あらすじ
舞台国ツバル
50年後には無くなる国。
国土の殆どが海抜5m以下の島国ばかりで成り立つこの国は、地球温暖化の影響で50年以内には国土全体が沈み、滅んでしまう可能性があるという。
今回のミッションで私の関心を最大に惹きつけたのは、原住民で有名なパプアニューギニアでも、入国予測不可能なナウルでもなく、消滅する危険性を秘めた南太平洋諸国で2番目に小さな(南太平洋1位は先ごろ訪れたナウルちなみに世界では第4位)この国だった。
薔薇は気高く咲いて美しく散る。
永遠の輝きを持つのはダイヤモンドとこのプロフェッショナルだけで、全ての物は消えゆく儚さを秘めている・・・
そう、そんなこの国こそがこの私の南太平洋狙撃のハイライトであったのだ!
どうする?ゴルコ・サーティーワン!!
ツバル全土と首島であるフォンガファレ島の中心のバイアク地区
(地図の出典: 国際機関太平洋諸島センターより)
※実際に50年後に無くなるかどうかは諸説あり、インターネットで検索すれば色々な人が書いた記事にヒットしますのでそちらをお調べください。
第1章:出撃
2016.11.03(木)
フィジー
起きたのは6時、準備をして出発したのは7時、出国時間に合わせてタクシーを手配していたので折角ホテルでインクルーディングになっていた朝食は食べられないという残念な結果であったが、それでフライトに送れるよりは遥かに良い選択肢だった。
空港までの道中、途中渋滞がありポリスが交通誘導していた。
フィジーの首都スバから郊外に1時間程度、ナンディ国際空港とは違い、どこか牧歌的な風景を漂わせるナウソリ国際空港はフィジー第2の規模とは思えない閑静な様子を漂わせていた。
カウンターで待っていると並んでいたツバル人の親父が私の荷物が軽いのをみて、「俺の荷物も一緒に・・・」とお願いしてきた。こういった事は国によっては麻薬の密輸等の片棒を担がされ、場合によっては投獄となるので警戒して受けてはいけない頼み事だ。ただ、今回に関してはその可能性はゼロだった。『何かあると困るから俺は嫌だけど、カウンターの人がそれでOKというならいいんじゃない?』私は言葉を濁しつつ答える。そこで私の順番になった時、ツバル人の親父が「彼の荷物が軽いなら俺のと併せて・・・」とレセプションにお願いする。一応その女性が「いいの?」と私に確認したので『重さだけの問題で、彼の荷物に何かあっても一切こっちに振らないなら良いよ』と答えると、航空会社としては儲けが少なくなる話にも関わらず、OKの運びになる。
『なんでもありだな・・・』
この条件ならこちらの腹の痛む話では無い、あとはご自由にとチェックインを済ませ待つことしばし、予定より少し早い08:45時、今回のミッションで5回目となる機上の人となった・・・
ナウソリ国際空港および離陸後。
第2章:到着
ツバル
機上の旅はそれほど心地よい物とはならなかった。
空席が目立つこのフライトで、窓際の席をゲットしたのは良いものの、何故か私の横の通路側の席に韓国人親子の子供だけ座ったからだ。親父は?とみると斜め前に少しいった反対側の列の2座席に1人だけ座っている。
『・・・』
確かに私の支払いは1席分、隣に誰かが座ろうと文句が言える立場ではないのだが、明らかに親子である彼らが別れ親父が2座席独占、息子が私の横となると釈然としない何かが残る。息子にしても赤の他人の横に座るより親父の横の方が良いというのが定石だと思うが、この親父がセルフィッシュなのか?息子が飛行機ぐらいは親父と離れたいのか?それは分からないが、よりによってこのプロフェッショナルの横というのはやはり気に入らなかった。
