舞台国 コンゴ共和国
あらすじ:
コンゴ共和国の首都ブラザビルを出発し、陸路でガボンへと移動を開始したデューク東城、しかしこの未開の地で彼を待ち受けていたのは政府の支配する「コントロール(検問所)」と言う名の無法地帯であった。
果たして無事にガボンへの入国を果たす事が出来るのか?
どうする!ゴルコサーティーワン!!!
舞台マップ
第1章:ブラザビル
2005年8月22日(月)、コンゴ共和国(以下コンゴ)の首都ブラザビルにはコンゴ民主共和国(旧ザイール)の首都キンサシャからフェリーで入港した。この両国は首都をザイール川を挟んで接していると言う世界でも恐らくここだけの珍しい首都同士である。フェリーも私は高速フェリーだったのでたったの20分で到着であった。
キンサシャ出国時は税関に何かとたかられジュース代500コンゴフラン(約100円)支払う羽目になったし、ブラザビルはブラザビルでレシートの無い意味不明な1000セーファー(約200円)を係に支払わされる事になって気分は良くない。
古いロンプラをあてにしたので本当なら10分でつく所を30分ぐらいかけて到着した宿泊したイグリス・サクレ・クール(英国教会)
ここで少し話は変わるが皆は“ワイロ”と言うものをどう考えているだろうか?
私が出会った多くのバックパッカーは「そんな払ういわれのない金なんて出さない」と言い切り、中には時間が半日だろうと一日だろうとワイロと戦って絶対に金を出さない豪の者もいる。また「ワイロ拒否するのは後の旅行者がワイロ請求されるのを防ぐために絶対払ってはいけない」という尤もな意見を言う者もいる。
しかし、私はちょっと考えを異にしている。何よりも私はプロフェッショナルである。ワイロに関しては「高ければ値切って、安ければそれでも一応値切ってから支払う、楽に拒否できるのなら勿論拒否するのだが...」というスタンスだ。ワイロと戦うことなどは正直言って“旅行 ”本来とは何の関係もないところだし、ワイロと戦い時間も手間隙をかけ消耗して、それで断れなければ単なる疲れ損である。彼らの気分を害して余計なところまで調べられ、嫌な思いをするくらいなら、アフリカは物価が安いので最初から1,2ドルでも出しておけば時間も効率も良いし、彼らも素直に支払った人間にはチェックも甘くなると言ったものだろう。それになんと言っても「この上なきチキン」を持って誇る私である。国の役人相手に喧嘩する度胸なんてものは最初からありやしない。
ここは世界の最奥部といっていい中央アフリカ地域だ、最近の情報こそ旅行者の少なさから無かったもののガイドブックや情報ノートから得た知識では中央アフリカ地域は「ワイロ攻勢」も世界最強クラスで、有名な旅行者の書いた情報ノートには「コンゴではワイロは安全に旅をする為の潤滑油」とまで書かれていたぐらいだった。
(注:実際私と同時期にコンゴ民主共和国の奥部を旅した旅行者はワイロ拒否し続けたせいで国外強制退去になっていた。詳しくはホームページ「gurecat world tour last fly」や「土神紳士 」(リンク先)を参照)
確に小額とは言えワイロを払わされているのは根がセコイ私にとっては悔しい事だが、拒否する為に戦うほどの金額ではないと最初から諦めていた...
このコンゴの次はガボンの首都リーブルビルへと抜けようと考えていたのがこれにも問題はある。陸路で抜けようにも通過する地域は外務省によると「退避勧告」にこそなっていなかったものの危険度3の「渡航の是非の検討」であり、またコンゴは古くから治安が悪く、さらに現在は「ニンジャ」なる反政府組織が暗躍して反政府活動を続けているらしい。
色々と検討した結果、迷わずフライトを利用する事になったのは仕方の無い事であろう。
「危険地帯を抜けた」
等といって人に自慢するような旅行は何よりもゴメンだ!そういう旅行者も何人かは見てきていたが単に「運が良かった」だけの方が圧倒的に多いのである。確かに大抵の場合何も無いのだがそれでも “何か”が起きてしまってからでは全てが手遅れなのである。その辺りを考えない旅行者が多いことは憂慮すべき事態だし、なによりも「愚か者」が最後まで賭けに勝ち続けられるほど旅も人生も甘くないのである。
私は「プロ」である。甘い考えなど最初からなく、どうすれば確実かつ安全に到着出来るかを緻密に考え、そして行動するのが「プロのプロたる所以」であろう。
ガボンは隣の国だし、フライトもまあ距離から考えて200ドル、高くても250ドルといったとこだろう。旅行者には痛い金額だが命の値段と考えれば安いものだ!
