南キプロス
2006.05.27(土)
ニコシアで過す最後の日、幸いにも出発までまだ時間がある。
私は旧市街の中、それも”北側”との境目を見に行く事にした。
観光地ナイズドされた旧市街を抜け境界線へと向かう。
泊ったホテルのバーと旧市街の街並。
北側を覗けるポイントがある。
穴からのぞく
見えてる景色は北側
若干演出がかってはいる物の、こうして眺める北ニコシアを一昨日歩いていたと思うと何とも言えない気分になる。
ちょど縁のあたりで
一番下の右側の建物は土嚢が積まれている
今まで見てきたのは観光地化されたニコシアの別の顔だった。
この国が、そしてこの首都が・・・
ここは同じ国では無く、最前線がそこに存在していた・・・
上は境目、下はちょっと変わっていたのでつい・・・
これで大体ニコシアで見たいものは見れた。だが時間のある限りちょっと気の赴くままにこの街を眺めてみる事にした。
新市街
何気なく歩くニコシアの新市街から見る建物、そして景色。”ただの街”にしか見えないがこの首都は分断されている。
「人の愚かさの為せる所業?」
それだけではない、人は人に対して常に優位性を持ちたがる。諸条件は当然あるがつまるはなしそれは人間が社会的動物である以上、本能的なものだ。その結果が現在の分断につながっているのだろう。
答えが分かっているこの分断の理由だが私の中に出てくる”なぜ?”というクエスチョンは消える事は無い。
この先幾千年の時を重ねても人の本質は変わらず、そしてその愚かさも変わらないのだろうか?
ニコシアの新市街で
そしてこのニコシアの未来は?
かつて首都が分けられていた国はドイツだ、東西に分かれ東西ベルリンが存在していた(注:西ドイツの首都は当時ボンであったが統一後はベルリンになったので表記は首都としている)。私が子供の頃、この東西ベルリンが統合して一つになるなどと言う事は夢物語だった。
だがそれは実現した。
そのほかにも旧ソビエト連邦の崩壊、これなども若し私が中学生の頃「ソビエトは無くなる」等と発言していたら「ドリーマー」扱いだっただろう。
そう考えると今目の前にあるニコシアもかつては一つだったようにいつかは一つになるのかもしれない。
それに統一される以外にも別の可能性もあるだろう。
新市街の教会
ベルリンの壁の崩壊以降、西側はユーロの名の元に統合する方向へ動き、そして東側は旧ソビエトの崩壊に象徴されるように分裂する方向へと動いた。
この国の、そしてこの首都の未来がどうなるか?それは良い方向に行くのかそうではないのか?
ただのエレガントなプロフェッショナルで千里眼等持ち合わせていない私に未来等見通せる訳はない。
北キプロス国旗の横にトルコ国旗。これを見るだけでもここが何かおかしい場所と分かる。
南側のニコシアを歩き、この景色を眺めながら私はそんな事をなんとなく考えていた。
だが、その未来を知ることが私の旅の目的ではない。
つまる話「行きたい所に行き、見たい物を見る」その為に色々と流れて今ここに居る。
そしてその見た結果を私なりに消化していくだけだ。
ヨシムラの看板は確かバイクショップだったような・・・
そして未来が読めないからこそいまこうして世界中を周って今この瞬間の目の前の景色を見る事に意味があるのだろう。
分断されたニコシアの片割れを眺めながら私はここに来た事に満足している自分に気付いていた・・・
ニコシア市街
大体歩き終え、出発の時間となる。
ミニバスに乗って空港へと向かう・・・
空港行きのバス。
チェックインを済ませフライトに乗り込む。エジプトまではすぐの距離だ。
機内食
距離の短さからリッチというにはあまりにも質素な機内食を食べ、去りゆくキプロスについて思いをはせていた・・・
分断された世界で唯一の首都ニコシア・・・
この国の今、そして未来の絵はどう描かれるのだろうか?
そして私が今見てきた景色はどう変わるのだろうか?
時代とともに歴史は動きそして世界は変わりゆく。2つのニコシアが永遠に2つのニコシアである訳はないだろう。
だが・・・
私に残されている時間は有限だ。最後の帰結まで見れるかどうかは分からない。
窓から空を眺め、私は今回のこの首都に対して自分なりの結論を出していた。
この首都の未来も今この瞬間では予測不可能であることは間違いない、それは私に彼女が何時出来るか、それとも全く出来ないまま墓場に行くのか?という予測が全く不可能な事と同様である。
と・・・