出発して約3時間、窓から不意にフナフティ環礁の島々が目に入ってくる。
機上から近付いたフナフティ環礁
島々の景色を見るに、海の色合いが変わるさまをはっきりと眺められる空から眺めるほど贅沢なことは無いのかもしれない。そして此処の景色は今までみてきた中でも確実に上位にランクインする。
『エレガントを持ってなる私より、美しいかもしれない・・・』
このプロフェッショナルをもってして、こう感じるのは無理からぬことであろう。
飛行機は徐々に高度を下げ、フナフティ国際空港に到着。いよいよツバルが始まるのだ。
到着
国際空港は今までにない、というかトップレベルの・・・、というか今迄私が見てきた国際空港の中で断トツのショボさだった・・・
第3章:ファーストデイ
到着してまずやる事は宿探しだ。たとえこの国が50年後に無くなろうがどうだろうが関係は無い。ツバルは人口1万弱、首都のあるここでも人口5千人。空港周りに主要な施設が大体すべてそろっているので滑走路の長さ以上歩くこともない。ネットで予約していたロッジは空港から500m程度の位置と分かっていたので当然徒歩で向かう。
しかし、「地球の歩き方」にかろうじて載っていたそのロッジは歩き方の地図に載っていた位置から変わっていたので、さらにそこから200m-300m程度歩き、道行く人に尋ねつつ、一本しかない幹線道路から少し奥まった所にあるその宿にようやく到着した。
人が活動している気配はあまりなかったが、外から数度呼びかけると中から女性が出てきた。『一応予約した者だけど・・・』と聞くと「あれっ?キャンセルのメールを送ったわよね」と答えられる。確かにキャンセルメールは貰ったが、翌日再度予約サイトを調べると「空き」になっていたのでまた取り直していたのだ。それを説明すると「ここに泊まってた台湾人が延長したので空き部屋が無いのよ」と言われる。
多分こんなこともあろうかと思ってはいたので『それなら仕方ないね、こちらももう一度メールを送って確認すれば良かったよ、所で他に同じくらいの値段で泊まれそうな宿は近くにあるの?』と質問すると「空港の方に戻る途中に同じ系列の別のロッジがあるわよ」と名前を書いて教えてくれた。
そして戻る事少し、歩き方の地図と同じ場所に、別の名前で教えてもらったロッジがあった。
ようするに泊まろうとしていたロッジは場所を変え、そこに別のロッジが経営されているようだった。
やけにフレンドリーなお母さんに「泊まれるの?いくら?」と聞くと、先ほどのロッジと値段は同じ、部屋は広く贅沢にも2ベッド、エアコン・トイレ・シャワー・テレビ付き、キッチンは別で有り。他にも宿泊施設は数か所あるのだが、島国特有の暑さで歩くのも面倒であったし、予約で見た条件と変わらないそのロッジは、老朽化は進んでいるものの泊まるには文句の無い条件だった。それにシーズンオフの所為か?どう見ても私以外に宿泊者がいるようにも見えなかったのも良かった。
『よろしく頼むよ』
と、案内してもらった部屋に荷物を置いた。
宿泊した「Vailuala Lodge」。私の部屋の外がベランダで、正面がキッチンスペース
フライトの都合上ここは2泊、フォンガファレ島の大きさから1日で十分なので明日に観光を回しても良かったが、まだ休むには早すぎた。
そう言えば・・・
私はこういったスモールフィールドを動くのには自転車を好んでいた。国際運転免許証を持っているので車でもバイクでも良いのだが、人力で動けてどこでも簡単にストップ出来る自転車は観光を気軽に行うベストツールの一つだろう。
国土全体が海抜5m以下、ようするにフラットなこの島は自転車こそが観光の最適解なのだ!