早速旅行代理店に入りガボンまでのチケットの値段を確認する。
「350ドル...」
「えっ??もう一度言って!!」
「350ドル...」
何だってこんなに高い料金を取るんだ??隣の国だぜ、片道なんだからこんなに高い値段するわけは無いだろう!!
その後、2,3代理店を周ったが料金は変わらず、最初からプランが狂ってしまう。
ホテル付近から眺めたブラザビルの街並み、高層ビルが微妙に見える。
よくよく考えてみて欲しい、陸路なら100ドルくらいでガボンの首都リーブルビルまで行けるだろう。安全の為にフライトを取るとしてもまあ倍の200ドルならなんとか、いやっ!250ドルまでなら大盤振る舞いしてやってもいいかもしれない。しかし...
「350ドル...」
あの距離でこの値段は無いだろう...!
色々と検討した結果、迷わず陸路を利用する事になったのは仕方の無い事であろう。基本的にはただバスや鉄道に乗っているだけのことだし、何の労力も無く
「危険地帯を抜けた」
と言って人に自慢することも出来る。そんな旅行もそう悪くはないだろう!運不運は付き物だが確かに大抵の場合何事も起こらないのが相場だし、 “何か”が起きてしまったらその時は諦めるしかないだろう。その時は全てが手遅れになってしまうがそれもまあ一つの旅だろう。その辺りを考えない旅行者が多いことは憂慮すべき事態かもしれないが、なによりも「愚か者」であっても運さえよければが最後まで賭けに勝ち続けられるのだ。
そうだ、私は「プロ」である。時として甘い考えに身を委ねて、どうすれば確実かつ安全に到着出来るかだけでなく運を天任せにしてギャンブルをしてみることも必要な事だし、そしてそれこそが「プロのプロたる所以」であろう。
確かに私は「旅行者」であって「冒険者」ではない。だが「プロフェッショナル」である!陸路とフライトで考えるとその金額の差は250ドル以上だ!この大金の前には危険地帯を通り抜けると言うリスクを犯す価値はあるだろう...
宿泊したサクレ・クールの夜
そしてこれまた微妙な夜景・・・
第2章ブラザビル出発
ブラザビルは混沌としていたキンサシャに比べると、“閑静としている”という言葉が実にしっくりくる街だった。首都とはいえ人通りは少なく、目玉のマーケットも何とはなしに活気がない。
首都なのに中心をちょっと外れるともうこんな感じ・・・
モニュメントも何か微妙・・・
川沿いを歩いて対岸のキンサシャを望む、ちなみにこのブラザビルも大っぴらに写真を撮ると捕まる可能性大なのでそんなに撮影出来なかった・・・
面白かったのは半ば廃墟と化しているのに営業を続けていた動物園ぐらいだっただろうか。
※看板は立派な動物園
※中の建物は民家!入ろうとしたら怒られた!!こんな所に作るな!ボケッ!!
※動物園最大の見世物!ってこれがかい!!
この動物園を詳しく見たい方はこちらへ・・・
「ブラザビルのZoological(動物園) (文化自然遺産:コンゴ共和国:2005年8月選出)」
飛行機のチケットを諦めて陸路移動の為の便を調べると都合のいいことに24日の火曜日に西部の町ドリシーへ出発する便があり、そのドリシーという町からバスでンゴンゴーンデンデ(ガボン)ボーダーを通過してリーブルビルへと向かうことが出来るらしい。
鉄道のチケットを首尾よく購入し、そして24日、久しぶりの鉄道による移動を開始する事となった。
朝0900時の便で出発
※ブラザビル鉄道駅、実はタクシーで行ったのだが信号待の最中にぶつけられてミラーが破損するというアクシデント付だった・・・
通常は12時間くらいの予定なのでドリシーには夜に到着の予定だったが、やはりそこはアフリカ!途中駅で不可解な12時間停車があり、到着したのは翌25日の0900時、結局24時間の移動となってしまう。移動時間と停車時間が同じと言うのはなんとも精神衛生上宜しくはないが、私にはどうする事も出来ないだろう...
