アゼルバイジャン
アスタラ(イラン)→バクー(アゼルバイジャン):シェアタクシー
基礎データ(旅行人ノート シルクロード改訂版2006年発行より抜粋し一部加筆)
1.面積:8万6,600平方キロメートル(日本の約4分の1、)
2.人口:830万人(2005年)
3.首都:バクー(約207万人:2003年)
4.民族:アゼルバイジャン系(90.6%)、レズギン系(2.2%)、ロシア系(1.8%)、アルメニア系(1.5%)、タリシュ系(0.3%)
5.言語:公用語はアゼルバイジャン語(テュルク諸語に属し、トルコ(共和国)語やトルクメン語に近い)
6.宗教:主としてイスラム教シーア派
7.通貨:アゼルバイジャン・マナト(AZN)、補助通貨1AZN=100ケピック。レートは2007年時の1AZN≒140円で計算。
※この辺りの地域は一般的にカフカス、カフカ―ス、コーカサス等様々に呼ばれますが、ブログ中では個人的に響きの好きなカフカスで統一します。
※ブログの日付は旅行当時に合わせてますが、帰国後10年以上経てから記事を書いているので実際のアップ日は2022.1.29です。
2007.10.02(火)
時計の針を1時間半進ませた09:30時。
新規113ヶ国目のアゼルバイジャンに入国。
国境街のアスタラ(イランと同名)で、100USDを85マナト(約12000円)に両替。
アスタラ(アゼルバイジャン側)
11:30時に出発し、バクーまでシェアタクシーで向かう。
15マナト/1人(2100円)の交通費はトルクメニスタン、イランと抜けてきた身には劇的に高額だ。
11時過ぎ
これが中央アジア、中東を抜け、ヨーロッパ(カフカス)に入るという事なのだろうか?
13時過ぎ
13:30過ぎ
15:30時、カスピ海に面した首都バクーに到着。
聞いていたホステル・キャネルのドミに宿を決める。
ドミなのに18マナト(約2500円)の値段が、ここがヨーロッパだと如実に物語る。
14時過ぎ、中段左は道中お世話になったイラン人のヤファール氏
テヘランからの長い移動の後、一息つきたかったがそうは問屋が卸さない。
私のビザは90日のシングル、相棒レイのビザは3日のトランジット。
彼に先に行ってもらう手もある。
だが折角のストーカー先を逃すのはプロフェッショナルの名折れ、さらに高い物価が長期滞在を阻害する。
そうなると彼に合わせて3日で全てやり切るのがファースト&ファイナル・アンサー!
その選択をした刹那、私の中のカラータイマーが鳴り始めた。
宿に荷物を置いて早速街に繰り出す。
バクー市街。上段右は乙女の塔(クズ・カラー)、カスピ海はきちんと汚れていた
カスピ海沿いのネフッチレル大通り
真っ先にむかったのはフェリー乗場。
実は最初の計画ではトルクメニスタンから海路でバクーへと考えていた。
だが、イラン経由で陸路入国となったので、フェリーでカスピ海からバクーを眺め、せめてもの慰めにするつもりだった。
フェリー上からのバクー
汚いカスピ海上から眺めるバクーに特段大きな感慨は無い。
「カスピ海クルーズ」
その既成事実が一番重要だ。
それよりも時間が限られている。
逸る気持ちを抑えつつ、鉄道駅へと観光しながら向かって歩く。
バクー市街
郵便局
政府の宮殿?ブカレスト(ルーマニア)の国民の館を思い起こさせる
駅に到着してトビリシ(グルジア)行のチケットを購入。
28マナト(3920円)の寝台は高いのか安いのか?
いずれにしても明日の晩には出発だから慌ただしい事この上ない。
これで残り時間は1日と少しだ。
日が暮れるまで、1秒たりとも無駄にできない。
可能な限り見て回る事にする。
28Mayメトロ駅と旧駅庁舎(中段)
上段:ヘイダル・アリエフ広場の広場と同名の初代大統領像
やがて日は暮れる。
取り敢えずマックでフィレオフィッシュ。
そう言えば最後に食べたのは何時だったのだろう?
中央アジアで見かけた記憶は無い。
中国の西安?それとも上海??
