バン・ダカ・ラリー(バンジュール:ガンビア⇒ダカール:セネガル)

 ガンビア



2006.01.05(木)

 パリ・ダカール・ラリー

 車に全く興味のないものでも耳にした事はあるだろう。

 それほど有名なイベントだ。

 フランスのパリを出立してスペイン経由でモロッコに入り西サハラを横断してセネガルの首都ダカールへと向かう(注:様々レギュレーションの変更により近年のコースはこの通りではないが一番メジャーなルートとして)このレースは砂漠を横断するその苛酷さから創始者が「私にできるのは、“冒険の扉”を示すこと。扉の向こうには、危険が待っている。扉を開くのは君だ。望むなら連れて行こう」という有名なセリフを残すほどである。

 ここでわざわざこれを取り上げたのには理由がある。

 私がいまから通るルートはダカールへと直行するルートだ。

 勿論スポンサーをつけ自前の移動手段を持ち独力で事態を打開する事が義務付けられているドライバーたちと違って私はインディペンデント(独立した)な存在だ。

 自前の手段を持たずローカルの交通手段を利用する”いち”プロフェッショナル・ツーリスト(エレガント)と彼らの過酷さを比較するというのもおかしな話かも知れないがこれから私が踏破しなければならないダカールまでのルート、バンジュール⇔ダカールルートも個人旅行者の間ではその厳しさで知られたルートである。

 という以前にこの辺りを訪れる旅行者はその母体数から比較すると皆無に等しいので全く知られていないルートである。

 その苛烈さはあのパリ・ダカールに”勝らずともはっきりと劣る”と言われ、通称バン・ダカ・ラリーと呼ばれているのだ!


 侮る訳にはいかない・・・



 これからこのルートを生き抜いたプロフェッショナル・デューク・東城がバン・ダカ・ラリーの詳細をばっちりとレポートしていこうではないか・・・



 決行日は1月5日の早朝だった。

 早速早朝という予定時刻より完全に寝坊してただの朝と言う時間帯に飛び起きて慌ててフェリー乗り場へと向かう。

 バン・ダカ・ラリーを制するためにはまず川をフェリーで渡らなければならないのだ。


バンジュールを出発するときになって始めてみた「Welcom」の看板、出来れば「Good-bye」にしてほしかった・・・



 乗客はかなりの長蛇の列だ。一瞬「しまった、失敗か!」とも思ったが40分ほど列に並んで出発直前のフェリーに滑り込む事が出来た。

 ラリーの出足は中々幸先が良いスタートを切れたと言っていいだろう。


そしてこれが乗るフェリー。


フェリー上から、ほぼ最後に乗った。乗船代5ダラシ(20円)に何故か荷物代が5ダラシ!通常は無料の筈では!


港の様子


この通り人のラッシュ、普段なら見晴らしのいい場所に行くのだがそれは無理だった。


遠ざかるバンジュールの街並、ちなみに写っているのが中心街なので如何にショボいかが分かるだろう。


鳥!


そして昨日2度訪れたArch 22


街に比して巨大と言っていいだろう。


遠ざかるバンジュールの街並、高層建築は何も見えず、ただ中央右の白い点がArch22、デカイ!


対岸のBarraへ到着する所。


Barraは田舎町、ただの経由地と言って良い。



 ラリーと名付けておきながらスタートから次の目的地まで全く車を使わない、このことからもこのルートの恐ろしさが分かるだろう。

 そしてバラで下船して次の目的地であるアムダライ行の交通手段を探す。

 ミニバスの客引が「シェアタクなんてないぞ!」と言ってくるがそういう時には大抵シェアタクが存在するのがアフリカだ。

 探し回ってアムダライ行のシェアタクを首尾よくゲット、25ダラシ(約100円)の乗車代に全く等しい額である25ダラシを荷物代にふっかけてきたがとりあえず10ダラシ(約40円)に値切って交渉は成立する。

