アメリカ国旗 ワシントン市旗
成田/日本→ワシントンD.C./アメリカ(ANA直行便)
基礎データ(2019外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積371.8万平方マイル(962.8万平方キロメートル,50州・日本の約25倍)
2.人口:3億2775万人(2018年5月 米国国勢局)
3.首都:ワシントンD.C.(人口約60万人)
4.民族
5.言語:主として英語(法律上の定めはない)
6.宗教:信教の自由を憲法で保障,主にキリスト教
7.通貨:アメリカドル 1USD=100C(セント) 1USD≒115円で計算。(換金レート考慮し、さらに分かり易くするためやや割り増し。クレジット払いで計算すると実質113円程度だった)
※ブログの日付は旅行当時に合わせてますが、帰国後に書いているので実際のアップ日は2019.06.19です。
2019.05.19(日)
08:30時
早いとも遅いとも言えない、そんな時刻が家を出た時間だった。
2007年のセカンドミッション+1、シルクロードを横断した時に買ったミレーのAT3WAY 40 20 M10006という、とっくの昔に廃版になったちょっと長ったらしい名称のトラベルバッグが2016年に任務再開して以来の相棒だ。
過去の長期ミッションで使っていたキャスター付きリュックではなく純然たるバックパックを使用しているのは、かつてのエレガントさを捨てた訳ではなく、衰えつつある体力の維持と観音開きに出来る利便性が、1月程度の短期旅行で荷物もそれ程重くならない今の私のスタイルに合致しているからだ。
サブバッグはここ最近流行りの防犯バッグも気にはなったがお値段はそれなりだったのでパスし、アマゾンで適当に買った2000円もしない完全防水バッグにした。ゴム地で簡単には切れないし、密封する関係上、出し入れは面倒だが中の物は濡れないし、それ以上に壊れても盗まれても心が痛まない値段というのが魅力的だ。がっつりやられる時はバッグごとやられるので、それなら被害額が少ない方が良いだろう。さらに天候や、またミュージアムなど手荷物検査が予想されあまり大きな荷物を持っていけない時用にナップザックも準備していた。
成田空港には10時前に到着。
オンラインチェックインは済ませていたのでやる事がバッゲージ・ドロップ(預かり荷物)の処理だけだったのであっさりと済ませる。
預かり荷物の重量は18kg弱、手荷物は5kg程度なので計23kgがスタートアップの重さだった。
フライトは11:50時発、11:20時からボーディングと書かれていたので時間的な余裕は十分にある。
朝食がまだだったので出国審査に向かう前に、国内最後の食事を摂ることにした。
それは勿論朝マックだ。
定番のソーセージエッグマフィンにしようかと思ったが、ここは若干変化を入れ、敢えてニコタマフィンにしてみる。
昨今の不振から色々と流れは起こしてはいる物の、マックは所詮マックだった。
そしてそれを味わいたかったからこそ、もう普段は殆ど食べなくなってしまったマックを敢えて出国前に食べたのだった。
ミレーのトラベルバッグとサブバッグ、成田空港にマック
10:30時、出国審査を抜け、のんびりとウィンドウ・ショッピングしながら空港ラウンジへ向かう。
去年の4/12日以降は煙草を全く吸わなくなってしまったので、それまでなら必ず買っていた免税煙草を購入する必要もなくなっていた。
少し味気なさを感じながらゲートに到着するとカウンターから私の名前が呼ばれている。
ボーディングには早すぎる時間なので何事かと聞いてみたら、預け荷物の中にリチウムイオンのモバイルバッテリーが入っていてそれが問題だそうだ。確かにそんな注意事項は書いてあったが、そもそも予備のバッテリーをミレーに入れていた事を完全に失念していた私のミスだった。
スタッフの立会下、バッテリーを回収し手荷物に入れ替える。
まだ11:00時前。しばらく電源を利用しながらフリーWi-fiでインスタやフェイスブック、ツイッターなどを眺めながら時間を潰す。
その内アナウンスが入ってくる。
出発が遅れるそうだが僅か10分、それを山手線で1~2分遅れた時と同じように大変申し訳なさそうな口上で流しているのは、昔乗ったカムエアー(「激闘の記録」の「第9話 ドッグファイト-Ⅰ(舞台国:カメルーン・赤道ギニア)」「第11話 ドッグファイト―Ⅱ(舞台国:中央アフリカ→カメルーン→チャド)」を参照)とは一味も二味も違い、今私が居るのは間違いなく日本でこの航空会社が日本の会社だという証拠だ。
10分、正確に遅れて搭乗が始まる。
飛行機後部のエコノミーの窓際席は通常3列シートの所が仕様上2列とちょっとお得感のある座席だった。
そして12:00時、ピッタリ10分遅れてANA B777-300 NH2便が離陸する。
空港のラウンジと機内。
航路については気にしてなかったが、そのまま太平洋を横断せず、一旦日本を北上し、ベーリング海峡を越えカナダ国内を飛行しつつ最後は南下してワシントンD.C.というルート表示だった。
何も無い海上をずっとフライトするよりも、景観に変化のあるこちらのルートの方が有難かったし、何よりも私の座っているのは窓側席だった。
東北上空を越え北海道上空へ
こうして日本を見るのは初めてだろうか?
