辺境都市(ペシャワール:パキスタン)

パキスタン

クエッタ→ペシャワール

基礎データ(2018外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:79.6万平方キロメートル(日本の約2倍)
2.人口:2億777万人(年人口増加率2.40%)(パキスタン統計省国勢調査2017)
3.首都:イスラマバード
4.民族:パンジャブ人,シンド人,パシュトゥーン人,バローチ人
5.言語:ウルドゥー語(国語),英語(公用語)
6.宗教:イスラム教(国教)
7.通貨:パキスタン・ルピー 1PKR≒2円で計算。

※ブログの日付は旅行当時に合わせてますが、帰国後10年以上経てから記事を書いているので実際のアップ日は2018.12.07です。

2007.02.08(木)

 クエッタから向かったのはアフガニスタン国境に程近いペシャワールという都市だった。
 
 どうせパキスタンを横断するなら、国一番の大都市カラチに寄ってから、教科書でお馴染みのモヘンジョダロというルートも頭によぎっていたが、旅行人でカラチに見所が無いと書かれ、モヘンジョダロは行った人から想像してたほどよくなかったと聞いていた事、そして何よりも体調が良くなかったことからカットして、その次の目的地であるアフガニスタンに程近い辺境の都市を目的地としていたのだ。

 この日は完調に戻らなかったのでひたすら寝台で横になりながら回復に努めていた・・・

2007.02.09(金)

 大分体調も良くなってきた。
 ただ車窓からの風景は砂漠or途中の町であまり代り映えのある風景ではなかった。

鉄道と車窓から


 13:30時、ラホールに到着。
 人口700万を誇るパキスタン第2の大都市だけあって、車内に売り子が来たり、構内を見るとマックやピザハットがあったりしてビックリする。
 久しぶりの本物のマクドナルドが恋しく思えたが、今はその時ではない感じがしていたのでスルーする。
 ここは1時間ほどの停車だった。

中段がラホール


 ペシャワールに程近いラワールピンディーに到着したのが20:00時、さらにそこから3時間半かけてペシャワールに到着したのは23:30時。出発したのが昨日の朝10:30時だったから実に37時間の鉄道旅だったが、ゴールは当然駅ではない。
 動き回って大丈夫な程度に回復していたので、外は雨だったがオートリキシャで数軒回るもホテルはいずれもアウト。
 いつの間にか日付変更線は越えていた。

2007.02.10(土)

 新市街を歩いていると親切な現地人が車でヒッチしてくれて、一度当たりをつけていたツーリスト・モーテルまで乗せて行ってくれる。
 大体こんな時にしてくれる現地人のアドバイスは
 「たまたま俺だったからヒッチしても良かったけど、ここは信用の出来ない奴らが多いから気をつけてな!」
 という定番だったが、深夜の新市街で時折現地人に絡まれつつ彷徨っていた身分の我々には救いの神だった。

 レセの人間を半ば叩き起こしてドミに泊めてもらい、何とか雨風が凌げる態勢になれた頃には既に1:30時になっていた・・・


 長時間移動の後、深夜に到着していたので朝の動き方は当然の様に遅かった。
 そもそも土曜日なので官公庁関係はお休みなのでやる事も無い。

 たまたま宿に、アフガニスタンへここから往復したイタリア人夫妻が居たので色々と教えて貰えたのはラッキーだった。

ペシャワール市街とこの日の食事。だらだらしきっていた。


2007.02.11(日)

 今日は日曜日、神様だって休んでいる日だし、それ以上に雨で動く気もしなかった。
 と言う以前に、昨日に引き続き動いてもやる事が無いのでほぼ一日を宿でダラダラして過ごす。

2007.02.12(月)

 生憎空模様は雨だったが、待ちに待った週明けだ。
 加東氏にアフガニスタンはどうするか?を聞くと「東城さんが行くなら一緒しますよ!」と言ってくれたので一緒にアフガニスタン大使館を訪れる。
 ビザの習得は問題なしとお墨付きを得たが、担当者が休みなので今日はダメという大技を出される。
 この辺りの感覚、アフリカが懐かしくなる。
 と、言いたい所だが、この辺りの適当さが第三世界を好きになれない理由の一つでもあるのでイライラとしてしまう。
 ただ、だからといって我々に何かしようもないので諦めて明日出直すしかないだろう。

 用事は午前中で済んで居たが、このビザ問題がはっきりとするまで、積極的に観光する気も起きず、回線の呆れるほど遅いネットカフェで午後の殆どを費やして一日が終わる。

2007.02.13(火)

 ペシャワールは今日も雨。

 10時に加東氏と出てアフガニスタン大使館で申請する。
 受け取りは明日と妥当なラインだ。後は担当が外出して受け取れないなんてウルトラCが出てこない事を祈るだけでいいだろう。

大使館からの帰り。久しぶりに写真を撮った


 途中から曇に変わった物の、結局またダラダラとした一日を過ごしてしまっていた。

2007.02.14(水)

 アフガニスタンビザの受領前にパキスタンの再入国ビザの申請に行く。
 取得は出来た物の何と4時間待ち!
 手続きが非効率的なのが目に見えて分かるからイライラとさせられるが、当日中に出来るだけでもアフリカより遥かにマシと考えるしかないだろう。

ペシャワール市街と夕食のバーガーセット



 今日はバレンタインだったが、イスラム圏ではそんなムードは微塵すら感じなかった。


2007.02.15(木)

 昨日パキスタンの再入国ビザで一日費やしてしまったので、今日こそは朝10時にとアフガニスタン大使館へと向かう。
 申請用にパスポートのコピーと写真を渡すと、料金はユニオンバンク振り込みで、結局一度市内に戻る事になる。

