パキスタン

カブール→ペシャワール

基礎データ(2018外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:79.6万平方キロメートル(日本の約2倍)
2.人口:2億777万人(年人口増加率2.40%)(パキスタン統計省国勢調査2017)
3.首都:イスラマバード
4.民族:パンジャブ人,シンド人,パシュトゥーン人,バローチ人
5.言語:ウルドゥー語(国語),英語(公用語)
6.宗教:イスラム教(国教)
7.通貨:パキスタン・ルピー 1PKR≒2円で計算。

※ブログの日付は旅行当時に合わせてますが、帰国後10年以上経てから記事を書いているので実際のアップ日は2018.12.13です。

2007.02.20(火)

 入国審査は複雑と言うよりも非効率的で、盥回しにされながら、面倒な手続きを終え、何とかパキスタンに再入国を果たす。

 虎口を脱出した

 と言ったら大げさ過ぎだが、それでも旅友を私の旅行に巻き込んでいたので、無事に戻れてホッとした事は確かだった。

 戻りのルートは行と違って旅行代理店手配のチャーターと言う縛りはないが、外国人がミニバスに乗る際はガードの兵士が同乗するので彼の交通費分も負担になる。
 とはいっても乗ったミニバスは1人50PKR(100円)で、ガード代も加東氏と割ったのでそれを加えても1人75PKR(150円)と気にする値段ではなかった。
 そのミニバスで13時に国境を出て15時にペシャワール郊外のカルハナ・バスターミナルへ到着し、ガードが降りていく。
 ネットでチップを払った方が良いと書いてあったので幾らかの心付けをと思ったが、それを渡す暇もない程あっさりと彼は去ってしまった。

 ここで我々はタクシーに乗り換えて市中へ戻る。

 戻り掛け、何気なしにツアー料金150ルピー(300円)払ってアフガンバザールに立ち寄ってみる。
 特に好みの物が無かったので写真は金魚しか撮らなかった。

 17:00時、ツーリスト・モーテルに戻りドミトリーに宿泊を決める。
 夕食のチキンライスを外で撮り、ネットカフェに行ってから明日からの朝食用の食糧のコーンフレークや牛乳を買って戻る。
  
 これで漸く落着いた感じとなった・・・

戻ってきたペシャワール。金魚はアフガンバザールでついつい撮影


2007.02.21(水)

 アフガニスタンを抜けて気も抜けたのか?起きたのは12時だった。
 シリアルとミルクで朝食を摂り、ネットカフェへ向かう。
 yahooのトップページが開く間、サッカーのハーフタイムぐらいまでなら見れそうな、この素晴らしく回線の遅いネットカフェで4時間過ごし、一度モーテルに戻る。
 また出て床屋に行き、さっぱりとしてから夕食を摂って一日が終わった。

2007.02.22(木)

 深夜にチャンピオンズリーグ(バルセロナ1-2リバプール)を見て、また起きてからチャンピオンズリーグの再放送(チェルシー1-1ポルト)を見る。
 こうなると何しに海外に居るのか?と思われるかもしれないが、そこはこのプロフェッショナル。
 動き出しは14時と遅かったが、その遅れをカバーするべくツアーでペシャワール観光をすることにした。

 有名なのは旅行者をハントして誘うババジイ・ツアーだったが、彼と全く会わなかったので、最近名の知られ始めたプリンス・ツアーで行くことにする。加東氏と、同宿のシュウ氏が一緒だ。

最初に訪れたのは見てて楽しいデコトラ工場だ。

デコトラ工場


 そして次はガン・ファクトリー
 基本はロシア、中国、イタリア製のコピー品をハンドメイドで造っている工場だ。

銃工場

精密さには欠けるので、大丈夫かと疑ってしまい。試射はしなかった。


 そしてアフガニスタン人難民キャンプを訪れる

難民キャンプ



 その後でアフガンマーケットとバザールを訪れる。

アフガンマーケットとローカルなバザール


 ちなみにアフガニスタンから持ち寄られたロシア製の酒、ピストル、ライフル、ハシシと何でも売っているスマグラーバザールという有名な密輸品市場がありツアーの行程にも組み込まれていたのだが、1月中旬に手入れで潰されてしまうという痛恨事があり、訪れられなかった。

 ただそれを差し引いても、1人400ルピー(約800円)でこの内容は良心的だった。

ペシャワール市内


 夜は肉とライスと相変わらずだった・・・

2007.02.23(金)

 のんびりとした日々を送るペシャワールで、今日は荷物を日本に送ることにした。

 郵便局の前で小包を包んでくれる所があり、50ルピーで荷物を麻袋みたいな物でぐるぐる巻きにしてくれる。
 これまで他の国で経験した事の無いやり方だったので思わず見入ってしまった。 
 
郵便局

立派な建物、ケーキ。夜行ったローカルレストラン


 宿に戻ったら「バスで摺られた」と同じドミの旅行者が話していた。
 彼はインド側からこちらに抜けて来ていたので、油断できないインドで海千山千のインド人を相手にした後、パキスタン人の親切さにほだされ、ホッとして油断してスリや盗難にあう。という定番に引っ掛かった形となったようだった。

2007.02.24(土)

 今日出るかどうか悩みつつ、鉄道のチケットオフィスに行くと12時発は鈍行と分かり、明日の9時の急行でここを出る事にする。
 結果的にグダグダになり、半沈没状態で一日を過ごす。

肉ライス。右下はアイス



2007.02.25(日)

 08:15時ホテルを出る。
 ここで1/27以来旅連れとなっていた加東氏とは一旦お別れになる。
 彼の目指すのはフンザというパキスタンでも有数な観光地で、私が目指すのはラワールピンディーという、首都イスラマバードに日帰りの出来る、あまり旅行者に喰い付かれない場所だった。
 ただお別れといってもラホールでまた会う予定になっていたので、それほど寂しさはない。
 久しぶりの一人の身軽さを楽しむことにした。

ツーリスト・モーテルの入口と鉄道駅



 予定通り、9時に鉄道は出発。

 通算2週間程度の滞在となったペシャワール
 ここは辺境という言葉が、とてもよく似合う街だった・・・
 

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