最初、宿のおばさんに、『自転車ってどこで借りれるの?』と「分からないわよ、ただ息子が持っているのでそれを貸してあげるわよ~」と呑気な返答だ。
『何事にも対価はある』、私の基本的な考え方はこれだ。フリーの申し出は有難いが、宿に自転車代が含まれた料金で泊まっている訳ではない、それに何かあった時レンタルならその保証でとなるが個人の善意なら全額弁償となるので、それもあまりよい考えとは思わなかった。
『タダで借りるのは申し訳ないので、取り敢えずレンタル屋さんを探してみるよ。』と、「そんなこと気にしなくてもいいのに~」というおばさんの善意を保留にして、観光も兼ねて街に出て探すことにした。
11月に入り雨季となった南太平洋の天気は変わりやすい、出てほどなく雨にあたった。
上2段:ロッジから空港まで。上から3段目、左:国立銀行、右:テレコム。最下段左:政府オフィスビル、右:バイアク・ランギ・ホテル
この国で最大のというか唯一のホテルであるバイアク・ランギ・ホテルの裏はこの島というかこの国おそらく最大の砂浜だ。シーズンオフ+雨天のダブルパンチで誰も居ない砂浜をしばし散策する。私が見たい景色はあくまでも日常なので、人が居ないのは満点と言っても良いのだが、南国ツバルで傘をさし、ビーチを一人散策というのも冴えない話だった・・・
ビーチ、そこそこの規模はある。
『そう言えば、飯がまだだったな・・・』
雨宿りを兼ねて食堂が併設してあるという「フィラモナ・ムーンライト・ロッジ」へと向かう。実はここならドミ(団体部屋)もあるのでツバル最安と知っていたが、私は仕事の合間のヴァカンスで来ていて、泊まるなら一人でのんびりとしたいので候補からは外していたところだ。
上段:政府オフィスビル。止まっているバスは日本製で幼稚園の文字が残っていた。下段は食事のカレーとそこから見た雨
日本のように雨が降ったらその後振り続けるという天気でないのは有難い、いったん豪雨になったものの空はまたしばらくして曇天を取り戻す。
『よし・・・』
中心部はもう見終わってしまっているコンパクトさだったが、自転車のレンタル屋を探しながらその周辺も少し見て回る事にした。
ロッジで教えてもらった最初のレンタル屋はバイクのみ、そこから少し南下して「この国の土産物の一つ」である切手が買える郵便局を目指す。
郵便局斜め向かいのショップは閉まっていたが、本体の郵便局に入るとそこで切手は売っていたので『何か良い物は?』と探すことにした。断っておくが私は切手コレクターではないので高価な物には興味ない、ただ、重さもなく、その時使っているメモ帳に貼り付ければいい記念になるので『都市地図が無さそうな国や時間がどう考えても余りそうな時』は郵便局見学がてら、切手やデザインの好みのはがきを買ったりはしているのだ。
そしてツバルの郵便局の切手は「宝探し」だった・・・
郵便局と中の切手置き場スペース
『・・・』
『・・・・・・』
『な、なんて乱雑な・・・』
一応歩き方には「ツバルの切手は美しく、希少なので収集家に人気がある」とあったが、この適当に積み上げられた切手の山の中からお目当てを探し、カウンターに持って行って在庫を確認してから購入と何ともバイヤーには不親切なシステムだ。ディスカウントショップのドン・キホーテ好きならこの手の物は大歓迎だろうが、こちらは効率重視が売りのツーリストでなによりもエレガントさには欠ける。ただ、背に腹は代えられず、さしたる興味があったわけではない切手の中から島や環礁が移っている物を探し、さらにその中でも安いヤツを選択して購入する。
『ふ~う・・・』
さてと・・・
実をいうとこの国の首都の観光はこれでほぼ終わりだった。
のんびりと食事をしているにも関わらず、それでもロッジを出てからまだ1時間半しかかかっていなかった。
一応切手を買い、不意に襲ってくる雨も怖いのでロッジに戻って不要な物を置いてからまた再出撃する。『レンタルサイクル』、明日の為にどこか借りれるショップを探す為だった。
