。
ケリビア
そしてケリビアでバスを捕まえてチュニスへと向かう。
チュニスへ向かう道すがらバスに揺られながら私はこんな事を考えていた・・・
『今日見たカルタゴ最良の遺跡と言われるケルクアン、地中海の青さに破壊された遺構、珍しく感じた過去の栄光と終焉に対する寂寥感・・・、日本式な言い方をすれば”わびさび”という奴なのだろうか・・・』
気候も風土も国土も歴史も何もかも違うこのチュニジアで・・・
まさか地中海の空けるような青い海と空を眺めながらこんな「わび・さび」を感じるなんて・・・
神が私に与えてくれたこのシチュエーション、私は日本を思い起こさせてくれたこのケルクアンをいう遺跡に敬意をもってこう贈り名を授けることにした。
そう、
「ケルク庵」
と・・・・