この久しぶりの人工的なチープさは、偏食な私のソウルフードだ。
マック好き!乙女の塔
遠くに見えるアゼルバイジャン大国旗
しばらく散策して宿に戻ったのは23時。
今日のタイムリミットだ。
ラッシュで駆け抜けたがまだまだ見所は残っている、カラータイマーは鳴り止まない。
とは言え、休息は必要だ。
少し心を落着かせ、明日の準備をしている時にデジカメの時刻合わせを国境で1時間半間していなかったことに気付く。
これを修正してようやく慌ただしい長い初日が終わった。
2007.10.03(水)
10:00時、宿から出て世界遺産の旧市街へ向かう。
時間が無いと心が告げている。
迷わず真っ先に向かったのは「乙女の塔」
このメルヘンチックな名前はロマンティストなこのプロフェッショナルにふさわしい。
入場料は2マナト、良心的だ。
乙女の塔、バクーのシンボル。前5世紀に最初の塔が建てられ、現在の物は12世紀に建立。
乙女の塔の望楼からの景色、高さ30m。望まない結婚を強いられた王女が身投げしたという伝説がある。
旧市街から外はそれなりに近代的な建築も見られる。
壁に絵地図があり、地図好きにはたまらない
11時、もう少しのんびりしたかったが時間がそれを許さない。
乙女の塔を出て、事前に地図でチェックした見所を散策しに旧市街から抜ける
下段右:12-14世紀に建造されたシャマハ門
上段:ニザーミ記念文学博物館、中段左はJafar Jabbarli像
旧市街の城壁沿いに歩きながら今度はシルヴァン・シャーの宮殿へ向かう。
ここも2マナトだ。
シルヴァン・シャーの宮殿。15世紀の建築。
16世紀までここを支配したシルヴァン・シャー朝の宮殿
何時の間にやら正午。
まだまだ見所は終わらない。
心ばかりが焦ってくる。
本屋?当時の日記に入場料が書かれていないので博物館では無さそう。本屋???
旧市街
旧市街を抜け、ケーブルカーでシェヒッドリック・ヒヤバヌ(国士の路)と言われる街の全貌が見下ろせる丘に向かう。
全景マニアな私にはマストな場所だ。
フニキュラール(ケーブルカー)乗場
バクー全景
シェヒッドリック・ヒヤバヌ(国士の路)
全景を見終え、永遠の炎を見に行くと休止中。
炎は永遠では無かった・・・。
左下は永遠の炎の写真
復路もフニキュラールを横目に歩きで麓に戻る
フニキュラール
13:30時。
時間はどんどん削られるが、散策を続けるより他、路は無い。
途中レッドブルの宣伝カーからドリンクを勧められる。
レッドブルは人生初だ。
味は何とも言えないが、一気に飲み干す。
そしてついでに何故か車に乗せてもらいお姉さまとツーショット。
教会、レッドブル
こんな事をやっている場合ではない。
お姉さまとのツーショットという一時的な満足と引き換えに、心はどんどん焦っていく。
カラータイマーはまだ鳴りっぱなしだ!
市街
上段左:公衆トイレ
上段右:シャマフ門
栄えているニザーミ―通り。中段左:マクドナルド
露天商、コインとか売っていた。
こちらは洒落た近代的なお店
郵便局に電話局
15:00時、国立博物館を訪れる。
ここも2マナト(約280円)と良心的だ。
国立博物館
入ったからには色々と見たいが時間がそれを許さない。
駆け抜けるように部屋から部屋へと移り、オールコンプリートするのが精一杯で中身は殆ど覚えていない。
「バクーで博物館に入った」
既成事実が一番大事、それが私のスタイルだ。
市街
旧市街に戻って
19時に宿に戻り荷物をピックアップ。
マルシュルートカで駅へ向かい、降り損ねて市バスで駅まで戻る
時間に余裕は見てたので問題は無い。
だが、100ヶ国以上の渡航歴があっても新しい場所では何時でも初心者だ。
バクー駅。枕カバー?にチケットがどう見ても新幹線。
20:35時、バクーを後にした。
2007.10.04(金)
07:00時、日が昇る
日の出
09:00時。
国境を越え、アゼルバイジャンを後にする。
常に焦燥感に追われ、最大速度で観光したアゼルバイジャンでの3日間。
気持ちは常にこんな感じだった。
そう、
『焦る、ヤバいじゃん!!』
と・・・