幹線道路に出てほどなく、バイクに乗った初老の男性が「どうしたんだ?」と話しかけてくる『どっかで自転車を借りたくてね』と答えると「なら乗ってけ!」とのお誘いが。地元の民なら良いショップをしっているかもしれない。そう単純に考えて彼のバイクに跨ったが、その後事態は思わぬ方向へ向かっていった・・・
「ここではレンタルサイクルはやってない、バイクだけだよ」
これで断られたのはもう5件にはなっていた。
初老の男性が道行く人、と言っても人口1万の内5千人が集中するフォンガファレ島ではすべての人が顔見知りのようだったが、に聞きながら訪ねる所訪ねる所すべてが空振りだった。
「バイクじゃだめなの?」
『うん、自転車が良いんだ』
バイクに乗ってから1時間はもう過ぎ、流石に無駄足が続き申し訳なくなっていたので、『こんなにハズレ続きなら諦めるよ』と言ったが、私以上に彼に火がついてしまっていたので、それからさらに30分程度探し回る事になった。そしてようやく最後、そこそこ大きなレンタルショップでその受付のお姉さんと話していると
「この島でレンタルサイクルをやっている所は1件もなく、もし自転車に乗りたいなら購入して、それを中古で売る」
というのが発覚した。
『・・・』
『・・・、ち、地球にやさしくない・・・』
そもそもこんな狭い場所でバイクだと機動力が高すぎて、空港周りで明日に取っていた見所もバンバン通過したり往復したりで、もう市の中心のは見尽してしまったといって良いだろう。
探し回った市中
『うむぅ・・・』
とりあえず親切な初老の男性にロッジの前で降ろしてもらいお礼を言う。
『さてと・・・』
とりあえず宿のおばちゃんに、『自転車借りれなかったから息子さんのを貸してもらって大丈夫?』と聞くと、おばちゃんも息子も「バイクしか使ってないから良いよ~!」と、色好い承諾が得られる。
壊したら弁償しなきゃ・・・
と、レンタルでないのが少し引っかかるものの、この島を楽しむためのベストな解決を結局この島のスタート地点ともいうべき宿泊宿で確保出来たのは僥倖だろう。
そして時刻はもう16時頃になっていた。
『キッチンがあったな・・・』
この島最大の、そして最小の、そして唯一のともいえる、ロッジから歩いて5分、地元の人なら迷わずバイクというスーパーへ向かう。南太平洋の常として「日本のそこら辺ののコンビニより売り物が少ない」スーパーではあったが、そもそも食事処も余り無いこの国では偏食の私に取って食べ物を選べるだけで由とすべしで贅沢は言えないだろう。
唯一のスーパー、当然ショボい。コーラ、牛乳、シリアル、ラーメン、チョコ菓子、コーンビーフ等を購入。
まだ少し時間があったので夕日を眺めに行く、残念ながらこの天候ではバッチリと沈む様子は見られなかったが、それでも良い物だった。
沈む夕日と夜の食事。
たまたまだが、私の部屋の壁には地図が貼ってあり、見ると過去に訪れた旅人がフナフティ環礁を船で周った日付が書かれていた。
予約した宿はダメだったが、何かノスタルジックな雰囲気を醸し出すこの地図の貼られた部屋に泊まれたのは、このプロフェッショナルのロマンティシズムを満足させるものだった・・・
明日は島の全土を見に行こうか・・・
第4章:フォンガファレ島往復
2016.11.04(金)
特段早く起きた訳ではない、全長18km程度、ほぼフラットなこの国を見るには寄り道をした所でそんなにかかるものではない。ちょっと嫌なのは私のいるところが大体島の中心なので一回の縦断で済まずに往復になる所だがそれでも36kmとなると本気でペダルを漕ぎ続ければ1時間ちょっとという距離だ。
のんびりと朝食を摂ってから一度銀行へと向かう。
『この国独自のコインの存在』
通貨はオーストラリアドル、歩き方の情報はこれだけだったし、ロンプラの”South Pacific”最新版ではツバルの存在そのものが抹消されている。
ただ、このプロフェッショナルならではの鋭敏な感覚と研ぎ澄まされた知性が”この国にオリジナル硬貨が存在する”、という金脈を探り当てていたのだ。
決して、昼食を食べたロッジで貰ったお釣りで「見たことが無い硬貨があった」ので、『なにこれ?』と聞いて初めてその存在が発覚した訳ではない!
