日本
中華人民共和国
日本→中国
基礎データ(2019外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:約960万平方キロメートル(日本の約26倍)
2.人口:約13億人
3.首都:北京
4.民族:漢民族(総人口の約92%)及び55の少数民族
5.言語:漢語(中国語)
6.宗教:仏教・イスラム教・キリスト教など
7.通貨:中国元 1元=約16円、1香港ドル(HKD)≒1パタカ(マカオの通貨)≒約17円 ※いずれも2006-2007年当時
※ブログの日付は旅行当時に合わせてますが、帰国後10年以上経てから記事を書いているので実際のアップ日は2021.1.12です。
2007.06.26(火)
6月25日(月)夜20:40時、家を出て電車を乗り継ぎ東京駅へ行き、21:40時、5000円の高速バスで三宮(兵庫県神戸市)駅へ向かう。
翌08:00時、快適でゆったりとしたリクライニングシートに身を委ねている内に目的地に到着。
駅構内のマックで日本最後の朝マックを優雅に嗜んでからポートライナーで神戸港へと向かう。
三宮駅に朝マック、そしてポートライナーで神戸港へ
09:20時神戸港着。
乗込むのは上海行の新鑑真号。
10:30時にボーディングが始まったが出航の12時まで時間はまだまだ余っている。
コーラやお茶でひたすら時間を潰しながら、出発を待っていた。
新鑑真号。2等洋室片道2万円
この新鑑真号での神戸、もしくは大阪→上海航路が、陸路でアジア横断する日本人旅行者が選ぶ最もメジャーなスタート方法で、セカンド・ミッションで出会った多くの旅人もこのルートを選んでた。
私は前回大阪→プサン(韓国)→インチョン→チンタオ(中国)→モンゴル→シベリア鉄道でロシアとやや変則的なルートだったので、今回はこのメジャールートを体験するつもりだ。
12:00時
期待と不安を胸に、新鑑真号は予定通り出航。
一時帰国での 約一ヶ月の自堕落な生活ともお別れだ。
神戸港
セカンド・ミッションでは出航後瀬戸内海に台風で閉じ込められた(※「嵐の旅立ち(日本⇒釜山:韓国)」参照)が今回は順調だ。
瀬戸内海
瀬戸大橋
やがて船は関門海峡を越え、東シナ海へ乗り出す。
日本とはしばらくお別れだ。
2007.06.27(水)
外洋に出ると周りは海だらけ、ただでさえ代り映えしない景色が曇天の所為でさらに加速する。
結局、デッキに出て海を眺めたのは数度だけ。
3食以外は殆ど部屋篭りで時間を消費する。
朝、朝食、昼食、夕食、夕陽。
今回の旅行は短期の予定。
上海から前回ミッションで残した中央アジアの国々を抜けヨーロッパの入口となるトルコのイスタンブールまでと決めている。
予算の残額も考え、行きやすい東南アジアはスキップして後日にするつもりだ。
上海についてからどうするか?
考える時間が十分あり過ぎるのも問題で、良い案は何も浮かばないままだった。
2007.06.27(水)
06:00時過ぎ
日が昇って直ぐに大陸が見え、洋上の船も増えてきた。
上海付近
06:30時、船内最後の食事を摂って上陸に備える。
朝食と上海付近
香港もそうだったが上海も大都会だ。
否が応でもテンションが上がる。
上海
ただ、この盛り上がりはこれから始まる旅行に対してでは無く、やっとこの船から降りれるという安堵感からというのが正直な所だ。
出発は期待と不安が道連れだったが、今はもうこの船の中に居る事に完全に飽きて一刻も早く降りたくなっている。
長距離移動の到着間際は、何時もソワソワして落ち着かないものだ。
煙草を吸って気分を宥める数度。
09:30時、接岸しようやく上陸を果たす。
そして上陸後に真っ先にした事は、煙草を吸う事だった。
これだからスモーカーは度し難い・・・
上海
入国審査を難なく潜り抜け上海に足を着ける。
セカンド・ミッション・プラスワン、シルクロード横断がこれから始まる・・・
※新鑑真号が有名だがもう一艘ある蘇州号も全く同ルート。
現在のルートなどは「日中国際フェリー株式会社」HPを参照。