以前サードミッションでロスに行った時の航路は?
10年以上前の話で、しかも移動の事なので記憶からは完全に消えている。
ただ眼下に広がる景色は、日本が美しいと思えるものだった。
そうこうしている内に最初の食事が出てくる。
調子が良いのか?普段食べれない筈の野菜も含めて完食。
デザートがハーゲンダッツというのが流石全日空と泣けてくるところだった。
機内食
食事を終えたからそろそろだろうか?
でも・・・
『まだ入らないな・・・』
何が?
旅行のスイッチだ。
会社から無理矢理休みを分捕ってやる旅行。
世間一般で働かれている方からみたら「そんなに休めるの?」とビックリされる日数ではあるものの、過去1年単位で旅行をしていた私の感覚では短期だ。
だからこそ料金が割高で、これまでなら敬遠していたような全日空の直行便を選んで時間を金で買い、他のフライトや陸上移動、宿も1月以上前に抑えて
「決め打ち」
というスタイルにしている。
もちろんルートや宿を予め全て決めてから旅行するこのやり方上、ガイドブックも揃えてWebで見所を調べたりはしていたが、二兎を器用に追えない性格上、出発前はあくまでも何となく大雑把に『こんなもんなのかなぁ』程度にしか見てはいない。
決め打ちしているくせにその気になれないのだ。
働いているときは無理だ、出発しさえすれば入るだろう。
そう思っていたが実際に出発しても12時間50分もあるフライト、時間はたっぷりだ。
スイッチを入れようとガイドブックを目にしようとしても『まだ後で良いだろう・・・』とついつい先延ばしにしてしまっている内にベーリング海峡を越えカナダ領内に突入していた・・・
日付変更線付近
日付変更線を越えた段階でスマートホンの時刻設定をワシントンD.C.に変える。
この変更線が曲者で、ワシントンに到着する予定時刻は日本出国日と同じ日の、さらに1時間程度早い時間だ。
要するに今日の12時に出発して今日の11時に到着という感じだった。
さらにデジタルカメラの時刻設定を変え、使用するデジタルカメラ自体も切り替える。
出国から日本上空まではフジフィルムのF550というカメラにしていたが、これからはオリンパスのTG-870を使うと決めていた。
これは写真の最終的な管理を日付と時間にしているので、同じカメラで撮り続けていると、後で撮った写真でも時刻は早い方から振り分けられ混乱の元となるからなのと、今回は確実に濡れる場所を観光すると分かっていたので防水防塵のタフなカメラをメイン使いにしたかったからだった。
カナダ上空
食後機内は暗くなり、ほぼみんなウィンドウのカーテンを下ろしていた。
座席の照明を点ければガイドブックを読めるが、それなりに明るいので周りに迷惑をかけてしまうので気が引けて出来なかった。
それに時間はまだあった・・・
時折カーテンを少し開け景色を楽しみパチリ。
月がハッキリと見えている。
そしてその内朝食の時間に。
今回も苦手な物は入っていたが完食。
ただはっきりと分かっているのは完食したところで、偏食は別に治っていないという事だった。
カナダ上空と朝食
朝食後明るくなる機内、到着まで残り2時間を切った頃。
漸く少しスイッチが入ってくる。
ただ、今度は景色を眺めるのと調べるのとで集中力が散漫になり、最初の都市ワシントンで何をやるかは結局殆ど決められなかった。
オンタリオ湖とワシントンD.C.
ワシントンには空港が3つある。
最も大きく玄関口とも言えるワシントン・ダレス国際空港に到着するまでに辛うじて決められたのは、市内に出る前に博物館を1ヶ所訪れる事と、市内交通用のカードを買う事だけだった・・・