僅か人口1万程度のこの国が独自通貨を発行している。
これはツーリスト萌えさせる小憎らしいポイントだろう、逃す訳にはいかなかった。
銀行でコインの種類を集められるだけ両替してもらい、また宿に戻る。
地図は最初から断念していたが、切手、コインと記念品集めは終わったし、首都の主要な建物は既に狙撃済みだ。
となると、後のやる事は決まっていた。
『さてとそろそろかな・・・』
まだ昼前、というかもう昼前という遅いスタートだったが、自転車の持ち主であるお兄さんから、私と比べてあまりにも長すぎる足の所為(※黄金比のプロポーションを持つといわれているこのプロフェッショナルの足が短いのではなく、あくまでも彼の足が長かっただけです、悪しからず。)でまったく合わなかったサドルの高さを調節して貰って出撃することにした。
この後しばらくはひたすら漕いで寄り道して、見てだけなので特に言葉は要らないだろう・・・
宿を出てから、まずは北へと向かった。
途中で見た小型船、現役かどうかは不明。それと島の至る所に墓があった。
途中港が見えたので一旦立ち寄り見学することに、ゲートはあったがそこの守衛さんに『入ってみても良い?』と聞くと簡単に良いと言ってくれた。
港にある客船の行先は忘れてしまった。 港で覗き込む海はやはり綺麗だった。
しばし港で時間を潰してからまた北へと向かう。
港のすぐ北辺りにあった廃船と廃トラック
島で一番幅の狭い所。上手く撮れてないが東と西では違って見えた。
漕いで1時間程度だろうか?舗装路が切れ、島の北端に近付いたころ、突然の豪雨に見舞われる。横殴りで濡れることをどうやっても防げない雨の中、それでも木陰に入って濡れる面積を少なくしてしばらくしのいでいた。
10分ほどして雨が過ぎたので、また北へ向かう。
舗装路の切れ目から北へ
舗装路が切れて直ぐはこの島のゴミ捨て場になっていて、冷蔵庫サイズの小さな焼却炉しか無いのは懸案の種でこれで大丈夫なのかと思うし、オフシーズンだから人が居ないのか、それとも年中人が居ないのか?このプロフェッショナルには知るすべは無いが、島の突端にようやく到着した。
電車の席でも何でもそうだが私は端っこが好きだ。一方向だけ見ていればたいていのトラブルは事前に察知できる。
そして島の突端にはそれ以上の魅力がある、そうここがこの島の果てという実感があるのだ!
潮の引いている今、石をホッピングしていけばひょっとしたら隣の島まで渡れるかもしれない、そんなことを考えながら暫く海を眺めていた・・・
『次は南だな・・・』
30分程度、願望を楽しんでから自転車にのりまた南へと向かう。
島の突端、写真最下段左の金属の箱が焼却炉
このまま南へという気持ちと裏腹に、降ったり止んだりする雨と交互に照りつける太陽は想像以上に私の体力を奪っていた。
『いかん・・・』
距離としては宿から北端まで10km程度の往復、そのわずかな間に脱水症状の初期症状が出始めていた。そしてここに来るまで500ml程度用意していた水は既に飲み切っていた。
『どこかで飲み物でも・・・』
と、立ち寄る民家に毛が生えた程度のキオスクに3件程度寄ったがいずれも人が出てこない。
宿までの帰路
頭の中で歌声が響いて来る
「わ~れは行く~、蒼白き頬をそめて~」
そう、この国のテーマソングだ。
「わ~れは行く~、さらば~」
「ツ・バ・ルよ~!!!」
『・・・』
『・・・・・・』
『って、それは”スバル(昴)”だ・・・!』
兎にも角にもツバルがスバルに脳内変換されるほど弱っているのは確かだし、それに例えリフレインする歌詞がスバルであったとしてもまだ南端に到達するまえに顔を青白く染めてツバルに”さらば”ってる場合じゃない!!
こうなったら一直線に宿に退避だ!
駆け込むように宿に戻り部屋に戻ってクーラーをつけ、水分を大量に補給してしばらく休む。
『セッ、セーフ・・・』
20分程度休んだので少し落ち着き、シリアルをミルクに溶かして栄養分も補給する。
それにしてもこれまで「華麗に旅行」してきたこのプロフェッショナルといえども年齢による衰えは出てきているのだろうか?
予想外のアクシデントでこれまでのエレガントさをやや捨てこれからは「加齢に旅行」とするべきなのだろうか?
