サハラ・アラブ民主共和国
2006.01.30(月)
初めて民家で目覚めた朝、たまたま小さな商店をやっていた彼の店でお世話になったお礼の気持ちにキセルを買う。
特に必要の無い物だが地図と実用品以外は今まで買ってなかったのでブラックアフリカを抜けたいい記念にもなるだろう。
彼が同行してバス乗場まで案内してくれる。
明るくなってから見たダクラの街並は今まで見てきたブラックアフリカの都市とは明らかに異なる物だった。
ダクラの街並
バスの出発までしらばらく時間があったのでチケットを買ってチャイ(お茶)を2人で飲んで時間をつぶす、彼の奢りだった。
乗るバスは彼のお勧めのスープラトー社、モロッコでも良いバス会社と悪いバス会社があると言う事だ。
このような形式の大型バスなど最後に乗ったのはナイジェリア以来、ナイジェリアにした所で大都市間でも必ず大型バスが走っている訳では無かったのでモロッコでは当たり前のようにこのクラスのバスに乗れる事にビックリしていた。
これがスープラトーのバス
しばらく待ってバスが発車する、ノル・エル・アッディーンは最後まで私を見送っていた。
フランス語の話せない私に英語の話せない彼、お互い拙い言葉同士でのコミュニケーションではあったが彼と一緒に入れたのは楽しい出来事であった。
そう、彼はどこまでも”イイ奴”だった。
出発した直後のダクラの景色
これから私の向かうのは西サハラの”名目上の首都”、ラユーン。
名目上と書いたがそれはこの国が実際はモロッコの支配下におかれているからだ。
普通に綺麗な街並
乗った瞬間から快適と分かるバス、窓から見える景色も心地よい
沿岸沿い
西サハラはその名の通り国土の大半を広大な砂漠で占められている。
見る景色もそれほど変化がある訳ではない。
砂漠
だが途中で寄るガソリンスタンド、街等は明らかにブラックアフリカと異っている。
久しぶりに感じる文明の香りに私は酔いしれていた。
普通のガソリンスタンド
途中の砂漠
途中の街の休憩所
モロッコ様式の新築住宅
移動はただの移動。
移動=苦行だった頃が遠い昔のように感じ始めていた・・・
夜、これも普通のガソリンスタンド、モスクが併設されている
ラユーンに到着したのは20:30時、オレンジ色の街灯に照らされた道路は夜の危険を全く感じさせない物だった。
安宿に当てもないので適当に動き回り、数件普通のホテルをあたって英語が喋れるフロントの人間に安宿の地区を教えてもらう。
フロントのお兄さんは私が彼のホテルに泊まる訳でもないのに丁寧に教えてくれた。
安ホテルがまとまっている場所で当たった最初の一軒はトイレ・シャワーは共同の物のこぎれいで値段も60ディラハム(約700円)とそれほど高くは無い。真剣に探せばもっと安い宿は見つかったのかもしれないが疲れていた事もあってそこに止まる事にした。
夜の食事はピザ。
ローカルのといっても普通のレストランだった。
これがそのピザ
食事をして特に何をする訳でもなかったがしばらくブラブラする。
人もそれほど多くない、ラユーンの夜。
2月の夜の外気が心地よくこのプロフェッショナルを包み込む・・・
誰にも干渉されず、気ままに夜のラユーンを楽しんでいた・・・
ラユーンの夜
ラユーン、西サハラでありながらモロッコに占領された首都。
その複雑さを感じさせない街の雰囲気は私をくつろがせる物であった・・・