日本
この記事を書いているのは2020年11月15日。
セカンド・ミッションを終えた2007年から実に13年が経過してしまった。
アフリカ見聞録を書き終えた2012年以降に書き始めたが、その年末ぐらいから忙しくなり、5年半の長期中断。
その後、2016年の旅行再開後からさらにしばらく経った2017年6月頃から書き足してようやく完成した。
こうも年月が離れると記録してても忘れていることが多く、またアフリカにに比べると快適に旅行していたのでネタも増えず、特に記事の後半は淡々とただ記録をアップしていたただけだが、それでも一応完結結出来のでまずは一安心という所だろうか。
セカンド・ミッションは、アフリカの次に未知であった旧ソ連圏を含めた東欧をメインに、わざと一番行きたい西欧を残して残りのユーラシア大陸の国々を周れる限り周るというのがその目的だった。
そしてファーストはエアーでいきなりアフリカに飛んだが、今度は日本から陸(海も含む)で行ってみたいし、シベリア鉄道も乗ってみたいというという所から始まった。
池袋のサンシャイン60から。2007.06.04撮影
この任務は最終的には2006年8月17日から始めて、2007年5月27日までの282日間、新規38ヶ国を周る旅行となった。
当時のことを振り返ると様々な事が思い出されてくる。
東アジアは大阪港から釜山へ渡り韓国からスタート、文化的に同系列であるので旅行は大変しやすく初海外にもってこいといのがその感想だ。その韓国の仁川からフェリーで青島へ渡り中国へ。首都北京は人の大さと街の巨大さに圧倒された。そこから鉄道でモンゴルのウランバートルへ。憧れのカラコルムは何もなかったが、日本人宿でロシアビザをとる名目でだらだらしながらボウズ゙(餃子みたいな見た目の料理)にはまりまくったのが良い思い出だ。
メインの東欧はモンゴルから一気に憧れのシベリア鉄道でロシアの首都モスクワへ渡るところからスタート。途中駅で置いて行かれそうになったことは今でも時折思い出しながらゾッとしている。そしてキージ行の水中翼船は本当に乗り遅れてしまった。そのロシアのサンクトからフィンランドのヘルシンキまで鉄道で。ここは所謂西欧だった。そして旧ソでありながら西側色の強いバルト3国、小さくて街並みが落ち着ける首都タリンのあるエストニア、建物がおしゃれな首都リガのあるラトヴィア、十字架の丘を抜けただの都市だった首都ヴィリニュスのリトアニアを訪問。さらに旧ソを色濃く残す独裁国家ベラルーシ、ワルシャワにアウシュヴィッツで有名なポーランド、美しい首都プラハのあるチェコを抜け今回の旅の西限界にしたウィーン、オーストリアが折り返し地点。
知らない見所が多く楽しめたスロヴァキア、旧ソのテイスト強いけど玉ねぎドームの教会が可愛いウクライナ。どこか薄暗かったモルドヴァ、日帰りで行った自称独立国、旧ソに恋するトランスドニエストル、ドラキュラ上のブラショフで両替をしくじり、首都ブカレストでジプシーの子供に顔に唾を掛けられたルーマニア、日本人宿で楽しく過ごした首都ソフィアのブルガリア、こじんまりとはしていたが見ていて楽しいスコピエのあるマケドニア、日帰りで訪れた独立直前のコソボ自治州、ストイコビッチのプレーしていたレッドスター・ベオグラードのあるセルビア、迫力のある建物の多いブダペストのハンガリー、ここまで綺麗だとは想像していなかったクロアチア、ドブロブニクは本当に良かった。橋が印象的だったリュブリャーナのあるスロベニア、ムスリム、クロアチア、セルビア正教徒の入り乱れるボスニア・ヘルツェゴビナ、海岸線はきれいだが見所がショボい橋だけだった首都プリシュティナのモンテネグロ、整備されたインフラとは無縁な東欧のアフリカことアルバニア、位置的に東どっぷりだけど文化的には明らかに西寄りなギリシャまでだ。
そして中東は周ると人気があるのもよくわかるトルコから始まり、今の惨状が想像もつかないシリア、つい訪問半年前に首都近郊がイスラエルに爆撃され、ほぼ戒厳令下になっていたレバノンの首都ベイルート、まさかこの国でスキー?と、びっくりしたイランを抜けた
次の南アジアは国境線での落差に驚いたパキスタンからスタート、カイバル峠越えに感動した治安の悪いアフガニスタン、世界を2つに分けるならこことその他と噂された割にはアフリカ後だったので拍子抜けしたインド、リゾート以外で何しに行くのか分からない箱庭的な首都マレのあるモルジブ、知らないだけで見どころにあふれてたスリランカ、旧式の蒸気船で河川をクルーズしたバングラデシュ、古都がことごとくツボに入ったネパールから100万ドルの夜景で有名な香港とカジノで有名なマカオを経由して一時帰国となった。
2007.06.04 多分光麺?
2007.06.10 ホワイト餃子
西欧以外のユーラシアを全部周るつもりで出撃したのに中央アジアと東南アジアをごっそり残しての帰国なので当初の目的は未達成だ。
だが、それでも一番の目的、東欧諸国を全て周れたので十分に満足のいく旅行であったと言えよう。
2007.06.14 秋葉原
あれから時は進んで、2020年
今年こそ行こうと決めていた、当時の置き土産の東南アジア。
それがコロナの所為であえなく断念。
だから私はまだあの時の旅の途中・・・
いつかその夢の続きを見に行こうではないか・・・
2007年一時帰国時に復活させていた携帯
生まれて初めての携帯がこのiモードでこの次は2009年のiPhone3だった