考えはまとまらないが、まだ南端が残っていた・・・
そして15:30、十分に回復したとは言えない身体・・・、老体に鞭打って再出撃をする事にした。
南端は北に比べ距離が短く、走って30分もしないうちに到着。
南端への道中
今回は雨にも当たらず、比較的綺麗な空と海を眺めることが出来たのはちょっとした幸運だった。
そして南端
ここでは北ほど時間を費やす気はなかった、両端を制覇してやるべきことをすべて終えた達成感と、それ以上にただ突端を2回も見て飽きていたからだ。
『後はどうしようか・・・』
戻る途中、滑走路近くにさしかった所のキオスクが開いていたのでコーラを買ってしばし座って思案する。
雨も降らず、空はまだ青かった・・・
南端から戻る道中。最下段左が立ち寄ったキオスク。
ジュースを飲み、少し落ち着いて空港を眺めると滑走路の端のサッカーゴールが目に入ってきた。国土のちいさなこの国では、フライトの無い間は市民のレクリエーションや憩いの場になっているのだ。
『そう言えば・・・』
大陸移動は基本陸路だが、島国も周る私はかなりのフライトもこなしており、様々な国際空港を今迄見てきたが、滑走路の端から端まで勝手に歩けそうな国は初めてだった。
『よし、この滑走路を踏破しよう!』
もちろん自転車はある、ただそれを使うと一瞬で終わってしまう。この際だから、全て徒歩でこの滑走路を堪能しようではないか!
と、自転車を横に歩き始めた。
滑走路、遊んでいる人もちらほら見える
滑走路の中央付近、横断するルートになっているのでタイヤ跡がはっきりとついている。
日本を離れて遠く、こんな南太平洋の小さな島国で滑走路を縦断する。
人が何かに驚くのはそれまでの経験とのギャップがあるからだ、旅行もそれと同じでそれまで見続けていた自分の中での”常識”に合わない物を目にした時、そこに驚きが生まれてくる。
それが、見たことのないきれいな物や景色、あるいは壮大な建物なら感動を生むのだろうが、ここで私が味わっているのは「市民がアクティビティーに使える国際空港」という、これまで目にしてきた物の中でもありえない”馬鹿馬鹿しさ”だったのだ・・・
滑走路に座り込む人々、サッカーをやる人々、日本では決して見ることの出来ない光景は私を十分に満足させるものだった・・・
空港脇のサッカー場で試合もやっていた。
のんびりと時間をかけながら滑走を抜け、空港北端のちょっとした丘の上で海を眺める。そして改めてガイドを見ると「ラグーン(潟)」の存在が!
小さな島国の中にあるラグーン、ここのすぐ近くなので丁度良い標的だ。
眺めにいくと動物の鳴き声が聞こえる、養豚場があったのだ。
ラグーンと養豚場
『これでこの島も終わりかな・・・』
そう思って夕日を眺めにいったが、昨日以上にノーチャンスだった・・・
宿に戻る道中
まだ時刻は17時、外食するべきかどうか?この国最大の、というか一軒しかないホテルのレストランに行くと食事は18時にシェフが来てメニューを書くのでそれまでは何が出るのかすら分からないとの事で、また初日に食べたロッジのレストランも状況は似たようなものだったので、結局スーパーで食材を買い足して自炊にすることにした。
その道すがら、私の泊まっていたロッジよりも空港に近くやや高いロッジの前で丁度スーパーから帰ってきた日本人とバッタリ出会う。
聞けば仕事でもう何か月間か来ているそうだが、「旅行者は初めて見ました」という彼と『こんな所に日本人がいるなんて』という私と、ナウルの時と同じようなシチュエーションは思わず笑ってしまう出来事だった。
数分程度歓談して別れ、スーパーで買い物をしていったん宿に荷物を置いてから、食事前に一度夜景を見に出る事にする。砂浜でみた何かのイベントのハートマークは意外性あふれる物だったが、ツバルの閑静な夜は私を何とも言えない気持ちにさせていた・・・
ツバルの夜景
売っている食材は当然の事ながら昨日と変わらず、また偏食の所為でメニューも代り映えの無い物だったがツバルの2日目は私のツーリスト欲を満腹させるものだった・・・
夜の食事、キッチンにヤモリがいた。
第5章:旅立ちの日
