マリ
2005.11.18(金)
マリ東部の街ガオ、人口は5万人を超える程度のこの都市に首都狙撃手たるこのプロフェッショナルが立ち寄ったのにはもちろん訳があった。
このプロフェッショナル、首都狙撃手ということで旅行界に名を馳せているが別に歴史愛好家という側面を持つ。
ここガオは古のソンガイ帝国の首都となっていた街・・・
歴史とは無縁のこの大陸で、こういった過去の足跡を感じさせる都市は稀だ。
それだけでも訪れる価値があるだろう。
そして何よりも「バマコまで行く直行便が無かった」という交通事情によりやむえなくここを中継点にする決意を固めたということは言うまでもないだろう・・・
ガオに到着したのは10:00、情報ノートで知った宿は値上がりしていたのは痛いが選択肢があると言えないアフリカで、移動の疲労も重なりそこに決めてしまう。宿が取れたら次の行き先への交通情報を集めつつ観光だ。
到着したガオの街は茶褐色の建物の色とも重なりここが砂漠の街ということを実感させる。
到着したガオの街並
なんかの記念碑モニュメント
舗装路もある
右手はモスク
独特なデザイン。砂漠の色とマッチしている
ここで一つ「ソンガイ帝国」というものについて語ってみよう。
かつて西アフリカ一帯に版図を拡げたこの帝国は侵略した国々から多額の金銭の賠償を請求することで有名なことで知られていた。
その取り立ての過酷さと悪質さは後世に残るほどの残酷さで、それは当時の日本にも風の便りで知れ渡った程である。
その名残は日本語に「損害賠償」という言葉があることからも容易に推測されるだろう。
上のエピソードは有名な「民明書房」に載っていたので間違いない・・・
話は少しそれたが街の中心部を見つつ、ハイライトである世界遺産のアスキアの墓を訪れることにした。
ちょっと離れたところにあるアスキアの墓
アスキアの墓
正直言って泥のモスクなのか?墓なのか?ルックスだけでは判別はつかないが・・・
だが、下の写真にあるようにここに偉大なるアスキアが眠っていることは間違いない。
入場料を払って中に入ると上に登れるという。
これは知らなかったのでラッキーだ。
アスキアの墓の上からの景色
郊外にあるので周りの雰囲気が独特に見える
中の階段。なぜこれだけ撮っていたのかは不明
私は過去の英雄、アスキアに思いをしのばせつつ満足して墓を後にした・・・
今度は裏手から。
『そもそも人の墓場を足蹴にていいのか?』
という単純な疑問もあるがあの”偉大なるアスキア”のことだ、地中深くからこのプロフェッショナルを暖かく見守ってくれていたことだろう・・・
私は満ち足りた気持で今度はニジェール川の川べりへと向かう。
穏やかな水面
木のボートがいい
砂漠の中でも川があると雰囲気が変わる
砂漠の中の町でもそれが川べりとなると趣が違う、それに近くに水辺があるというのはやはり落ち着くものだ。
しばらく川を眺めてからまた街中へ・・・
スタジアム
砂で覆われている道路
写真を見てもらうとわかるように特に何かあるわけではない。
それに過去の遺構もアスキアの墓やモスクの形状に僅かに見てとれる程度だ。
だが・・・
古い歴史に思いを馳せるには・・・
この穏やかさは心地よいものだろう。
せっかくなので博物館も訪れてみることにした。
博物館
展示品も少なくお世辞にもよく維持されているとは言えないこの博物館。
だがガオのさびれた感じにはこれくらいで丁度いいと何か納得させられる・・・
泊まったホテルの屋上から
またここでは不思議な出会いもあった。
私の泊まっているホテルとは別のキャンプサイト(とっても普通の部屋もある)に日本人、それも女性が泊まっていたのだ。
西アフリカはイスラム国が多いこともあって女性にはタフな場所だ、アベックで、夫婦でというのは聞いていたが単独でという女性は彼女が最初だった。(注:その後西アフリカを周遊中に最後まで単独で周っている女性には合わなかった)
丁度都合良く私の次に行く都市から来ていた彼女に色々と情報を貰えたのはラッキーだった。
彼女にお礼を言って別れ、ホテルに戻り部屋でくつろぎながらこの街について再度深く考えてみた・・・
ガオ・・・
砂漠のへりにある街・・・
砂と共に太古の歴史を感じさせるこの場所・・・
そして世界遺産のアスキアの墓・・・
このプロフェッショナルの感性を満足させる都市であったと・・・
そして私は強くこう思う。
そう。
『アスキアっていったい誰なんだ?』
と・・・・