パキスタン

ラワールピンディー→ラホール

基礎データ(2018外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:79.6万平方キロメートル(日本の約2倍)
2.人口:2億777万人(年人口増加率2.40%)(パキスタン統計省国勢調査2017)
3.首都:イスラマバード
4.民族:パンジャブ人,シンド人,パシュトゥーン人,バローチ人
5.言語:ウルドゥー語(国語),英語(公用語)
6.宗教:イスラム教(国教)
7.通貨:パキスタン・ルピー 1PKR≒2円で計算。

※ブログの日付は旅行当時に合わせてますが、帰国後10年以上経てから記事を書いているので実際のアップ日は2018.12.23です。

2018.02.27(水)

 10:50時にラワールピンディーを出発した列車は16:00時、ラホール・シティー駅へ到着。
 インドからイランへ抜ける東西の要衝にあるこの街は、人口700万を擁する巨大都市で、市駅も立派な物だった。

ラホール市街


 No.3の市バスにのり安宿の集まるリーガル・チョークへ向かう。
 泊まる宿は、事前に情報を得ていたリーガル・インターネット・インのドミトリーだ。
 ラホールと言えば泥棒宿で有名で、中級宿以下のほぼ全てが該当するというタチの悪さだ。
 勿論ここも例外では無いが、”貴重品の管理を気を付ければ大体大丈夫”なので安全という所から、日本人旅行者に人気のある宿だった。
 それに恐ろしく速度は遅い物の、ネットの出来るデスクトップが2台あるので便利だった。

 夕食は久しぶりにKFC
 セットにアイスで280PKR(560円)と一食100円以下のこの国では法外な贅沢さだがそれも偶には良いだろう。

市バスと夕食のKFC


2007.02.28(水)

 宿を10時に出て市内観光へと向かう。
 ラホールは巨大な都市だ。
 世界遺産の城塞と庭園もある。
 どこから攻めるか?
 色々なルートが考えられるが、今回はここでの滞在日数を予め何日と決め打ちしていないので、慌てたり急いだりする必要はない。
 それにフンザに行っている加東氏も、ここで後程合流する予定だ。
 取り敢えず一つ一つ、気になる見物を潰していくことにした。

ラホール市街


 最初に訪れたのはラホール博物館だ。
 入館前に併設のカフェでハーフチキンライスとペプシで腹ごしらえをする。

ラホール博物館


 パキスタン最大のビクトリア様式のこの建物は、展示品も充実したものだった。

展示品

右下が有名な「断食する仏陀」


 館内で小中学生たちに絡まれ色々と聞かれたが、彼らが思いもよらず英語が上手でびっくりとさせられる。
 これはこれで面白い経験だ。

展示品


 博物館を出て、タウンホールの広場を抜けて旧市街へ向かう。

戦闘機のモニュメント

上段:市庁舎。中段左はミサイルモニュメント


 次に訪れたのはダルバールと言われる南アジア最大のスーフィー(イスラム神秘主義)神社だ。
 下足代は払うべきだったが、威圧的に「ペイ!(払え!)」と言われ、反射的に断ってしまい、後で反省する。

ダルバール


 その次に訪れたファキールハーナ博物館はクローズ。
 ゴールデンモスクは敷地内はOKだが建物内は異教徒NGだった。

上段:ファキールハーナ、下段左:ゴールデンモスク


 ワジィール・ハーン・モスクは入場料を取らずに美しいタイル模様が見れて満足だった。
 
ワジィール・ハーン・モスク


 また城壁に沿って走るサーキュラー・ロードを通りバードシャヒー・モスクへ向かう

城壁の門の一つとサーキュラー・ロード


 下足代は寄付の筈なのになぜか10PKRと勝手な金額を言われたので、6にまけてと値切る。
 ただ、これなら最初から入場料を決め、その中に下足代込みにしてくれればスッキリするのにとモヤモヤする気持ちはぬぐえない。
 
バードシャヒー・モスク


 そうは言いつつ、1673年、ムガール朝のアウラングゼーブ帝によって建てられた、中庭で10万人規模の礼拝が出来るこの巨大なモスクを、下足代だけで見れているのだから、あまり文句を言ってはいけないのだろう。