ブラザビル出発直後の景色
走り出してしばらくするとこんな景色に・・・
途中駅はこんな感じ。
※コンゴの鉄道、ルックスは中々に頼りがいがありそうだったがやっぱりというかなんというか予想通りのスタック
途中12時間くらい停車した駅で・・
そんなに長く停車したらそりゃあ夜にはなるでしょう・・・
ドリシーに到着し、鉄道で知り合った親切な男が私を案内してバスターミナルへ連れて行ってくれる。
※ドリシー駅到着、ここから戦いが始まった!
ボーダー村のンゴンゴ行が今、正に出発する所であり、間一髪でチケットを購入して飛び乗る。チケットオフィスの壁に貼ってある路線図を見るとンゴンゴ行は週2便だった。コイツを逃していたらと考えると私は自分の幸運に感謝しなければいけないだろう。今回はツイている...
走っていく途中で撮影、のんびり撮っていたら間に合わなかったかも・・・
第3章 ガボンへの道のり
8月25日、バスは私を乗せるとほぼ同時に出発。まあバスと言っても名ばかりでベンツのトラックの荷台を改造しただけのどう見ても荷物運搬車だが客もそれなりに乗っている。私は間際にチケットを買ったにも関わらず、前座席(助手席、料金は2ドルくらい高かった)に座る事になったのでまあ快適だ。
ドリシー出発直後
国境町のンゴンゴまでは大雑把にいって300kmくらいだろう。道路自体は舗装路ではなくダートで硬い地面の上を走るものだったが交通量なんてあってないようなものだ。まあ時速50kmも出せれば6時間で到着できるだろう...。
出発後の景色
しかし、その“アポロ”と名付けられたトラックは抜群の遅さを示した。サスも効いてないらしく助手席に乗っていてもバンピーな道路事情をダイレクトに余すところなく伝えてくる。後部座席の乗客たちは結構たまらないだろう。
どうやらこの「アポロ」というネーミングは“ロケットの発射台にいるような気分を何回も味わえますよ!”という意味かそれとも“地球から月にアポロロケットが到着するくらいの時間が、国境町までかかりますよ!”ということらしい、等と考え始めた頃、最初の村に到着をする事となった。
※私を乗せたアポロ号。人類は果たして月に到着できるのか?望みは全く無さそうである...
第4章戦いへのプレリュード
乗車して3時間半が経過した12時半に最初の村ミラミラへ到着、トラックを降りて煙草を吸っていると役人がやってきて私の同行を促す。運転手に確認するとどうやら同行しても問題なく、外国人が通過した記録を記帳(以下レジストリ)しなければいけないらしかった。
役人の詰める小屋に入りパスポートを手渡す。ここは何もない田舎村だ、周囲はあくまでものどかである。役人は記帳が終わり、パスポートを何故かそのままホールドして尊大な態度で私に一言、こう言ってくる。
「5000セーファー(約1000円)...」
「...!!!」
ちょっと待て、ワイロ請求と言うのは見え見えだがそれにしてもこの金額は一体全体何なんだ??
私が今迄通過したボーダーでもワイロが高かったのはアンゴラーコンゴ(旧ザイール)間で、各国ともに4,500円程度だった。国境という重要な場所ですらその程度だし、さらに付け加えていうとその時私に同行していた現地人は私の倍以上の金額を支払わされていたのでまあそんなら私もしょうがないと支払ったものだ。このコンゴの首都ブラザビルに入った時でさえ200円だった(注:その後他の旅行者に教えてもらった所によると私の支払った場所全てが実は簡単に拒絶できたと言う事だった)。それにしても何もないこの地方の村で5000セーファーと言うのは破格に高い!これはどう考えても納得のいく数字ではなかった...
