イスラエル パレスチナ自治区
2006.05.17(水)
この日の朝私はホテルを移る事にした。
泊っていたホステルは食事付だがベジタリアンの宿主の嗜好を反映したものでミータリアンの私には口に合わず、それも彼の親切心から出しているので手をつけようとしないと「大丈夫か?」と聞かれてしまうのもちょっと良心が咎めていた。
そしてあの辺りを周る旅行者はここかこの横の安宿に泊まるのが定番だったがウマの合いそうな旅行者にも会えなかったのもホテルを移る一因となっていた。
それにどうもたまたま宿であった旅行者は「如何にもイスラエルに来ています」という雰囲気を出していたし何か無理に構えているような奇異な感じを 受けたからだ。
私はただここに首都を見に観光に来ているだけだ。イスラエルだのパレスチナだの自分をそこに入れ込んで「こんな世界を見ています」といった体を出す為に来ているわけではない。
色々と理由づけはあるが要するにそこに居たくなくなったというのが本音だろう。
そこで私はしばらく探して旧市街のヤッフォ門近くにある普通のシングルルームが取れるホテルに泊まる事にした。
泊ったホテル・インペリアルからの眺め
岩のドームが見える
設備が整って眺めが良いこのホテルは値段は少しした者のエルサレムを楽しむには良い場所に思えた。
他の旅行者とつるんで観光というのはどうやらしなさそうだがこの街はどうせ小刻みに動き続ける事になるから 独り身の方が気楽でいいだろうし見たい物を見たいまま見れるだろう。
すこしホテルで落ち着いてから私は早速出る事にした。
今日の目的地はベツレヘム、キリスト生誕の場所と言われる場所だ。
食べた朝食、パンの形に異論はあるだろうが一応イングリッシュ・ブレック・ファースト風
東エルサレムのバスターミナルまであるいてミニバスに乗る。
東エルサレム、乗ったミニバス
ミニバスに乗って向かう先はパレスチナ自治区だ。
そう、キリスト生誕の地であるベツレヘムはパレスチナ自治区にある。
この事一つとってもこの周辺地域が錯綜した状況の中にある事が容易にみてとれるだろう。
エルサレムから10km程度の距離なので簡単に到着、パッと見た感じ、通常の国境越えよりも明らかに厳重そうな高い塀で囲われた入口で簡単な手続きをして通り抜けたらそこは もうパレスチナ自治区だった。
ベツレヘム
エルサレムの新市街と比べると高層建築が無いので少し変わって見えるがエルサレムのアラブ人地区であるイースト・エルサレムと比べるとそんなに大きな差異は感じず、それどころか帰って小綺麗な印象さえ受けてしまい。大きな違いは「ベツレヘム全体が高い壁で覆われている」という事だけだ。
パレスチナの現状。それはひとまずおいといてまずは見たいものを見るべきだろう。
私は最初に最大の見どころであり街の中心にあるキリストが生まれたとされる聖地の一つである生誕教会を訪れる事にした。
生誕教会
キリストが生まれたとされる、ということは定かではないということだ。ただ昔からそう伝えられ多くの人にそう思われていたのも確かだろう。
人の思いが時代を超えて受け継がれている場所というなら無神論者の私でも見る価値のある場所だろう。
人と通りみてからすぐ近くにあるミルク・グロットという小さなかわいらしい伝説の教会を訪れる。
ミルク・グロット
なんでもその伝説と言うのは聖母マリアが母乳を数滴地面にこぼしたら赤かった地面がミルク色に変わったことらしい。その真偽の定かは確かではないがこじんまりとした教会は外面や内面の装飾の可愛らしさも相俟って訪れて損はないと思わせる場所だ。
ミルク・グロットのある通りと街の中心であるメンジャー広場
メンジャー広場、生誕教会がバック
メインの見どころを早々に終えたがまだこの街の観光は終わらない、こうなったら少なくともガイドブックに載っている見所は全部周る気になっていた。