バードシャヒーモスク


 詰まる話
 郷に入っては郷に従え
 という事だ。
 勿論従うべきは私の方だった・・・

バードシャヒー・モスク


 モスクをたっぷりと堪能し、満を持して世界遺産のラホール城へ入場する。
 入場料はきっちり200PKR(400円)
 先ほどの下足代がとても良心的に思えた瞬間だった。

ラホール城



 ここはバードシャヒー・モスクよりさらに古い1566年、ムガール朝代3大皇帝アクバルによって創建され、先の第6代行程アウラングゼーブ帝の時代にほぼ現在の形となった要塞だ。
 城としての頑健さだけではなく、大分汚れてしまってはいる物のデザインの美しさも目を見張るものだった。
 
ラホール城



 城を見終えてイクバル公園へ向かう。

ラホール城からイクバル公園へ


 お目当てはその名もずばり、パキスタンの塔だ。
 高さ60m、眺望良しのこの場所は逃してはいけない獲物だった。

上段右:パキスタンの塔


 そして入場不可に変わっていた為、あっさりと逃した獲物になってしまった・・・

 時刻は15時。
 
 次に何処へ向かうか?
 旅行人に載っているジャハーンギール廟とヌール・ジャハーン廟を狙う事にする。
 取り敢えず消防署に行ってどうやって行くか聞くと何故かバイクでシェアタクの乗場まで送ってくれた。

左上:送ってくれた消防署員。バイクのシェアタク。


 コーランの教えで「旅人に親切に」とあるが、イスラム圏でこんな感じの親切さに合うのはそれほど珍しくはない。

 最初に到着したのはヌール・ジャハーン廟だ。
 ここはラホール城と同じ入場料200で最初ビックリとさせられたが、ジャハンギール廟とセット販売の価格ということだ。
 それでも高い事に変わりは無いが、折角来たのだからと訪れることにした。

ヌール・ジャハーン廟

アクバルのキャラバンサライ


ジャハンギール廟



 見終わった頃には16:30時となっていた。
 一旦イクバル公園へ戻ることにした。

3輪タクシー


 夕日を眺めて食事をして時間を潰しライトアップに期待する。

パキスタンの塔と夕日


 残念ながらメインのラホール城その物はライトアップされておらず、少しガッカリしたが、宿に戻りながら市街の夜景を楽しんだ。

ラホール夜景


 宿に戻ると加東氏が到着しており、再び合流を果たす。
 

2007.03.01(木)

 旅行人とにらめっこしながら決めた今日の観光はまずは動物園からだった。

宿から動物園へ


 ホワイトタイガー
 お目当てはこれだった。

ホワイトタイガー


 日記に「White Tiger Good」と書き残すぐらい、ツボに入ったので訪れた甲斐があった。

動物園



 見終わったのは丁度お昼頃

市街


 市内を歩いているとある看板が。
 『行くかな・・・』

 久しぶりのマクドナルドだった。
 フィレオフィッシュセットにチーズバーガー、チョコレートサンデーで〆て310PKR(620円)
 泊まっているドミが150PKR、ラホール城が200PKRだから、これは豪遊といっても良いレベルだった。

マック


 ファーストフードを高値で嗜む贅沢の後、目指したのは世界遺産の片割れ、シャーラマール庭園だった。

シャーラマール庭園


 ここもラホール城と同じく200PKRもするのに、トイレで小用を足すとチップをせびられる。
 喜捨の考えは理解しなくもないが、外国人料金で入場してトイレまで払うとなると高い安いではなくいくら何でもそれは無いという気持ちになり、断ることにした。

シャーラマール庭園


 ここで一旦街に戻り、今度は国境、ワガ・ボーダーへ向かう。

 クロージング・セレモニー
 インドとパキスタンを結ぶこの国境では、国旗降下に併せて応援合戦が行われるのだ。

ワガ・ボーダー


 両国とも190cm以上はあろうかという大柄で見栄えのする衛兵を出し、国旗降下に併せて大声で叫ぶように応援する。
 パキスタンが英国から独立以降、インドとは3度も戦争していることを考えると、このイベントが平和裏に毎日行われているというのは凄いとしか言いようが無い。

