トルクメニスタン
ヌクス(ウズベキスタン)→キョーネ・ユルゲンチ(トルクメニスタン)→ダルヴァザ→アシュガバート
基礎データ(2021外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:48万8,000平方キロメートル(日本の1.3倍)
2.人口:610万人(2021年:国連人口基金)
3.首都:アシュガバート(Ashgabat)人口103万人(2013年)
4.民族:トルクメン系(76.7%)、ウズベク系(9.2%)、ロシア系(6.7%)、カザフ系(2.0%)等
5.言語:公用語はトルクメン語(テュルク諸語に属し、トルコ(共和国)語やアゼルバイジャン語に近い)。ロシア語も広く通用。
6.宗教:主としてイスラム教スンニ派
7.通貨:トルクメニスタン・マナト(TMT)、当時のレートで1000TMT≒5JPY(1円→200TMT)
補助通貨にテネシ(100テネシ=1TMT)があるが全く見た記憶無し。
尚、2021年現在は2009年に導入された新マナトなのでレートは全く異なる
※当ブログ中の地名表記は 当時利用していたガイドブック、「旅行人」の日本語表記をメインにしています。
※またブログの日付は旅行当時に合わせてますが、帰国後10年以上経てから記事を書いているので実際のアップ日は2021.10.18です。
※トルクメニスタン全般の出来事は、当時既に「激闘の記録」の「第17話 フェアリー・テイル[おとぎ話](舞台国:トルクメニスタン)」に掲載済みなので、当時アップしなかった写真と、その日に何をした(何もしてない日も多い)程度を簡単に記す程度にします。
また当時の記憶が大分朧げになっているので写真対象物の名称ミスはご容赦頂ければ幸いです。
2007.09.14(金)
トルクメニスタン国境では10ドルに加えて2ドルを支払う。
賄賂ではなくフォーマルな物らしいが確証はない。
これで新規112ヶ国目、そしてスタン系国家の最後となるトルクメニスタンが始まった。
取れたビザはトランジットの僅か5日間だけ。
最初から全開で観光しなければ終わらない、今日も密度の詰まった観光をする予定だ。
まず国境から左程離れていない世界遺産、キョーネ・ユルゲンチ(古ウルゲンチ)を訪れた後、アシュガバート行の乗り物をハイヤーしてその途中に「旅行人」には無いが、マークのロンプラ(ロンリープラネット)に出ている「ダルヴァザ・ガス・クレーター」も見るつもりだ。
国境からタクシーを4人でハイヤーし、キョーネ・ユルゲンチへ向かう。
料金は4人で2ドル。
トルクメニスタンでの移動費はタダ同然と噂には聞いていたが、実際に体験するとその激安さにはビックリだ。
キョーネ・ユルゲンチで両替して、パンとコーラ、そして非常食用にスニッカーズを2本買う。
11:00時 国境を越えて。中段以下は到着したキョーネ・ユルゲンチ
12:10時、タクシーでグルガーンジュ(古ウルゲンチ)遺跡へ。
これも4人で15000マナト、100円にすら到達しない。
ここは2005年と比較的新しく登録された世界遺産だ
入場料25300TMTに写真13000TMTの計38300TMT(≒190円)
こちらも激安だ。
14世紀後半に建立されたトレベグ・ハヌム廟
上段:1320年代建立の中央アジアで最も高い67mのクトゥルック・ティムールのミナレット。スーフィー朝期
中下段左:テキシュ廟、右下:イール・アルスラン廟:ホラムズシャー朝期。
クルク・モーッラの丘
女性が転がり子宝祈願を行うのが本来の姿だが何故か中年男性が転がっていた
1時間強見て周り、またキョーネ・ユルゲンチへ戻る。
今度は12000TMT、市近辺のタクシーなら何も考えずに乗っても損することは無いだろう。
乗場でアシュガバート行を探すと4人で48USドルで見つかる。
500kmの距離を一人12ドル(約1400円)で、それもハイヤーで出来るなんてこの国の交通機関はどこまでも旅行者に優しい。
14時、ミニバンは出発。
13:30時過ぎ
国土の85%を越えるカラクム砂漠の中の道中は、時折見かける街や川を除けば単調だ。
14:30時頃
15時頃
ただその単調さは日本では味わえない雄大さにも繋がる。
果てしない
と、言った気分を味わえるのも海外に出る魅力の一つだ。
16時頃
17時頃
18時過ぎ、目的地のダルヴァザへ到着。
お目当てのガスクレーターへは集落のバイクをハイヤーしていくことになる。
交渉して1人5USドル、アシュガバートまで一人12ドルでミニバスをハイヤーしている事を考えると激高だ。
18時頃
バイクは2台、我々は4人いるのでじゃんけんで最初に行く組(ギリ日没)と後に行く組(日没後)を分ける。
勝った私は少し悩んで、後の組を選んだ。
19:40
ガスクレーターに着いては少し説明が必要だろう。
これは洞窟に貫通する形で崩落した天然ガス田で、メタンガスの拡散防止の為、1971年に地質学者が火を点けた場所だ。
直ぐに燃え尽きる筈が、計算違いで絶えることなく燃え続けてしまい、炎が湧きだすその景観から「地獄の門」と呼ばれるようになった場所なのだ。
(※2007年当時は「歩き方」にも「旅行人」にもこのガスクレーターは掲載されておらず、マークのロンプラに記載があっただけなので、この内容はこの記事のアップ時に調べて書いてます。)
途中で寄れるなら見逃す手は無かった・・・
20:30時過ぎ、バイクのケツに跨り10分ほど行って見た景色は、まさにその地獄の門だった・・・
20:40時、ダルヴァザ、ガスクレーター。あまり上手に撮れず。
このまま心ゆくまで眺めたかったが、タイムリミットもあるので名残を惜しみつつまた村へ戻る。
そしてまた村から移動を始め、23時頃、アシュガバートから150km程度北にあるエルボーンという場所で停車。
ドライバーのこのままアシュガバートに着いても深夜で何一つ出来ないから朝までまってから移動した方が良いというアドバイスに従い、シャシリクを食べ、コーラを飲んで仮眠をとることにした。
2007.09.15(土)
06:30時頃、出発。朝日が昇っていく。
06:50頃。移動中に朝日を眺めて
8時を過ぎ、景色がやや変わり始める。
街に近付いている証拠だ。
8時過ぎ、鉄道も見え、徐々に街に近付いてきた所。
08:30時、アシュガバート郊外に到着。
ダルヴァザでの15Kmの往復で一人5ドルと言う値段と、この約500Kmの移動で1泊(車中泊)ありで1人12ドルという料金の格差にドライバーは不平をこぼしてはいたものの、そこは契約だから仕方が無い。
そこからタクシーに乗り市内へ向かう。
9時過ぎ、アシュガバートに到着
10:30時、「旅行人」にも掲載されているドウラーノウ邸に宿を決める。
昨日からの長い一日に区切りは着いたがトランジットは残り4日、休んでいる暇はなかった・・・