こいつはちょっと厄介だ、こんな何もない場所で支払いを拒絶してしまってはこちらが不利だろう。でも、この5000セーファーと言う金額はとても呑める数字ではない。この先の村々で同じような事があり、毎回支払っていたら破産してしまう。
「これはちょっと本気で値切らなければ...」
そう考え、“チキン”なりになけなしの勇気を振り絞って抗議する事にした。彼はフランス語しか理解できないだろうがこっちは喋れない、まあ英語でいいだろう。そう決めて大げさなジェスチャーで机を一度“ダンッ”と叩いてからおもむろに大声で話し始める。
「おい!お前!!俺が何も知らない外人だと思ってなんていう金額を言いやがるんだ!!だいたい考えてみろ!国境でさえ1000セーファー(約200円)なのにここで5000(約1000円)も請求するなんてのはどういう了見だ!!いいか!よーくみみかっぽじって聞きやがれよ!!ここでは500(約100円)も出せば十分じゃないのか??何が5000なんだ!!!ちょっとは“相場”ってもんを考えやがれよ...!(注:お気づきかと思いますが、ワイロを払う気は満々です!ただ値切ろうとしているだけです!!)」
役人もこの私の強硬な態度と怒声に少し驚いているようだった。小さくなにか呟きかけただけだった..、この機会を逃してはいけないと思ってさらに言葉を重ねていく...
「どうだ、お前、何も言い返せないだろう!!分かったか?5000じゃねえだろう。500じゃねえのか??そうだろう??一体どうなんだ???、俺をどうするつもりだ?まだ5000なんて法外な金額を払わせるつもりか??おいっ、答えてみろよ!ああーん...!!(注:値切れそうなので頑張っています。払う気は満々です!)」
よーし、ダメ押しだと私が最後の台詞を言おうとした刹那、役人が開いてあった私のパスポートをパタンと閉じて前に押しやり、首を出口に向けて「もうパスポートを取って、行って良い」と示してくる。
「ええっ〜!!!」
私は面食らってしまう。いくら英語が分からないとはいえこっちは「払う気満々」であったし、値切る交渉以外はしていない。しかし、こんなにあっけなく「ワイロとは断れる物」だったのか...
これから値切りのクライマックスを迎えようとしていた私は“肩透かし”をくらわされた形となってしまい。しどろもどろに「メルシー(フランス語の有難う)」と状況に全くそぐわない一言を言って、ぎこちなくパスポートを回収し、その小屋を後にする事になった。
またしても道中の景色・・・、こんな感じで橋を越えることも・・・
途中大型車とすれ違うと砂塵が巻き起こる・・・
第5章そして連戦へ...
次の村のキバンゴには1400時に到着、先程と同じように役人が来て私を連れて行く。この役人も私のパスポートをホールドし「4000セーファー(約800円)」と言ってくる。
さっきは実に簡単に断れたのでここでは値切らずにいきなり怒鳴りつけたら彼もごく簡単にワイロを諦めて私にパスポートを戻す...
トラックに戻り今まで支払い続けてきたワイロのことを考えると、こんな簡単に断れるのならもっと最初の時から断り続けていれば等と考え始めるようになっていた。
途中の村にて、手前のMarcheというのはフランス語で市場の意味
ここで撮影したアポロ君。どにかく遅いよぉ・・・・
次の村のニャンガには1800頃、ここは少し大きな村で役人もちゃんとしていてワイロ請求はしてこなかった。残る関門はモウソウゴという村で、出国手続きはンゴンゴというボーダー村でなく、ここで済ませなければいけない事となっていた。
ニャンガ直前
バスの中から撮影したニャンガ、人が多い!っと言ってもこの程度か・・・
1900時頃モウソウゴに到着、日はもう落ちて、また街灯等という気の利いたものもありはしないので辺りは真っ暗だった。イミグレ(出入国事務局)やカスタム(税関)等は分かりようもないのでバスのスタッフが一人、私を案内する事になった。
「ここではイミグレに500セーファー(約100円)、カスタムにも同じだ」
スタッフはこう私にアドバイスしてくる。前回の2回ほどは確かに簡単に断れたがなんと言ってもここはボーダーだ、何よりも出国スタンプは必要だし、辺りが真っ暗な今、チキンたる本能はまたいい塩梅に呼び起こされている。それにその程度の金額なら仕方がない数字だろう。もっていた懐中電灯で財布を照らし、500セーファー札2枚をポケットに入れる。これでこれ以上の額のお札を間違えて出す事はないだろう。
イミグレに到着して、蝋燭の明かりの元で2人いた役人は私のパスポートを確認して出国スタンプを押し、パスポートをそのまま手元に留めたまま金額を告げてきた。
「スタンプ代、25000セーファー...(約5000円)!」
ご丁寧にそこらへんの紙の切れ端にきちんと書いてよこしてくる。
「なっなっなっ...」
さっき相場を確認したばかりだ、慌てて同行したスタッフのほうに目をやる。
彼は私と目を合わせて小さく首を横に振る。払うにしてはどう考えても大きすぎる金額だ。
私の心は決まった。ポケットの500セーファーはいつでも取り出せる。最悪金が無いといってこれで見逃してもらう事にして先ずは断ってみよう。怒鳴るのは勿論英語だ!
