インド
ラホール→アムリットサル
基礎データ(2018外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:328万7,469平方キロメートル※日本の約9倍、インド政府資料:パキスタン,中国との係争地を含む。(2011年国勢調査)
2.人口:12億1,057万人(2011年国勢調査)
3.首都:デリー
4.民族:インド・アーリヤ族,ドラビダ族,モンゴロイド族等
5.言語:連邦公用語はヒンディー語,他に憲法で公認されている州の言語が21
6.宗教:ヒンドゥー教徒79.8%,イスラム教徒14.2%,キリスト教徒2.3%,シク教徒1.7%,仏教徒0.7%,ジャイナ教徒0.4%(2011年国勢調査)
7.通貨:インドルピー 1Rs=100P(パイサ) 1Rs≒3円で計算。(実際は2.75程度)
※ブログの日付は旅行当時に合わせてますが、帰国後10年以上経てから記事を書いているので実際のアップ日は2018.12.26です。
Incredible India(信じられない、インド!)
最初に見たのはブルガリアの首都ソフィアにあるインド大使館の中のポスターでだった。
「世界を2つに分けるなら、インドとその他ですよ」
と、イスタンで知り合ったチャリダーのケイ氏から評された国。
それまでに出会ったアジア横断者から、話題にされネタの尽きない国、インド。
ここは魑魅魍魎が跋扈する、良くも悪くもIncredibleな国だった・・・
2007.03.05(月)
ラホールを加東氏と、新たに知り合った仙石氏と3人で出発する。
15:30時にパキスタン側から入ると途端に30分時差で追加され、インドに入国したのはぴったりと16時になった。
お目当てのクロージングセレモニーには丁度良い時間だ。
前回はパキスタンサイドで今回は勿論インド側、一粒で2度美味しい楽しみ方といってよいだろう。
クロージングセレモニー
パキスタン側のように名物の応援おじさんがいる訳ではないが、観客はインド側の方が多いので迫力は同じくらいになるのだろうか?
いずれにしても両国の諍いの歴史を考えると、これは楽しいイベントだった。
17:30時、クロージングセレモニーが終わる。
バス乗場まで移動して、最初の目的地アムリットサルへと向かう。
これでようやく103ヶ国目となるインドが始まった。
アムリットサルへ。乗ったバスのテレビが「Panashiba」だった
アムリットサルへに到着したのは19:30時、もう暗くなっていたので高いか安いか全くわからないままリキシャに30Rs(1人10)で乗り、お目当ての寺院へ向かう。
黄金寺院
シーク教徒(凄いざっくりと言うと15世紀にイスラム教とヒンドゥー教を融合させようとして生まれた宗教)の総本山で最も聖なる寺院だ。
ここは異教徒でも、最低限の決まり事を守れば、無料で寝場所と食事まで提供してくれる、開かれた場所だ。
3人で寺院のドミトリーに入り、食事を頂く。
簡素な物だが、ただの物見遊山の旅人で、シーク教徒に改宗するようには明かに見えない我々にも分け隔てなく振舞ってくれるのはただただ有難い事だった。
食事と黄金寺院
タップリと水を湛えた四角い池の中央にある黄金寺院は、見惚れてしまう程煌びやかだった
くるっと一周しながら4周から眺めつつ、聖所を参拝する。
黄金寺院
インドの最初のIncredible(信じられない)がここにあった・・・
2007.03.06(火)
ダライ・ラマ14世
おそらく知らない人はいないだろう。
チベットの政教両面の指導者にしてノーベル平和賞の受賞者たるこの人物は、中国からの抑圧でインドのダラムサラ―に亡命している。
多忙な人物なので中々そこにはいないが、今回はそこに戻ってきて、旅行者に合うチャンスがあるということで、加東、仙石氏はそちらに向かうことにした。
私も誘われたが、会っても話を聞くだけなので、それ程強くは惹かれず、そのまま首都のニューデリーを目指すことにした。
私が起きた時、既に彼らは出発後だった。
7時に寄付の50Rs(150円)を払い宿を出て駅に向かう。
アムリットサル市街
今日の夕方には到着するがチケットは2等寝台。
まあ寛げそうだからこれで良いだろう。
列車は08:15時に出発。
アムリットサル駅
同じコンパートメントに居た家族の活発な小さな娘さんがずっと私に絡んでくる。
その可愛らしい仕草に、噂で聞いていた魑魅魍魎なインドを忘れていた・・・
上段は止まっていた列車、中段以下が乗った列車とずっと絡んでくれた女の子。
16時、列車は首都のデリーに近づいてくる。
ここからがインドの本番だ・・・
※旅行当時の記事は「謎の日常」の「恐怖!インドの洗礼…(ワガボーダー:インド)」を参照