クロージングセレモニー


 国境からラホールに戻ったのは日の暮れた後。
 昼はマックで贅沢したが、今度はピザハット。タックスなども含めて440PKRは世界遺産のラホール城とシャリマール庭園を見てもお釣りの来る金額だった。

 いったん宿に戻り、他の旅行者と連れ立って、宿に手配してもらってスーフィーナイトというイベントに顔を出す。
 毎週木曜日にスーフィー教徒が神との合一をはかる宗教的な儀式だが、 全員がガンジャ(大麻)を回し吸みしならがダンスと音楽でトランスに陥る、クレイジーなパーティーだ。
 個人的にはガンジャは馴染めなかったので、回ってきそうになると煙草を吸って「俺はこっちが好きだからいいよ」と断っていた。

夕食のピザハットとスーフィーナイト。ババ・シャージャマールという聖者廟で行われる


 宿に戻ってきたのは深夜と言うか早朝の4時。
 狂乱の一夜はこれで漸く終わりだった。

2007.03.02(金)

 ラホールでの見所は昨日のホーリーナイトで終わりだった。
 ただ出発するには別の問題が生じていた。

 「ホーリー」

 今年は3/3,3/4日に行われるインドやネパールのヒンドゥー教の春祭りで、誰彼無く色粉を塗りあったり色水を掛け合ったりして祝う一大イベントだ。

 旅行者でも「是非参加したい」と言うものも多い。
 ただ、私はその街の「超常ではなく、あくまでも日常」が見たくて旅行している訳で、数少なくコンパクトにまとめている衣類をペイントで台無しにされるもの避けたかった。

 パキスタンはイスラム教国なのでホーリーは無い。
 そこでラホールでホーリーをやり過ごすことにした。

昼食と夕食


2007.03.03(土)

 この日もだらだらとする。
 夜、旅友の誘いに乗ってビールを買いに行く。
 イスラム教国だけあって、酒類の販売はされていないが、外国人旅行者向けにコンチネンタルホテルの一角で買えるようになっているのだ。
 ただ酒を買うだけでも何かアンダーグラウンドの様な行為になってしまうのが妙に可笑しく感じたが、それが当たり前のこの国の人は多分気にも留めないのだろう。

 季節が随分暖かくなってきて、これから寒い所に行く予定も無い。
 モンゴルからずっと一緒だったノースフェイスならぬノースフェイクのブルゾンもだいぶボロボロになったので、ここでお別れしようと思って捨てようとしたら、これから北に旅人が欲しがってくれたので、喜んで「これは偽物だけどね」とあげることにした

ラホール夜。下段右がお別れしたノースフェイク


2007.03.04(日)

 ホーリー終わり待ち
 やる事も無ければ行く所も終わっている。
 のんびりと一日を過ごしていた。

 またこの日は同宿だった白人系の旅行者が財布の中抜き(全部で無く一部盗む)をされたようで、「おかしい?」と言っていた。
 犯人は従業員以外にあり得ないのだが、全部ではなく微妙な金額を抜いているので、盗まれた方も気付くのが遅れ、かつ正確な被害額も分からないので泣き寝入りとなってしまうのが、残念な所だった。

 盗む方が悪い。
 これは当たり前だがまた別に
 隙があるから盗まれる
 という側面もある。
 
 人が必ずしも善良でない以上、被害に遭わない為には理不尽ではあるものの自分で自分を守り続けるしかないのだろう。

昼食と夜見た立派な建物


2007.03.05(月)
 
 ホーリーが終わり、いよいよとここを出発する。
 以前みたクロージングセレモニーに併せて国境を越えるつもりだったのでのんびりとしたものだった。

 13:30時、宿を出てバスを乗り継ぎながら15:30時にワガボーダーへ到着。
 そのまま手続きをしてインド側へ入国する。

 パキスタンはこれで終わりだった。
 
 世界遺産にスーフィーナイト、そしてビール。
 東西ルートの動脈上の大都市ラホールは、何処か猥雑さを感じさせる、そんな街だった・・・


※旅行当時の記事は「謎の日常」の「世界を2つに分けるなら...(パキスタン)」「恐るべし!インディア!!(ラホール:パキスタン)」を参照

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