「おい!お前!!俺が何も知らない外人だと思ってなんていう金額を言いやがるんだ!!もうネタはばれてるんだぜ、ここでの相場は500だしそもそもそれ以前にこんなお金を払ういわれはないだろうよ!さあパスポートを返すんだな。どうしてもっていうなら500くらいは恵んでやってもいいぜ」
今回は前回断った経験もあるしバスのスタッフも横にいるからまあ安心だろう。さっき渡された紙片を「何だこれは!」という顔をして乱暴に机に叩きつける。
相手の請求してきた額も多いし、スタンプを押して向こうも強気になっているかもしれない。さあこれでどうでるか!!
相手は嫌そうな顔をして私を見つめる。
そして...
あっさりと賄賂をあきらめて私にパスポートを返す!!
「うーん...!」
しかし、25000セーファーなんていってくるぐらいだったらもうちょっと骨のあるところでも見せればいいのにと思うくらいに拍子抜けだ。
続くカスタムも同様だった。請求してきた金額こそ5000セーファーとそこそこいい額だったが、私が断るといやに引き際があっさりとしていた。
そして首尾よくワイロを断りバスに戻り国境町のンゴンゴへと向かうこととなった...
第6章そしてガボンへ...
ンゴンゴへは2130時に到着、ガボンは目の前だ。時間が遅くもうバスもないのでその辺りにあった宿に宿泊する。そういえば食事を何も取っていなかったのでランタンしか明かりのない食堂へ行き、軽くパンとコーンビーフをつまんで人心地ついていると先程私に同行してくれたスタッフがやってきて、話しかけてくる。
「さっきつきあってあげたろう!コーラくらい奢ってくれよ!!」
まあその提案は悪くない、お金をそのまま上げるのはちょっと抵抗あるが奢るのなら悪くないだろう。それにもともとチキンな私では一人だったらワイロを断れなかったかもしれない。
「いくらだい?」
と聞くと「500セーファー(約100円)」
「...」
さっきのイミグレやカスタムでワイロを相場通り払っていたら1000だし、まあ役人共は違法行為だがスタッフは仕事上とはいえまあ善意の行動だっただろう。
そう考えて500セーファー渡すと彼はコーラを注文するわけではなくそのままポケットに入れていった。現金そのものを謝礼にするのは好きではなかったので意地悪く聞いてみると「明日飲む」といっていたがコーラを買うことはもうないだろうと思った。やはり私でも飲物を貰うより現金を貰ったほうが嬉しいときが多い...
しかし、こういった請求を断れないと言う点ではワイロ以上に断りずらかったが、まあ彼には世話になったしこれはこれでいいだろう...
国境村の夜・・・
宿泊したホテル、宿があるとは結構びっくりだった。でもトイレは地面に大穴が空いていて、そこに戸板を通しただけだった。もし落ちたら・・・
起きてから撮影した国境村の風景?
そして朝商店?で食べたコンビーフとトニ・コーラ
翌1100時、ガボンの国境村のンデンデ行のミニバンが来てそれに乗って出国、コンゴを後にする事となった...
※ンゴンゴ国境 奥のバーを越えるとそこはガボン!!
今回のコンゴの日々を振り返り、そして固く決意する。
「ワイロ請求はこれからはもうちょっと毅然とした態度で断ってもいいんじゃないかな...」
と...!!
そして
「いままで払っちゃってきたあのワイロもひょっとしたら断れる物だったのではないか?だとしたらだいぶ損しちゃったな!!」
と若干後悔の念に包まれての出国になってしまっていた事も併せて付け加えておこう...