2016.11.05(土)
フライトは12時、朝のんびりと起きて朝食を食べ、一応2時間前の10時前にはと空港に向かう。
今回はまたフィジーに戻るフライトだ。フナフティへの航路は少なく、結ばれている国がフィジーしかないので往復するしかないのだ。
もちろん「ツバルエアー」なんて気の利いたオリジナルは無いから「フィジー・エアウェイズ」という、フィジーの国際航空会社しか手段はなかった。
ただ、この「フィジー・エアウェイズ」は中々優れもので、事前に座席も予約が出来たので、去りゆくスバルを眺める為、窓際の席をあらかじめ押さえていたのだ。
やや早く空港についてしまったせいか人も数人待つ程度だった、机をただ置いただけという粗末なチェックインカウンターに向かって搭乗手続きするとA4のコピー紙に座席の配置図が書かれたものが置かれている。
『?』
「座席はどこにします?」
『!予約してたのにぃ~!!』
と、聞いてみると、この国ではシステムが繋がってないから、チェックインの時に空いている所を指定するようになっているのだった。
幸いにして早めに来ていたので予約とあまり変わらない席を指定する、そして受け取ったボーディングパスは”手書き”だった・・・
『この現代に手書きとは・・・』
空港と搭乗券。私が入ってしばらくして机二つを入口に縦に並べてセキュリティーゲートを作っていた。
カスタムで申告を終え、出国手続きを終え後は待つだけだ。
『煙草はどこかで吸えるの?』
と係に聞くと、滑走路側の扉を指差し、「手続き終っているからあそこから自由に外に出て吸ってきていいよ~」、という意外な返答が!
『あれっ?出国手続きの意味は?セキュリティーゲートを出てから野に放ってもOKならその気なら何でも持ち込めるんでは?』
というのは私の中での常識だ。だが、ここはツバルだ、ツバルにはツバルの常識があるのだろう、たとえそれがセキュリティーゼロであるとしてもだ!
いずれにしてもやる事もないので、空港から出て街を散策して時間を潰す。
バイアク・ラング・ホテルの裏の砂浜。昨日のハートマークもあった。最下段は銀行。
しばし街を散策してまた空港に戻る、そしてフライトの時間が近づくにつれ、サイレンが鳴り、徐々にギャラリーも増えてくる。娯楽の無いこの国で、飛行機の離発着は一大イベントなのだろうか?
私も敢えてウエイティングスペースには戻らず、外でフライトの到着を待つことにした。
何かに備えて待機した消防車のドライバーは北九州で3ヶ月研修を受けたと話してくれた。
途中滑走路に迷い込んだ犬を消防車の近くで待機していた4WDが追いかけて外の安全なエリアに逃すとギャラリーから拍手が起こっていた。
フナフチ国際空港、看板は新空港計画。消防車には日本の国旗。最下段左は滑走路に入った犬を追い払う4WDの雄姿
やがて飛行機は到着。滑走路側にあるウエイティングスペースの扉はサイレンが鳴ってからしばらくして閉められていたので、また再度空港の入口から入る事になる。
そして係が私の体を金属探知機で調べ、持っていたライターを取り上げられた・・・
『・・・』
なんだ、このチグハグなセキュリティーは・・・
滑走路側の扉が開いてるうちに入れば何でも持ち込み可能だったのに、なんか切なくなる瞬間だった。
到着した飛行機
この国で失った物はライター一個。
得た物は?
1首都の景色が夜景も含めて見れたこと
2.島の北南端が眺められたこと。
3.独自通貨の入手
4.国際空港は市民の広場で縦断可能、セキュリティーはザル。
5.この国でレンタルサイクルは無く、レンタルバイクのみであるという無駄な知識。
6.政府バスは日本の幼稚園のお下がり。
7.あり得ない手書きのボーディングパス
等々いろいろあるが、何よりも良かったのは”滅びゆく国の今が見れた”ことではなかろうか?
南太平洋狙撃のハイライトであるこの国ツバル・・・
感想を一言で言うと
『ツバルだけに・・・』
『ツボる国だった・・・』
と・・・
そして万感の思いを込め、最後にこの言葉で締めくくろう。
『さらば~、ツ・バ・ルよ~~~!』
と・・・
機上から去りゆくツバルを眺めて