緑のシェアタクがこのプロフェッショナル・チョイス


そして余り関係ないミニバス、タクシーランクの様子が撮りたかったので・・・



 しかしフェリーと言いシェアタクと言い人の値段と荷物の値段が一緒とは・・・

 そして乗るときに値切らなければいけないとはなかなかの難関ルートと言っていいだろう。


 シェアタクは出発する。

 道は悪かったが距離は短い、以外に早く国境へと到着する。
 


アムダライで食べた肉(これは焼いているとこで食べたのはあくまでもごく一部です)




 シェアタクを降りてボーダーへ向かう、バン・ダカ・ラリー最大の難関と言われる国境越えだ。


 イミグレに入ると荷物検査だ。

 あまりチェックされずに進む現地人と白人旅行者(2,3人は見かけた)を尻目にバックを開け一品目づつすべて開封させられていく。

 『・・・』

 およそ一時間ほどかかったのだろうか?全てのチェックを終える。不審な物など勿論なかった。

 だが、ここまで調べられていたのはこのプロフェッショナルだけだった・・・

 『おいっ、一つ聞かせてくれ、なんで俺だけこんなに念入りに調べたんだ?』

 「おまえだけじゃない、白も黒も関係なく全部調べてるんだ」

 係官の言葉は説得力に欠ける、私がここで一時間いた間に何人スルーしていたんだろうか?素直に「君のパスポートと訪れた国を見たら怪しいと思わざるを得なかった」と言えば良かったのに・・・

 『そうかい、そうじゃないことをずっと見てきたから愚痴の一つでも出たんだがな、まああんたがそう思っているならそれでいいだろう。俺は全くそう思えないけどな』

 と、悪態をついてイミグレを後にする。
 
 まあいずれにしてもバン・ダカ・ラリー最大の難関はこれで突破だ。
 
 イミグレを出るとバイク・タクシーが寄ってきて「遠いから乗って行きな!」と営業をかけてきたがイミグレで無駄に時間を費やした後またボッてくる他人に身を預けるのもうんざりだとセネガルの街カラングまで歩いていくことにした。
 


 セネガル



 イミグレを通過してカラングの町へ、ガンビアの国境から歩いて20分ぐらいだった。距離も1kmから1.5km程度なのだろう。

ガンビア国境からカラングまでの道





 だがこれから先のダカールまでは150km程度ある。これは歩く訳には行かないだろう。

 私はこの身を預ける交通手段を探すことにした。






 移動手段はミニバスかシェアタク、ここでもプロフェッショナルのチョイスはシェアタクだ。

 一台目のシェアタクは法外な荷物代(1500CFA:約500円だった)を要求してきたので探して他のシェアタクで荷物代を値切って(といっても1000CFA払った)乗る事にする。

 ガンビアに引き続いてここでも「荷物代交渉」とはバン・ダカが一筋縄ではいかないという事が良く分かるだろう。

これが乗ったシェアタク


ダカールまでの道


他の国でも結構見たはずだがあまり写真に残してなかったバオバブの木


途中休憩した町、ホテルの看板がちょっといい感じ




 ラリーと銘打ちながら舗装路をひたすら走り続け結構快適にいつのまにかダカール近郊へと近づいていく・・・


なんとなく構図が気に入ったので・・・


乗ったシェアタクで何が見事だったというと・・・


フロントガラスの汚れ加減とその入った亀裂だろう。



 ダカールへは17:30頃到着、タクシーランクでタクシーに乗り換え市内を目指す。

中心部からさほど離れていない所。



 お目当ての安宿の安い部屋が埋まっており、数軒あたる羽目になったがまず初日の宿に体を預ける事が出来た。

 そしてこのバン・ダカ・ラリーはここに無事完遂を迎えたのだ!


 『・・・』


 『・・・・・』




 賢明なる読者の皆さまならここに至るまでにもう十分お分かりの事とは思うが・・・


 そこはこのプロフェッショナル、敢えてこう伝えさせていただこう。

 

 この「バン・ダカ・ラリー・・・」


 苛酷さも全くなく、ラリーするような場所も全く通らないこのルートを・・・・


 『誰一人としてそんな名称では呼んではいなかった。』


 と・・・






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