ベツレヘム市街
聖マリア教会
ベツレヘム市街
ベツレヘム全景
ヨセフの家
ダビデの井戸
観光客が多い所為か?良く整備されているし街全体が綺麗に見える。
だがその綺麗さの裏で街全体が囲われている、それがベツレヘムだった・・・
遠くに見えた集合住宅
ベツレヘムの大きな見所を終え、まだ時間があるので隣接するベト・ジャラもついでに観光する事にした。
サンタクロース伝説のモデルが住んでいたと言われる聖ニコラ教会
ベト・ジャラも普通に歩くには良い町に見える、だがここも囲まれた町だ。
ベト・ジャラからみたパレスチナ自治区を覆う壁
そのアップ
ベト・ジャラからの眺め
隅から隅まで、とはいかなかったがメインを見たのでもう一度ベツレヘムへと戻る。
ベツレヘム
これはベツレヘム内にあるインターコンチネンタルホテル
見残した場所の一つ、ラケル廟を訪れようとした時だった。
今まで見ていた観光メインのベツレヘムの街並を考えるとちょっと古びて見えてしまうベツレヘムを囲っている塀の横のガソリンスタンドを抜けるといきなり空気が一変する。
『進むべきではない』
心のアラームが警鐘を鳴らす。
だがそれと同時にここを少し見てみたいという旅行者特有の好奇心が隆起するもの気付いていた。
明らかに不穏な感じがする狭い道路を進むとちょっとした広場に出る。視線を少し帰ると装甲車と武装した兵士が一個班(10名)程度展開し、塀の上には土嚢がお置いてあるのが目に入った。
『あっ!』
目的地のラケル廟は見えているがそのラケル廟も土嚢で覆われていた。
展開している兵士は明らかに私に気付いていたが別に追い払おうとする訳でもなく無関心そうだった。
『・・・』
私はラケル廟にゆっくりと近づく事にした。すると突然兵士達が走り始め土嚢の近くに配置につき始める。そしてほぼ同時に塀の向こうから投石が始まった。
『なるほど、これがベツレヘムか・・・』
私は用心をしていたので特に投石があたったり兵士たちの展開を妨げる場所に居た訳ではない。傍観者のポジションだった。
だが、こういった事に深入りは無用だ。
事が始まった今、最後まで見ようとするのはただの愚か者のする事だ。そもそも私はただの観光客でここで起きる出来事等とは無縁の存在だった。
当たり前と言えば当たり前だがラケル廟を諦めて戻る事にした。
ここから奥がラケル廟
ベツレヘム市街
これでもうベツレヘムは十分だろう。私は戻る事にした。
ベツレヘムを覆う壁に書かれた落書き、左は「我々は全員捕えられている」右は「神がこの壁を壊すことを強く願う」
ベツレヘムから出るのは入るより遥かに厳重だった。
中にバレーの審判が座るような高台があり、銃を構えたイスラエル兵がいて辺りを睥睨している。
外国人とパレスチナ人は別の列だ。簡単に進む外国人観光客列と比べると現地人の列の進みはびっくりするぐらい遅かった。
イスラエル側に出た所。
集合住宅
エルサレム市街
ベツレヘムからエルサレム、距離にして10km程度、何もなけれ15分~30分。あっという間につく距離だ。
他の国、他の街なら何気ないただの日帰り旅行だ。見るべき観光地を見て泊っている街に戻る。それだけの他愛もない旅行の日常のルーティン・ワークの一つにすぎない筈だった。
そこには観光をしたという楽しさや充実感こそあれ、重さ等は介在する余地もないのが通常だった。
だが、今回訪れたベツレヘムは私に何かを感じさせていた。
そして、エルサレムに戻る道中、私の頭の中は出国審査で全く進まない長蛇の列に並びながら私に向かって英語で話しかけてきた年配のパレスチナ人男性の言葉がずっとリフレインしていた。
それは
『おい、あんた、俺たちにとってエルサレムってのは本当に遠い街なんだよ』
という台詞だった・・・