 なんだかんだでビザが受領できたのは15時を過ぎた頃だった・・・

 ただ、これで最大の難関は突破した。
 夕方は市街を歩き、ちょっとしたビルの屋上からペシャワールを眺める。 

ペシャワール市街

ビルの屋上から


 しかし、ビザが取得が出来ただけでは終わらないのがアフガニスタン行だ。
 まだやるべき手続きが残っていた・・・


2007.02.16(金)

 トライバル・エリア
  あまり聞きなれない言葉だろう。

 部族の掟が国の法律より優先される地域
 アフガニスタンに入るにはこのトライバル・エリアを通過しなければいけない。
 その為にはホームセクレタリアットという場所を訪れ、許可証をとらなければならないのだ。

 加東氏と一緒に訪れ、これまで取ったパキスタンの再入国ビザやアフガニスタンビザを見せ申請する。
 手続きはそれまでと違いあっさりと終わり、しかも料金がフリーと言うのが良心的だった。 

 後は行くだけだ・・・

 これで書類上の手続き全てが終わったのと、ようやく雨から脱出して曇り空になったので、ペシャワール観光を少しすることにした。
  
ペシャワール博物館。写真は有料なので撮影せず。

旧市街


 ラホールほどではないにせよ、ここも150万人近く抱える大都市でそれなりの見応えがある。
 散策していて楽しい街だった

ペシャワール市街

中段以下はセディ・ハウス

旧市街と屋台のマトン


ジュエリーバザールとマハバット・ハーン・モスク

バラ・ヒサール・フォートと新市街に戻って


 ペシャワールの見所はまだまだあったが、既に心はアフガニスタンに囚われていたので、夕方にはホテルに戻って後は準備に回す。

2007.02.17(土) 

 朝7時に加東氏とホテルを出る。

 トライバル・エリア
 アフガニスタンまでの道は国道は国の管轄だが、そこを一歩外れると部族の掟が優先される場所だ。
 ようするに、国道わきのチャイハネ(喫茶)でお茶を飲んでる時に何かに巻き込まれたらそこの部族の掟で裁かれてしまう、そんな危険なエリアだった。

 わざわざそんな所に行くのは、首都狙撃手としてアフガニスタンを逃せないといった理由だけではなく、南アジアと中央アジアを結ぶ要衝で、古くはアレクサンダー大王から三蔵法師も越えたとされたカイバル峠を越えたいという、旅行界随一のロマンチストならでの憧れがあったからだった。 

 昨日ホームセクレタリアットで、旅行代理店で車をハイヤーして護衛を付けるように言われていたが、別の勝算が私にはあったので、そのまま国境行のバスが出る市街から外れたカルコーム・バス・スタンドに市バスで向かった。

 長距離バスの存在
 アフガニスタンをここから往復していたイタリア人から、大型バスなら護衛がつくので個人手配する必要が無いと聞いていたのだ。

 到着して当たりの人に聞きこむ。
 残念ながら英語が話せる人間がおらず、彼らの勧めるがままに向かった先にあったのはミニバス。
 国境まで行くのは間違いないが、護衛がつかない事も請け合いだろう。

 かと言って、このまま大型バスを探し続けても、先が見えないのでこの際だからミニバスに乗り、後は運を天に任せることにした。

 一番後ろの席に加東氏と乗り込み、寝ていると、途中で起こされる。
 なんてことはない料金回収だったので、加東氏に渡して「一緒にお願い」と後は車内の現地人たちの手を通って運転手に渡るのを見届けるとまた寝てしまっていた。

 憧れのカイバル峠越えは、結局熟睡の中で通過してしまい、1時間半程で国境に到着。

 国境の停留所に入る道路が混雑していて、現地人たちは如何にも慣れた様子でバス停に入る前に1人、2人と降りていく。
 勝手が分からない我々は、最後まで行ききって降りると、急にドライバーが血相を変えて私に話しかけてくる。
 最初は訳が分からなかったが、「お前は寝てたから料金を払ってないだろう!」という言いがかりだった。
 『ふざけるな!』
 といい、加東氏に渡して払ったことを告げるもお互い言葉が通じずジェスチャーだけのやりとりになっている為話が進まない。
 ただ彼の強硬な態度を見ていると、私の分が足りないのも確かなのだろう。
  詰まる話、バスの中で手渡しして運転手までお金が行く最中に、誰かが私分のお金を盗んで「あいつだけ払っていない」と嘘をつき、先に降りて行ったのだろう。
 既に払った金額は80PKR(160円)、私は払っている、彼は受け取っていないというこの状況。
 そして、今いる場所は間違いなく国道から離れたトライバル・エリアだ。
 『ちっ・・・』
 こんな後進国で、金に関することを最後まで確認しなかった私にも落ち度はあるのかもしれない。
 だが、全部払うのはあまりにも癪なので
 『俺は確かに払ったんだ、だけどお前が受け取ってないというならそれはそれで真実なんだろう、50PKRは自分の馬鹿さ加減代として渡すけどそれ以上は無理だぜ』
 と、言って渡して手打ちとした。
 彼も私の強硬な態度からこちらも嘘はついていないと思ってくれたのだろう、それ以上は追及してこなかった。
 
左上がペシャワールのバススタンド付近。右下が国境の停車場


 イミグレーションに向かうと
 「どうやってここまで来たのか?」
 を聞かれ
 『ミニバスで来た』
 と答えると
 「危険だからそれはやるな!」
 と怒られる。

 ごもっともな事だが、もう来てしまっていたからしょうがない。
 係官も注意しただけで、出国の手続きはスムーズに行われる。

 次はいよいよアフガニスタンだ!






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